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2017年宗教改革から500周年(その4) ルターゆかりの地ローテンブルクからコーブルクまで

シュピッツナーゲル典子在独ジャーナリスト
ルターも訪れたハイデルベルク城(画像撮影・筆者)

ドイツ東部のヴィッテンベルク大学で16世紀はじめ神学教授として活躍していたルターは、ローマ・カトリック教会が資金集めに販売した免罪符に対し、「聖書に基づく信仰に立ち戻るべきだ」と、批判しました。

これが宗教改革の引き金となり、免罪符販売開始から2年後の1517年10月31日、ルターはヴィッテンベルク城教会の扉に信仰の本来の意味を問うた「95か条の論題」を提示したのです。

今年はこの論題提示から500周年。その記念すべきイベントが国内各地で催されています。また、「ドイツの偉大な息子」と称されるルターの偉業を讃えて、10月31日は特別休日となります。

95か条の論題を提示した街ヴィッテンベルク、聖書をドイツ語に訳したヴァルトブルク城、生家と終焉の家があるアイスレーベンなど、ルターゆかりの地は国内に40ほどあるといわれます。

これまで3回にわたり紹介しましたが、今回はローテンブルク、ヴォルムス、ハイデルベルク、コーブルクの4都市を取材しました。

その3ヴィッテンベルクからアイスレーベン

その2ヴァルトブルク城とワイマール

その1エアフルト

ここで、ルターの宗教改革の流れを少し振り返ってみたいと思います。

もともとカトリック教会から脱会したいとは思いもしなかったルターでしたが、1515年、教皇レオ10世の認可により販売されるようになった免罪符を批判し、その2年後に95か条の論題をヴィッテンベルク城教会の扉に提示しました。ルターの有名な言葉「聖書のみ、恵のみ、信仰のみ」 という、宗教改革の三大原理が生まれた原点はここにあったようです。

ルターの主張が全国的に広まった背景には活版印刷の発明も見逃せません。中世の頃、書物は修道士の手書きによる書き写しが主流でしたが、15世紀半ば、ヨハネス・グーテンベルクの活版印刷発明により書物の増刷が可能となり、95か条の論題や冊子など、ルターの教えを広めるのに大きな効を奏したのです。

この印刷技術がなかったら、100万部にも及ぶルターの聖書は一気に拡散されることも不可能でした。こうして庶民に浸透していったルターの主張は、既存のカトリック教との論争に大きな影響を与え、やがてプロテスタントの分離に展開します。  

こうしてルターの免罪符批判は瞬く間に大きな反響を呼びました。それを知った教皇は神聖ローマ帝国の権威を脅かすと激怒し、翌1518年、ルターに論題を撤回するようアウグスブルクで異端審問を行いました。それでもルターは自説を変えず、撤回を拒否したのです。

そして1521年、ルターはヴォルムス帝国議会の場で帝国追放(アナト)刑を宣言されたのです。

前書きが長くなりましたが、まずは世界中の観光客憧れの街ローテンブルクから紹介します。

ルターと魔女・ローテンブルク・オプ・デア・タウバー

旧市街の人気スポットはカメラを持った観光客でいつも賑やか。人が途切れた瞬間を狙って撮りました(筆者撮影)
旧市街の人気スポットはカメラを持った観光客でいつも賑やか。人が途切れた瞬間を狙って撮りました(筆者撮影)

ローテンブルク・オプ・デア・タウバーは、中世の街並みが素晴らしい、ドイツ南部のこじんまりとした街。中世に建てられた城壁に囲まれているローテンブルクは、昔ながらの建造物や42の城門と塔が独特な雰囲気を作り上げています。

絵本の世界に舞い込んだようなメルヘンチックな景観に魅せられ、カメラに収めようとする世界各国からの観光客をあちこちで見かけるのもこの街ならではです。その他にも、歴史的名所旧跡や博物館など、小さい街とはいえ、見どころがたくさんあります。

中世犯罪博物館ルター特別展にて(筆者撮影)
中世犯罪博物館ルター特別展にて(筆者撮影)

さて、ルターを知るスポットとして是非足を運びたいのは、中世犯罪博物館です。同博物館の常設展示品は中世の法律制度、警察制度の資料、拷問器具が多数あります。なかでも犯罪者や魔女と名指された庶民の拷問に使われた器具は残忍そのもの。目にするだけで鳥肌が立つほどですが、これらの作品とは別に現在ルターに関連する特別展示会が開催されています。(2018年12月まで)

ルター特別展にて。火あぶりの刑の再現(筆者撮影)
ルター特別展にて。火あぶりの刑の再現(筆者撮影)

カトリック教修道士だったルターは、誰よりも異教徒を嫌ったといわれています。中世に行われた魔女狩りに賛成派だったルターは、魔術を信じず「魔女と名指された人に同情心はない、すべてを火刑にするつもりだ」と、語っていました。

魔女狩りの全盛期16世紀、堕落していたカトリック(旧派)を批判し、プロテスタント(新派)を起こした宗教改革の浸透と新旧信者の対立など、かっての欧州は非常に不安定でした。しかも悪天候による飢饉や原因不明の疫病なども人々を苦しめました。これらの原因はどこにあるのか?その罪をなすりつけられた庶民は、魔女として罪を認めるまで拷問を受け、命を落としていました。また、ユダヤ人に対しても敵意を抱き、迫害をしていたようです。

同博物館に足を踏み入れれば、童話に出てくるようなかわいい街並みとは裏腹に、中世の非道で生々しい生活の一部がひしひしと伝わってきます。

帝国追放刑を受けた街・ヴォルムス

神聖ローマ皇帝カール5世は1521年4月17日、ラインランド・プファルツ州のヴォルムスでの帝国議会にルターを召喚。カール5世は、ルターに主張の撤回を求めましたが、拒否されました。こうしてルターは帝国追放刑を受ける羽目になったのです。

ドイツで最も美しいロマネスク建築のひとつといわれるヴォルムス大聖堂(筆者撮影)
ドイツで最も美しいロマネスク建築のひとつといわれるヴォルムス大聖堂(筆者撮影)

その後ヴィッテンベルクへの帰路、ザクセン・フリードリッヒ選定候の庇護を受けヴァルトブルク城に潜み、聖書をドイツ語訳にしたのです。

右後方には親友そしてよき協力者だったメランヒトンの像もあります(筆者撮影)
右後方には親友そしてよき協力者だったメランヒトンの像もあります(筆者撮影)

ヴォルムス大聖堂の公園に「われここに立つ」と宣言する聖書を持つルターの記念像があります。中央のルターを取り囲むように、左にはルターのよき理解者であり、保護者でもあったザクセン・フリードリッヒ選定候が、右にはルターを支持したヘッセン方伯フィリップ1世の像が立っています。

宗教改革のスタート地点・ハイデルベルク

ハウプト通りは観光客のメインストリート・ショッピングに観光にと大賑わい(筆者撮影)
ハウプト通りは観光客のメインストリート・ショッピングに観光にと大賑わい(筆者撮影)

古城と大学の街ハイデルベルクは、例年ドイツの観光地トップ10に入る人気都市です。13世紀にプファルツの首都として南西ドイツの中心地となり、1368年に国内最古のハイデルベルク大学が建てられ、学問文化の中心的存在になりました。

1518年4月、ルターはハイデルベルクのアウグスティノ修士会の招待を受け、この街を訪問しました。

現大学広場にあったアウグスティノ修士会跡に見られるルター訪問の記念碑(筆者撮影)
現大学広場にあったアウグスティノ修士会跡に見られるルター訪問の記念碑(筆者撮影)

修士会招待の本来の理由は、ルターを諭して穏便に解決することだったようですが、むしろルターは自説を熱く語ったといいます。現在の大学広場にあったアウグスティヌス修道院の総会でルターの考える神学的主張の討論が行われました。

ハイデルベルクは、95か条の論題が提示されてからヴィッテンベルクを離れてルターの主張する「信仰の本来のあり方」について力説した最初の街です。宗教改革のスタートを切った重要な地点といえるでしょう。

旧市街を歩きながら、ルターも訪問したハイデルベルク城や石畳を歩いてみたいものです。ルターゆかりの街と知れば、また違った視点で城や景色を眺めることができるでしょう。

6ヶ月滞在した街コーブルク

バイエルン州北部の街コーブルク。古城街道沿いのこの街は19世紀から20世紀はじめにかけてザクセン・コーブルク・ゴータ公国の繁栄した宮廷都市です。

英国やベルギーなど欧州各地の王家とのつながりを持つコーブルクには4つの華麗な城と宮殿(コーブルク城、エーレンブルク宮殿、カレンベルク宮殿、ローゼナウ宮殿)があり、コーブルク侯爵家が築いた輝かしい歴史を今に残します。

コーブルク城賽・ルターの記念碑が見られる(筆者撮影)
コーブルク城賽・ルターの記念碑が見られる(筆者撮影)

なかでも街のシンボルは、13世紀に建てられたコーブルク城塞です。  

1530年4月15日、ルターはアウグスブルクへ向かう途中この街を訪れ、城塞に6ヶ月ほど滞在しました。この城塞は16世紀以降、前出のザクセン・フリードリッヒ選定候の滞在地として使用されていたといいます。 

城塞博物館には、コーブルク侯爵家の収集したガラス工芸、武器・武具、馬車など、豊富なコレクションが展示されています。現在、これらの展示品に加え、バイエルン州主催のルター特別展が城塞で開催されています(今年11月まで)。ルターの部屋や、手紙、アウグスブルク帝国議会で提出された「アウグスブルク信仰告白」の準備資料など貴重な作品が見られます。

街の中心にあるマルクト広場で特に目を引く建物は、白の外壁にエンジ色の窓枠が特徴のシュタットハウス。後期ルネサンス様式の装飾豊かなシュタットハウスは、1597~1601年にかけてカジミア公爵が、自分の支配力を示すために建設したものといわれ、マルクト広場にある数々の美しい建物の中でも際立っています。 

マルクト広場で目を引くシュタットハウス(筆者撮影)
マルクト広場で目を引くシュタットハウス(筆者撮影)

コーブルクといえば、この街ならではの焼きソーセージをご存知でしょうか。このソーセージは、コーブルクの守護聖人マウリティウスの元帥杖の長さにちなんで、31センチと決まっています。松ぼっくりで焼くソーセージは、生の状態で31センチなので、焼きあがったら少し短めになります。

ソーセージが焼きあがる(左から右)につれ短くなるのがわかります。毎週土曜日8時から13時開催マルクト広場にて(筆者撮影)
ソーセージが焼きあがる(左から右)につれ短くなるのがわかります。毎週土曜日8時から13時開催マルクト広場にて(筆者撮影)

これまで4回にわたりルターにゆかりのある街を紹介しましたが、宗教改革500周年というテーマにこだわらなくても、魅力一杯のスポットが各地にあります。歴史の重みを感じる街並みや中世の独特な雰囲気に触れる各地を是非一度訪れてみたいものです。

取材協力・ドイツ観光局

在独ジャーナリスト

ビジネス、社会・医療・教育・書籍業界・文化や旅をテーマに欧州の情報を発信中。TV 番組制作や独市場調査のリサーチ・コーディネート、展覧会や都市計画視察の企画及び通訳を手がける。ドイツ文化事典(丸善出版)国際ジャーナリスト連盟会員

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