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「クビ」からJ2得点ランク首位。鈴木孝司を復活させた沖縄という環境

大島和人スポーツライター
練習場でくつろぐ鈴木孝司:筆者撮影

平成最後の得点ランク首位

J2の歴代得点王を見ると、驚くほど豪華な顔ぶれだ。例えば香川真司、ハーフナー・マイク、大黒将志らの日本代表経験者が名を連ねている。J1でも得点王に輝いたエメルソン、ジュニーニョ、佐藤寿人といった名前もある。ブラジル代表で活躍したフッキ、北朝鮮代表の鄭大世までいる。華やかさならJ1に比べても遜色がない。

今季はFC琉球の鈴木孝司が第11節終了時点、つまり「平成最後の得点ランク」でトップに立っている。8得点を挙げ、現在7位というチームの好成績に貢献している。

FC琉球はJ2昇格に成功したものの、昨季の売上が2018年度の売上が3億3330万円。おそらくJ2最小の経営規模だ。鈴木もFC町田ゼルビアを契約満了(平たく言えばクビ)となり、合同トライアウトを経て移籍を決めた選手。そう考えると、この成功は大きなサプライズだ。

沖縄の風土が、彼には合っているようだ。鈴木はこう述べる。

「この沖縄って環境がいいんですかね? 感じがすごいゆったりしていないですか? 時間がゆっくり流れていて、人が温かい。みんなが時間に追われて生活していない」

太陽が東でも西でもなく真上にあるーー。金武町(きんちょう)のグラウンドで彼の写真を撮ろうとしたら、アングルが見つからずに困った。強烈な日差しが被写体の真上から降り注ぎ、へなちょこカメラマンの邪魔をするのだ。ただし温暖な気候は、怪我上がりの彼にとってプラス面が大きい。

シュート力、観察眼が強み

鈴木が全くの無名ということではなく、29歳の彼には相応のキャリアがある。新人だった12年こそ18試合に出場して無得点と苦しみ、J2からの降格も経験した。しかし13年のJFLで15得点を挙げると、14年は19得点でJ3の初代得点王に輝いた。翌15年は町田のJ2昇格に貢献し、16年も25試合で12得点を記録している。

彼は「中途半端」なストライカーだ。179センチ・77キロの体格はJリーガーの標準サイズだし、身体能力や技術も圧倒的というレベルには達していない。FWに起用されるのは「すごく上手い」「すごく速い」「すごく大きい」タイプだが、彼はそのすべてが程よい。法政大4年次にFWへ転向するまでは、主にボランチでプレーしていた。

一方で彼にはよく観察すれば気づく武器がある。一つはシュート力だ。過去のゴールを洗い出せば分かるはずだが右足、左足、頭で偏りなく決められる。だからDFも潰しどころが絞れない。

もう一つの強みは観察力だ。得点の場面について尋ねると「なぜそのプレーを選択したか」を正確に語ってくれる。周りの状況がまるでスローモーションのように見えていて、最適のプレーを選択できる。萎縮や焦燥とも無縁で、逆に言うと大一番だから、大事な場面だからと変に入れ込むこともない。

加えて「どんなFWとも組める」ところが鈴木の良さだ。彼自身が中途半端なタイプであるが故に、使う側と使われる側の両方を行き来できる。過去に2トップを組んだFWは口を揃えて合わせやすさを口にしていた。

「沖縄に来てよかった」

しかし町田で得点を量産していた鈴木は16年の夏に大きな試練に見舞われた。 8月に左足のアキレス腱を断裂して手術を行ったが、17年2月に再断裂が判明。同年夏に復帰したものの、それ以前の輝きを取り戻せなかった。

彼の強みは「ギリギリのコース」を正確に射抜くスキルだ。しかしポスト、バーに嫌われるなど「ギリギリで外す」場面が増えていた。おそらくシュートの踏み込み、膝から下の振りに本当に微妙な狂いが生じていたのだろう。

18年は30試合に出場したものの5得点に終わった。終盤戦は出場機会を完全に失い、そのままチームを去っていった。

今年はなぜ復活できたのか?本人に問うと、こんな答えが帰ってきた。

「足は確実に良くなっているし、人工芝と(天然芝は)全く違う。芝とか、気候とか、(ケアを担当して)触ってくれる人とか、そういう全てが沖縄に来てよかったと思います」(※町田の練習場は昨季の時点で人工芝)

とはいえFC琉球も発展途上のクラブで、練習場が固定されていない。本島中部の金武町、南部の糸満町と毎日のように場所を移してトレーニングを行っている。そんな環境も、彼はむしろ嬉しそうに説明してくれた。

「全く移動の苦労はないし、良い距離感です。(道路が)混まないからずっと走っているだけで、車を運転するの好きだし……。色んなグラウンドでできるから、逆に良くないですか? ずっと同じだとマンネリ化するけれど、リフレッシュした気分でやれる」

自分が知る限り彼は嫌なことにははっきり嫌というタイプで、良くも悪くも思ってもいない言葉を発する器用さがない。鈴木の発信はすべて本音と受け止めていい。

「取れていない」と言われても

FC琉球は主に[4-1-4-1]の布陣を採用している。ピッチを広く使いながら、GKから細かく丁寧につなぎ、ボールを握って押し込むスタイルだ。鈴木は言う。

「サッカーをやっているという感じです。ボールを大事に繋いでゴールを目指していく面白さがある。自分のプレースタイルにも合っていました」

しかしゴールを量産すれば、マークは当然厳しくなる。鈴木は開幕からの6試合で8点を挙げたが、そこから5試合は無得点に終わっている。それを尋ねると、彼はニヤッと表情を緩めてこう口にした。

「『5試合も点を取れていないね』とかよく言われるんですけれど、それもちょっと嬉しいんです。それは普通にあることじゃないですか?3試合に1点ずつくらい入れたら、まあまあいい数字になる。その間のプレーも自分としては悪くない。マークが集中したら他がフリーになったりする」

町田と琉球に対して持つ感謝

4月27日は古巣・町田との試合だったが、鈴木は前線でボールをよく収めて相手のDFを苦しめていた。チームは1-1で引き分け、ホームでの無敗記録をJ3時代から「27」に伸ばしている。

試合後は町田の応援席にも挨拶に向かい、一人ひとりとハイタッチを交わしていた。再会に涙を流しているサポーターもいたという。古巣との縁も、彼にとってはモチベーションになる。

「他のチームに行ってもこれだけ応援してくれるサポーターはなかなかいない。大学を卒業してから、7年間育ててもらったクラブなので、本当に感謝の気持ちしかない。泣いてくれているサポーターがいたけれど、それくらい思ってくれている人たちのためにも、グラウンドで表現して、気持ちが伝わるように戦っていきたい」

しかし彼の今の職場はFC琉球。良き環境、良きサッカーの中で、彼は充実した日々を送っている。琉球に移籍してよかった部分を聞くと、こう答えてくれた。

「サッカーが楽しいということを思い出させてくれたのが一番です。それにチームが自分を必要としてくれている。一回アキレス腱を切って、二回目も切って、一回落ちるところまで落ちて……。でもチームと個人が成長できる、這い上がる場所を与えてもらって感謝しています」

運命はちょっとした巡り合わせで一気に開けることがある。才能はちょっとした環境の変化で大きく花開くことがある。鈴木と沖縄、FC琉球の縁はそんな一例かもしれない。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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