マタハラで仕事を失ったどん底からの起業。好きなことを仕事に変えたそのマインドとは
妊娠中にマタハラで仕事を失うと、女性は大きな2つのハシゴを外される。1つは産休や育休の社会保障制度。もう1つは認可保育園のチケット。妊娠時にマタハラに遭うと、この2つのハシゴを外された上に、再就職も困難になってくる。最初から時短勤務で雇ってくれる会社は少なく、正社員の道は閉ざされていく。
渡部雪絵さんは、まさにこのような目に遭った女性の一人だ。しかし、彼女のすごいところはここからの這い上がり方にあった。自分で起業し、今はワンピースブランドの会社を経営する。
どのような体験をしてきたのか、起業しようと思ったのはなぜか、その時々のマインドはどのようなものだったのか、渡部さんにお話を伺った。
●自分で自分にマタハラ。入社1年目で妊娠する方が悪い
大手銀行の法人営業、大手金融・経済メディアの記者、大手証券会社と、長時間労働で男性優位な職場を渡り歩いて来た渡部雪絵さん(現在38歳)。
2012年3月、32歳のときに、今までの大手とは異なったベンチャーのファンド会社に知人の紹介で入社した。社員20名弱の小規模会社で、今までは正社員で勤めてきたが、ここでは社員全員1年ごとの契約社員だった。
すでに結婚していた渡部さんは、この会社に入社した1年目に妊娠した。もともとバリバリと働いて来たので、妊娠が分かった時は、「嬉しい」よりも「どうしよう」の気持ちが強かったという。
子どもは自然に授かるものという意識しかなかったため、子育てしながら働きやすい会社という視点で転職していなかった。渡部さんが入社する以前から働いている女性社員はたった二人しかおらず、二人とも育休取得が過去のものとなっていて、これから出産・育児する者は誰もいない会社だった。
案の定、渡部さんの妊娠が分かると、仕事を与えてもらえなくなった。そして、「契約更新しなければいいよね」「その辺は俺がうまくやるからさ」と管理職同士が話し合っている声が部屋の外に漏れ、渡部さんはそれを耳にしてしまった。
組合のない会社員でも相談できる東京都の窓口に連絡して状況を伝えた。しかし、返って来た言葉は「お気持ちは分かりますが何もできません」だった。当時はまだ「マタハラ」という言葉の認知が低く、外部機関もきちんと機能していなかった。
会社を紹介してくれた知人に相談したかったが、それもできなかった。当時は「非常識にも転職1年目で妊娠してしまった」「入社1年目で妊娠する方が悪い」と自分で自分にマタハラしていたため、自分が置かれている状況を伝えることは知人の迷惑になる、と思っていた。今思えば、男性優位のマッチョな職場でばかり働いてきたため、自分自身の考え方も男性化していたという。
2013年3月妊娠4ヶ月の状態で、能力不足というかたちで契約終了となった。「会社都合退職にすれば、雇用保険がすぐもらえるからいいだろう」という会社側からの配慮だった。今なら、「配慮ではなくマタハラだ」と反論できるが、当時はその配慮に従ってしまった。
●キャリアは積み上げるものではなく繋ぐもの
妊娠4ヶ月の状態で会社から放り出されて初めて、失ったものの数々に気付いた。産休育休制度が利用できないばかりか、無職の状態であれば認可保育園は絶望的。子どもを保育園に預けられなければ、自分のキャリアは終わってしまう。働き続けたかったのに…と、泣きはらした。
最初に思ったのは、後悔だった。「もっと違う時期に妊娠していたら…」と。幸せなはずのマタニティライフが、今後の不安で押しつぶされそうだった。
そんなとき、「キャリアは積み上げるものではなく繋ぐもの」という記事を読んだ。「過去の仕事から得た経験知は、役割や環境が変わっても、自分の中に個性として身についている。一つの仕事を続けることに執着するより、過去のキャリアを新しい仕事につなげて、培ってきた個性により磨きをかける。それこそが、これからの時代に求められるキャリア形成の視点」という内容だった。この記事を読んだことをきっかけに、妊婦中に転職は無理だろう、であれば、自営業者になろうと気持ちを切り替えた。
2013年8月に無事男の子を出産し、2014年4月から認証保育園に預けた。息子が酷いオムツかぶれになり、すごく泣いていた時期があったため、当初はオーガニックコットンの紙おむつを製作・販売する事業で起業しようかと思った。しかし、おむつは初期投資がかかり過ぎる。悩みだしたとき、ある経営者に相談すると「息子が20歳になってもオムツの販売をやっていたいか?自分の好きなことを事業にした方がいい」とアドバイスをもらった。であれば、自分の好きなもの、ワンピースブランドを作ろうと思った。
●働く女性のためのワンピースブランドを立ち上げる
日々忙しく働く女性にとって、ワンピースはなにもコーディネートを考えなくていい。それでいて、スタイルよく見える。自宅洗いが可能で、長時間着用してもストレスを感じないストレッチ素材にすれば、「ラクして、美しい」。そんな想いから、ワンピースブランドAyuwaを立ち上げた。
もちろんデザインや洋裁の勉強はしたことがない。そこで母親の知り合いの洋裁の先生に相談し、1着1万円で試用のワンピースを作ってもらった。パタンナーはWEBから探した。縫製工場や資材工場とのやりとりは法人でないとできないところが多かったため、2015年8月にアユワ株式会社を設立。立ち上げはクラウドファンディングで寄付を募り、約100万円集めた。
メディアにも取り上げてもらい、大手デパートの期間限定ショップとして出店。売り子さんは「働くママの日替わり店長」という形でお客さんにやってもらった。フリーランスや育休中の会社員など、働く母親が毎日交代で店長を務める。午後8時まで売り場にいる必要がある遅番は、大学生の子どもを持つ母親が担当するなどシフトを工夫し、賃金ではなくワンピースを対価としてプレゼントした。お客さんにショップ店長をやってもらった方が、ワンピースのことを良く分かっていて、すごくパフォーマンスがいいと渡部さんはいう。
2016年は期間限定ショップを年7回行った。お客さんはリピーターが多く、その後も着々と出店回数を増やしている。
●独自のチャリティプログラムを展開、辛かった経験を社会に還元したい
渡部さんは「ファッションで未来をつくる」をテーマに独自のチャリティプログラムも展開している。オンラインストアでワンピースを購入する際に、お客さんが6つの団体から寄付先を選択でき、1着につきワンピースの売り上げの中から500円の寄付をするという仕組みを設けている。現在の寄付先である6団体は、「タイガーマスク基金」「世界の子どもワクチンを日本委員会」「ジョイセフ」「フローレンス」「国境なき医師団」「世界で生きる教育推進支援財団」。
苦労して起業した自身の経験から、社会に還元したいという思いが芽生えた。そして、社会に還元するという意識を持つ人を増やしたい、その気付きを与えられるブランドにしたいという思いからチャリティを始めたという。今の目標は、寄付金額を大きくすること。
日本の経済活動を少しでも活発にしたい。そのためには国民一人一人がストレスのない状況になって欲しい。自分が少しでもその一助を担えたらと、熱く語ってくれた。
渡部雪絵(わたべ ゆきえ)
アユワ株式会社代表取締役 / Ayuwaデザイナー
神奈川県生まれ。
ステップファミリー、シングルマザー家庭で育つ。
早稲田大学商学部を卒業後、金融機関、報道機関を経て2013年8月に第一子出産。
2002年に新卒で入行した三井住友銀行にて法人営業等に従事。
日本経済新聞社グループでは、金融/経済記者として株式市場のリアルタイムニュースを担当したほか、東京証券取引所や日本銀行の記者クラブに常駐。識者への取材や金融政策決定会合の速報記事を執筆した。
その後、三菱UFJモルガン・スタンレー証券会社にてストラクチャードファイナンスや制度商品の組成業務に取り組む。
ファンド会社でのマーケティング職を経て、2015年8月にアユワ株式会社を設立。
翌2016年春、ファッションブランドAyuwaをリリース。