Yahoo!ニュース

冬期の電力不足問題について

大場紀章エネルギーアナリスト/ポスト石油戦略研究所 代表
(提供:アフロ)

世界各地でエネルギー価格が高騰したり、停電が起きたりしている中、日本も次の冬に電力不足に陥る可能性があるとされていて、私も何がしか書かねばと思ったりするのだが、今問題が起きている海外のエリアのほとんどは、ある程度エネルギーを自給していて、その供給に課題があるために起きている問題であり、最初からほとんど全てを輸入している日本は、価格の上昇こそあれ、同じレベルで電力不足の問題が起きるわけではないので、一律には語れない。

今年は東京電力PGによる供給力公募によってなんとか予備率3.1%を確保できたが、昨年10月の広域機関の想定でも東北電力と東京電力の予備率は3%だったので、本来なら今年よりも危機的だと報道されてもおかしくなかった。今年供給力が確保されたのに、これだけ騒いでいるのは、万が一のことがあった場合に何もしてませんでしたと批判されるのを事前にエクスキューズしているのではとも思えてしまう。

この問題はエネルギーの問題というよりは、むしろビジネスあるいは政治の闘争としての制度設計の問題である。その意味において、制度を作る政府側にその責任があるといえるのだが、電力システムが自由化された今、法律上は電力の供給の最終的な責任者は電力事業者でも政府でもなく、誰もいないので、誰のせいとも言い難いのも現実だ。

再生可能エネルギーが増えてきたために、火力発電の稼働率が下がり、採算が悪くなって撤退してしまい、電力が不足するというロジックがあるが、それは結果であって原因ではないように思う。それは、再生可能エネルギーは、固定価格買取制度によって増やすべくして増やされたものなので、それに対応して電力が安定的に供給されるように制度設計をするのが、本来のあり方だろうと思うからだ。

簡単に言ってしまえば、供給力を確保するための容量メカニズムがない状態で自由化を進めてしまったのがその原因なのだが、日本でこれから導入されるそれ(容量市場)さえあれば必ずしも供給が担保されるとは限らない。

小売事業者には供給確保義務が課されているが、供給力は発電事業者が増やすもので小売事業者はその中から集める他ない。つまり、「権限なき責任」という虚しい義務である。容量市場が始まれば、小売事業者は供給力のための支払い義務を果たすことになり、もはや「供給確保義務」という概念はなくなるかも知れない。小売事業者の果たすべき価値や競争力とは何かが、今後一層問われていくことだろう。

政府の委員会では、発電事業者が撤退する際には事前に報告して最終決定を待つようにしようとするなど、少しでも撤退しないように供給義務を課そうとしているが、あまりにきつい義務を課すと、今度はリスクやコストが高くなり過ぎて余計に撤退してしまうのではという心配がなされている。しかし、そもそも自由に参入して撤退して良いというのが自由化の本質なので、本末転倒に思う。もはや責任分担の整理というより、なすりつけあいをしているようにさえ思う。

そもそも、貯められない電力を自由市場でやりとりして将来絶対に不足がないように制度設計すれば、最終的な安定供給のリスクとコストを誰もが回避しようとするので、どこかに皺寄せが行き、不安定化するか高コスト化する。しかも、停電の真のコストというのは計算し難い(停電で亡くなる人の社会コストまで入れれば)ので、絶対安定供給の義務を課した上で経済原理で運用すれば、無限のコストをかけて運営するか撤退しかない。どこかで誰かが線を引くしかないが、今はそれをやる主体がいない。

結局誰も電力の供給責任なんて取りたくないし、自由化というちゃぶ台をひっくり返すことができなくなってしまい、取り繕うしかないというのが、今の日本の電力制度設計の現実なのだなと思うが、あまりに政治的にハードルが高すぎて私からは何も言うことができない。

エネルギーアナリスト/ポスト石油戦略研究所 代表

大場紀章 (おおば・のりあき) – 1979年生まれ。京都大学理学研究科修士課程修了。同博士課程退学。民間シンクタンク勤務を歴て現職。株式会社JDSCフェロー。専門は、化石燃料供給、エネルギー安全保障、次世代自動車技術、物性物理学。著書に『シェール革命―経済動向から開発・生産・石油化学』(共著、エヌ・ティー・エス)、『コロナ後を襲う世界7大危機 石油・メタル・食糧・気候の危機が世界経済と人類を脅かす』(共著、NextPublishing Authors Press)等

大場紀章の最近の記事