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震災を乗り越えた「奇跡のもろみ」 コロナ禍でも健闘する老舗酒蔵 #知り続ける

岡沼美樹恵フリーランスライター/編集者/翻訳者
「男山本店」専務取締役の菅原大樹さん。震災当時は大学生でした

「そのとき、私は友人と気仙沼市内のレンタルビデオ店にいました。幼いころから避難訓練などで“地震と津波はセットだ”と教えられてきたので、“こんな大きな地震だったら、絶対に津波が来る”と思ったんです。自宅から徒歩で30分ほどの場所にいたのですが、弟と犬が心配で全速力で走って帰宅したのを憶えています」

そう話すのは、今年で創業110周年を迎える気仙沼の老舗酒蔵「男山本店」の専務取締役菅原大樹さん(30)。東日本大震災の発災当時は北海道大学の1年生で、春休みの帰省中でした。

市内にあった男山本店の本社兼店舗は津波で1、2階部分が崩壊。しかし、高台にあった酒蔵は奇跡的に被害を免れました。

再建された「男山本店」本社兼店舗。3Fは復興までの歩みがわかるギャラリーになっています 
再建された「男山本店」本社兼店舗。3Fは復興までの歩みがわかるギャラリーになっています 

“奇跡のもろみ”が、被災地の希望の光に

明治29年(1896)の大津波の教訓を活かして高台に建てた「男山本店」の酒蔵では、酒瓶1本たりとも割れなかったといいます。しかし、酒の販売と本社機能を有していた店舗が津波で崩壊。この建物は国の有形文化財にも登録されていました。大きな被害を逃れた酒蔵は、交通機関が麻痺していたために帰ることができない社員のための避難所に。また、奇跡的に2本のもろみ(*)が残り、「これは大事にしないといけない。絶対に絶やしてはいけない」と、震災翌日から管理を再開させます。

*蒸米、米麹、酒母、水を加えたものを発酵させたもので、日本酒になる直前の状態の液体

「まったく継ぐ気がなかった」という菅原さんの気持ちを変えたのが、震災でした
「まったく継ぐ気がなかった」という菅原さんの気持ちを変えたのが、震災でした

「気仙沼を襲ったあまりの惨状に、私は大学に戻ろうか迷ったんです。こんなにひどい状態の気仙沼を離れていいのか自問したんですね。それで父に『札幌に戻ったら、何事もなかったかのような生活になってしまうけど、それでいいのだろうか』と聞いたら、『お前はまだ何も修めていないから、ここにいても力にならん。まずは大学をしっかり卒業して、社会に出なさい』と言われて。確かにそうですよね。あのときの私が気仙沼に残っても、できることなんてあまりなかったでしょうから」

 3階部分を残して建物が崩壊してしまった「男山本店」の店舗
3階部分を残して建物が崩壊してしまった「男山本店」の店舗

ハタチになって、実家の酒のおいしさに気づいた

気仙沼を離れる心苦しさを感じつつも、札幌に戻った菅原さん。その直後、「男山本店」では、奇跡的に生き残った2本のもろみを搾りました。電気も水道も復旧しない中、「被災地でモノをつくることが、みんなを元気づける」と奮起した地元の人たちの惜しみない協力を得て、実現させました。

その様子はテレビでも生中継され、気仙沼の人たちの思いが詰まった酒を口にしたレポーターは、感極まって涙を流したそうです。

菅原さんは、当時をこう振り返ります。

「実は、震災前は家業を継ぐ気がまったくなかったんです。迷っているレベルでもなく『継がない』と決めていました。当時は未成年でお酒も飲めないし、そもそもお酒の良さがわからない。あとは、家業を継ぐことについて『楽をしている』という、変なネガティブな思いがあったんですよね。その気持ちが変わったのが、東日本大震災でした。生き残ったもろみを搾るために、ご近所の方が発電機を貸してくださったり、父の後輩の方が燃料の確保に動いてくださったりと、本当にいろいろな方たちに助けていただきました。それなのに長男の私が帰らないのは不義理だと思うようになったのです」

「男山本店」を代表する銘酒「蒼天伝」
「男山本店」を代表する銘酒「蒼天伝」

最終的に菅原さんの決意を固めたのは、「男山本店」の酒でした。

「ハタチになったときに、実家からうちの大吟醸が送られてきたんです。四合瓶(720ml)のもので『こんなにたくさん飲めないよ』と思って、友人を招いて一緒に飲んだんですね。そうしたら『なんだ、これ!?』と思うくらいにおいしくて。友人も『うまい、うまい』と飲んでくれて、四合瓶が一瞬でなくなったんです(笑)。うちって、こんなにおいしいお酒をつくってたんだ!と驚いてしまって。それで、家業を継ごうと決心しました」

大学卒業後、家業を継ぐことを念頭に大手飲食チェーンに入社した菅原さんは、正社員として店舗マネジメントを学び、「男山本店」に2016年8月に入社しました。

スペインで行ったセールスプロモーションの様子
スペインで行ったセールスプロモーションの様子

順調だった海外セールスが一転、コロナでピンチに

震災で海外からの支援や励ましが届いたのを機に、商社任せだった海外での販売を自分たちの手で行うようになったという「男山本店」。菅原さんは、その海外輸出部門の責任者となるべく、入社してすぐにニューヨークに10カ月、パリに3カ月留学しました。

帰国後は、海外営業をメインとし、月の半分を海外出張で飛び回る生活を送ることになります。しかしながら、その生活をガラリと変えたのが、未だ収束の兆しが見えない、新型コロナウイルスのまん延でした。

「2020年の1年間は、海外のロックダウンがずいぶん厳しいこともあって、出荷量が1/3にまで落ちてしまいました。『これはマズイ』となったのですが、現地に行ってフォローすることもできないし、そもそも飲食店が開いてないんですよね。でも、2021年になって徐々に飲食店も営業を再開し、海外バイヤーとはオンラインでの商談が始まりました。2021年は、コロナ前の水準にまで戻ってきたんです」

震災から10年の節目の年にリリースした「雲外蒼天」は、気仙沼の米を醸し、ラベルを気仙沼のデザイナーが手掛けた、“オール気仙沼”による1本。2022年3月末までの限定販売品です
震災から10年の節目の年にリリースした「雲外蒼天」は、気仙沼の米を醸し、ラベルを気仙沼のデザイナーが手掛けた、“オール気仙沼”による1本。2022年3月末までの限定販売品です

ピンチをチャンスに変えて、新たな出発を

これまで、海外販路の開拓というと、展示会などに出展し、関心を持ってくれたバイヤーに売り込むというのが定型でした。菅原さんは当初、オンラインでの商談の実効性に疑問を持っていたといいますが、思っていた以上の成果をあげることができました。

「意外とコロナ禍でも日本の食に興味を持ってくださるバイヤーさんが多く、事前にサンプルを送る形で商談を進めることができました。オンラインでの商談では、最初から先方が弊社に興味を持ってくださっているし、弊社も先方のことを事前に調べることができます。例えば、ブラジルの会社と商談するとなったときに、その後の取引に繋がるかどうかわからないのに現地まで行くのはリスキーですが、オンラインなら負担は少なくすみます。実際、ブラジルは今テスト出荷させていただいていますし、このコロナ禍で台湾、韓国との取引が始まりました」

新型コロナウイルスによって、当たり前になりつつある「オンライン」で、「男山本店」は新たな輸出先を開拓することに成功したのです。

また、奇跡的に被災を免れて熟成し続けることができた「美禄 古酒13年熟成 琥珀の粋」(2008年仕込み)は、昨年発表されると大きな話題になりました。

筆者は、この「琥珀の粋」のプロモーションで選書を担当。とてもフルーティーで、ほんの少し出汁のような旨味も感じる古酒でした
筆者は、この「琥珀の粋」のプロモーションで選書を担当。とてもフルーティーで、ほんの少し出汁のような旨味も感じる古酒でした

「先代の杜氏が残していったお酒があって、なんとなく誰も手が付けられないでいたんです(笑)。それを利き酒してみたら、低アルコールで古酒にない味わいがあって。『商品化しましょう』となりました。日本酒と異なるシチュエーションで飲んでもらうため、“読書に合わせる”というプロモーションを仕掛けました」

菅原さんのこのユニークな戦略もあって、蔵の在庫は2日でなくなり、小売店でも数日で完売しました。

次々と新しい商業施設がオープンし、町の雰囲気が大きく変わった気仙沼内湾地区
次々と新しい商業施設がオープンし、町の雰囲気が大きく変わった気仙沼内湾地区

大人に任せていた復興を、これからは、自分たちの世代が担う

あの痛ましい記憶を気仙沼にも刻んだ東日本大震災から、11年を迎えます。離島だった大島には橋が架かり、新たな商業施設も次々にオープンするなど、気仙沼は日々その姿を変えています。

「ハードは変わってきたので、あとはここで何をするかが重要だと思います。言ってみたら、今までは大人に任せてきた復興や町のことを、これからは私たち世代で考えていかないといけない。私、気仙沼が大好きなんですね。ニューヨーク、パリ、札幌、横浜と暮らしましたが、やっぱりここが好き。だから、この町をよい状態で存続させていくことが私たちの使命だと思っています。住んでいる人たちが幸せで、外から気仙沼に人を呼ぶ。そのために大事なのが、魅力の再発見と発信だと思います」

気仙沼で生まれ育ったひとりの人間として、地元の魅力を見直し、発信するため、菅原さんは昨年4月から「KESENNUMA BREWER’S TABLE(気仙沼ブリュワーズテーブル)」を始めました。これは、気仙沼の食材を使った料理と酒を、シェフと菅原さんで完全監修したコースを提供し、コロナ禍コロナ禍の厳しい状況下で挑戦を続けています。

2020年からの菅原さんの新しい取り組み「KESENNUMA BREWER’S TABLE」
2020年からの菅原さんの新しい取り組み「KESENNUMA BREWER’S TABLE」

震災は、気仙沼をはじめとする被災地に、大きな悲しみをもたらしました。しかしながら、人々は立ち上がり、前を向いて歩いていく中で小さな希望を見出すこともできました。菅原さんも、そうした人のひとりです。

「男山としては、これからも変わらず、いいお酒をつくることをやっていきます。震災があったことで人が動いて、世界とつながることができた。私自身も家業を継ぐ気持ちになれたし、気仙沼が大好きになれたんです」

気仙沼の老舗酒蔵の若旦那の挑戦は、これからもまだまだ続きます。

#知り続ける

撮影:大町云櫻 2011年3月11日生まれ。東日本大震災の余震の中で産声を上げた。自分の生まれた日に起こったことからの復興を、カメラに収めている。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

フリーランスライター/編集者/翻訳者

大学卒業後、株式会社東京ニュース通信社に入社。編集局でテレビ誌の制作に携わり、その後仙台でフリーランスに。雑誌、新聞、ウェブでエンターテインメント、スポーツ、広告、ビジネスなど幅広いジャンルの執筆活動を行う。2016年よりウェブメディア「暮らす仙台」で東北のよいもの・よいことを発信。ローカルビジネスの発展に注力している。好きなものは、旅、おいしいものを食べること、筋トレ、お酒、こけし、猫と犬。夢は、クリスマスのニューヨーク・セントラルパークでスケートをすること。妄想は、そのスケートのお相手がジム・カヴィーゼルだということ。

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