Yahoo!ニュース

『梨泰院クラス』名場面「ディフェーンス!」に見る刑法性犯罪の現在地

小川たまかライター
(写真:イメージマート)

●スアもイソもかわいい「ディフェーンス!」

 『梨泰院クラス』もしくはその日本版である『六本木クラス』を見たことのある人であれば、「ディフェーンス!」と言えば、「ああ、あの場面ね」とわかるだろう。

 父を亡くした主人公パク・セロイの復讐劇でありながら、魅力的な登場人物のファッションや街の景色が爽やかな印象を残す『梨泰院クラス』。その中でも、見る人の心の中に強い印象を残す屈指の名場面がこれだ。

 パク・セロイは同級生だったオ・スアに恋していて、ドラマの中間地点で二人はほとんど両思いに見える。しかしある夜、路上でセロイにキスしようとしたスアを、セロイに恋するもう一人のヒロインであるイソが強引に止めるのである。「ディフェンス」と言って。

 つかまれたスアの顔がムニっとなるのも、イソのドヤ顔もどちらもかわいい。

 そしてこの後、イソはすました顔でスアにこう言い放つ。

「刑法 第32章 同意のないキスは強制わいせつ罪です」

 日本版の『六本木クラス』でももちろんこの場面はあり、イソ役(日本版では葵)を演じる平手友梨奈の「ディフェンス」が「想像以上に最高すぎた」といった声も上がった。

 日本版でのセリフはこうなっている。

「刑法176条 相手の同意を得てないキスは強制わいせつ罪です」

 ちなみに日本版イソの平手友梨奈が『六本木クラス』で見せた表情筋の使い方は最高で、このドラマの完成度をひと回りもふた回りも高めている、と思う。

●同意のないキスは強制わいせつ罪、ではない

 ところで、野暮なツッコミであることを承知の上で言えば、「同意を得ていないキスは強制わいせつ罪」は、現代の性犯罪に関する日本の刑法に照らし合わせれば正しくない。

 刑法176条は「13歳以上の男女に対し、暴行または脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする」である。

 強制わいせつ罪、あるいは強制性交罪にあたるかどうかの判断の分かれ目は、イソが言うように「同意の有無」ではなく、「暴行・脅迫の有無」なのである。

 しかし以前からこの要件について、医師や臨床心理士を含む被害者を支援する人たちから改正を求める声が上がっていた。暴行・脅迫要件の緩和や撤廃、あるいは「不同意性交等罪」を求める声である。同意のない行為であったにもかかわらず、暴行・脅迫が立証できないことで捜査対象とならないケースが支援現場には寄せられていたからだ。

 被害当事者や支援者の声の高まりから、海外では暴行・脅迫ではなく同意があったかどうかを基準とする法改正を行う国も増えている。たとえばイギリス、スウェーデン、ドイツ、カナダなど

 韓国は日本と同じく暴行・脅迫要件が残る国であり、韓国国内でもこの要件の撤廃を求める声はある。

 イソはなぜ、「同意のないキスは強制わいせつ罪です」と言ったのだろう。もちろん、ドラマのセリフとしてわかりやすいのは「暴行・脅迫〜」よりも「同意」だからという理由はあるだろうが、仮説としては次のようなものが思い浮かぶ。

(1)ドラマは不同意性交等罪のある架空の韓国社会である

(2)ドラマには、不同意性交等罪の成立を求める思いが込められている

(3)近年、若者を中心に広がる「性的同意」の考え方を反映している

(4)イソはライバルであるスアを止めるためにもっともらしいウソをついた

 個人的には(3)や(4)だったら面白いなと思う。日本でも複数の大学で「性的同意ハンドブック」が作成されるなど、10年ほど前に比べて「性的同意」の概念が広まりつつある。

 こんな動画も。

●イソは準強制わいせつ罪ではないのか

 さて、「同意のないキスは強制わいせつ罪です」と言い放ったイソの行動には矛盾がある。スアをディフェンスして止める回よりも前に、寝ているセロイにイソはキスしているのだ。

 ↓3:00から。

 セロイには同意がないどころか意識がない。

 「人の心神喪失または抗拒不能に乗じ、または心身を喪失させ、もしくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為」を行う罪である準強制わいせつ罪に当てはまる。泥酔して寝ている状態は抗拒不能だからだ。

 刑法を犯しているのはスアではなく断然イソなのだが、ストーリー上のイソの性格(IQ162のソシオパス)からすると、わかってやっている可能性が高いように思う。

 私はどちらかといえばスア推しだったので、イソの言動のしたたかさには「なんて子……!」と思ってしまうが、あなたはどうだろうか。

●まさに今、検討が続けられている

 さて、現在法務省では法制審議会が開かれ、性犯罪に関する刑法の更なる見直しに向けて専門家による検討が行われている。

 性犯罪刑法は2017年に110年ぶりに大幅に改正されたが、この改正では「時効の延長・撤廃」「性交同意年齢の引き上げ」「暴行・脅迫要件の緩和もしくは撤廃」などの複雑な論点は見送りとなった。

 2020年に再び改正に向けての検討が始まり、今回の法制審議会では、前回見送りとなった点が細かく掘り下げられようとしている。2017年の改正法施行後、#metooがあり、性犯罪の無罪判決をきっかけとしたフラワーデモが始まり、性暴力や性的同意、あるいはジェンダー格差を背景とするハラスメントについて、世の中の意識は徐々に高まってきている。

 2017年以前と比べると「不同意性交等罪」が知られるようになり、議論されていること自体大きな前進だと見ることもできるが、一方で議論の行方を危ぶむ声もある

 イソの言う「同意のないキスは強制わいせつ罪」は、現実のものとなるだろうか。

ライター

ライター/主に性暴力の取材・執筆をしているフェミニストです/1980年東京都品川区生まれ/Yahoo!ニュース個人10周年オーサースピリット大賞をいただきました⭐︎ 著書『たまたま生まれてフィメール』(平凡社)、『告発と呼ばれるものの周辺で』(亜紀書房)『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』(タバブックス)、共著『災害と性暴力』(日本看護協会出版会)『わたしは黙らない 性暴力をなくす30の視点』(合同出版)など

トナカイさんへ伝える話

税込550円/月初月無料投稿頻度:月4回程度(不定期)

これまで、性犯罪の無罪判決、伊藤詩織さんの民事裁判、その他の性暴力事件、ジェンダー問題での炎上案件などを取材してきました。性暴力の被害者視点での問題提起や、最新の裁判傍聴情報など、無料公開では発信しづらい内容も更新していきます。

※すでに購入済みの方はログインしてください。

※ご購入や初月無料の適用には条件がございます。購入についての注意事項を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。欧州経済領域(EEA)およびイギリスから購入や閲覧ができませんのでご注意ください。

小川たまかの最近の記事