電通の内部留保で社員の人数を2倍にできるか?

画像はイメージ。本文の内容と関係ありません。(写真:アフロ)

高橋さんの自死より1年

電通の新入社員だった高橋まつりさんが過労のため自死されてから、このクリスマスで1年になった。

母親の幸美さんが手記を公表されている。

まつりの死によって、世の中が大きく動いています。まつりの死が、日本の働き方を変えることに影響を与えているとしたら、まつりの24年間の生涯が日本を揺るがしたとしたら、それは、まつり自身の力かもしれないと思います。

まつりの死で世の中が大きく動いた

SNSで見ていても、多くの人がこの手記に心を動かされている様子がわかる。

同じように理不尽な長時間労働の最中にいる人、かつてそうだった人、このままでは日本はよくならないと思っている人が多いということだろう。

あらためて、ご冥福をお祈り申し上げる。

内部留保で社員を増やす?

その一方で、次のような記事を見掛けて驚いた。

電通も過去最高の内部留保8,098億円となっています。電通の社員は、4万3,583人なので、一人当たりの内部留保額は1,794万円にもなります(2015年度)。

電通の社員の平均年収は1,301万円ですから、電通はいますぐにでも社員を2倍以上増やすことが可能なのです。

電通の内部留保は過去最高の8千億円=いますぐ社員倍増でき過労死招く長時間労働の解消可能

電通は、12月決算に切り替えたところなので「2015年度」がどの期なのかわかりにくいが、従業員が4万3583人だったのは、2015年3月期なので、おそらくこのときの数字なのだろう。

しかし、この記事の8098億円というのがどこから来たのかわからない。

2015年3月期の連結の内部留保は6133億円、個別は5168億円である。

2015年12月期は、連結は6530億円、個別は5505億円。

以後、3月末は6573億円、6月末は6748億円、9月末は5682億円である。

どこから来た数字なのだろうか。

なお、4万3583人に1794万円を掛けると7819億円となり、8098億円にならない。

また、電通の平均年間給与は1200万円超だが、その対象となっている従業員は7261人である。

計算プロセスにいろいろとわからないところがある。

もっとも、数字の取り違えや計算間違いはたまにある。筆者が驚いたのはそこではない。

驚いたのは、内部留保で人数を2倍にしようという発想のほうだった。

BSの右は調達源泉

日本の長時間労働は誰も幸せにしていない、もっと労働者が報われるべきだという議論には、筆者は基本的に賛成である。そのことを確認した上で、しかし。

内部留保に見合ったキャッシュがあるわけではないというのは会計のイロハだ。

内部留保というのは、利益剰余金である。

利益剰余金というのは、例外はあるものの、基本的には、今まで稼いだ利益の合計額から今まで払った配当の合計を引いたものである。

稼いだ利益のうち、配当しなかったのだから、その分、手もとにおカネがあるのだろうと勘ちがいする人が出てくるのはやむをえないのだろうか。

企業のバランスシートの左側には、現金預金、売上債権、在庫などの資産が並び、バランスシート(BS)の右側はそれがどういう風にファイナンスされているかそのソース(調達源泉)が書かれている。

たとえば、工場を新設したなら、土地、建物、機械装置などは、バランスシートの左側に乗る。

一方、その工場を借金して新設したのなら借入金がバランスシートの右側に乗る。

社債を発行したのなら社債が乗り、新しい株式を発行したのなら資本金や資本剰余金が乗り、株主への配当を取りやめたのなら内部留保(利益剰余金)が乗る。そういうことである。

コーポレート・ファイナンスの教科書的には、まずはビジネスの投資が決まり、余った残りのおカネが配当される。

内部留保されたということは、余らなかったということなので、おカネはすでに投資済みである。企業の手もとにそれだけのキャッシュがあるわけではない。

電通のキャッシュは?

電通の2015年12月期のバランスシートによると、電通が実際にもっているキャッシュは2600億円程度である。

2015年12月期の電通の連結売上高は4.5兆円だが、英イージス買収にともなって決算期を12月に変更したため、これは9カ月(39週)の売上げである。

つまり、キャッシュ約2600億円は2週間ちょっとの売上げにすぎない。

連結売上高が9カ月で4.5兆円の企業としては、取り立てて多いわけではない。

むしろ、タイトなキャッシュ・マネジメントというべきだろう。

これ以上、手持ちのキャッシュを減らすなら、銀行から借りるなど、どこかからおカネを引っ張ってこないといけない。

借入資金で自己株式を購入してもっとレバレッジを利かすべしという議論はありうるかもしれないが、それは究極的には企業の財務方針の問題であって、マネジメントと株主等の利害関係者のあいだで決めることである。

また、かりに8098億円のキャッシュがあり、これで4万3583人を新しく雇い入れたとしよう。

1人あたり1858万円の年収となる。

しかし、ストックの分配は一回こっきりである。

翌年以降、新しく雇った人の給料はどうするのだろう。1年後に解雇するというのだろうか。

働き方改革

日本の労働者は働きすぎなのに報われていないというのは筆者もそうだと考える。

ただ、それを解消するために、内部留保の多い企業に労働分配率を上げるように要求したり、より多くの雇用を産み出すように要求するのは筋違いだろう。

労働者の所得はマーケットで決まる。労働生産性に比べて、日本がコスト高になれば、仕事が外国へ流出するだけである。

まず、適材適所を促進して労働生産性を高めるために、流動性ある転職市場を整備するのがキモだろう。労働生産性が高まれば待遇もよくなるはずである。

大企業の場合、今は、新卒で入った会社をやめて他社に移れば、生産性を大きく割り込んだディスカウントされた給料でしか次の仕事が見つからないことが多い。

こうなると、職場で理不尽な目に遭っても「やめてやる!」と啖呵が切れない。

労働者の側のバーゲニング・パワーを高めるためには、交渉が決裂したときの状況を改善するのがいい。

そのためには、今の仕事をやめたときに、労働生産性に見合った適切な給料をくれる働き口がたくさんあることが重要である。

【追記】引用元記事の「社員を2倍以上増やす」を「給料を2倍以上増やす」と読み間違っていたので、引用元記事の内容に合うように書き換えた。(2016年12月26日23:45)