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イリア・マリニンの新技「ラズベリーツイスト」の衝撃。300点超えは「羽生とネイサンを研究した」

野口美恵スポーツライター
(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 今季の本格的な幕開けとなるGPシリーズの初戦、スケートアメリカ。その男子を制したのは、米国の新鋭イリア・マリニンだった。4回転アクセルを封印し、代わりに投入したのは新技「ラズベリーツイスト」。誰も見たことのない衝撃的な技と、昨季とはイメージを一新した演技で、歴代4位となる310.47点をマークした。インタビューを紐解きながら、300点超えへと繋がった足跡を追った。

昨季の世界選手権は「自分らしくジャンプにこだわるべきだ」

 米国生まれの18歳。両親はウズベキスタン代表としてオリンピックにも出場した、フィギュアスケート界のサラブレッドだ。6歳からスケートを始め、シニアに上がったばかりの昨年10月、史上初となる4回転アクセルを成功させた。

 今季の飛躍への布石となったのは、今年3月にさいたまスーパーアリーナで行われた世界選手権だった。ショートで2位発進し、フリーは4回転アクセルを含めて「4回転を5種6本」というジャンプ構成で挑んだ。

「僕のスケート人生で、一番の観客に囲まれた試合でした。だからこそ興奮し、『皆を感動させたい』という気持ちが自然に沸き起こりました。ショートで2位発進だったので、メダルのためには堅実な戦略もありました。でも、ファンの皆が熱を持って応援してくれているのを感じて、自分らしくジャンプにこだわるべきだ、4回転アクセルを決めてやる、と思いました」

 フリーの演技冒頭で4回転アクセルを成功。しかし集中力は切れなかった。

「4回転アクセルは、自分でも良いジャンプを跳べたなと分かりましたが、すぐに次のジャンプのことを考えました。合計6本の4回転があるんです。喜んで集中力が切れたり、嬉しくなってスピードが出たりすると余計なエネルギーを使ってしまう。最後の最後までジャンプだけにエネルギーを使っていこうと考えていました」

 いかにジャンプに挑んでいったかを、嬉しそうに話してくれたマリニン。4回転への熱い想いが、とめどなく溢れた。

「とにかく自分の限界に挑戦することが好きなんです。最初に成功した4回転ジャンプはサルコウでした。そしてトウループ、ルッツ、その次がアクセルです(笑)。4回転フリップのほうが後で、4回転ループが最後です。4回転アクセルは、22年春、アメリカのスケート連盟の強化合宿のときに初めて挑戦しました。北京五輪で羽生結弦さんが『4回転半は、人類にとって可能』ということを証明してみせた。彼が限界の扉を開けましたよね。だから僕も続こうと思ったんです。日本での世界選手権で『4回転5種類』を入れることは、僕にとって何より大きな目標でした」

世界選手権フリーでは6本の4回転に挑んだ
世界選手権フリーでは6本の4回転に挑んだ写真:長田洋平/アフロスポーツ

「4回転だけじゃダメなんだと突きつけられた気がした」

 世界選手権のフリーで5種類6本の4回転に挑んだマリニンは、期待を胸に、得点を待った。しかしフリーは3位で、総合288.44点での銅メダル。嬉しさ爆発、とはいかなかった。

「僕自身、『4回転をこれだけ決めたんだから凄い点が出るかも』と思っていました。自己ベストの得点でしたし、メダルにも手が届いて、満足ではありました。でも、周りの反応は違ったんです。すでにGPシリーズの頃からも『4回転ばかり跳んでいる』『演技構成点が伸びていない』と言われていたのも知っていました。それでも『4回転の神』と注目されているし、その期待に応えようと目指してきました。でもやっぱり『4回転だけじゃダメなんだよ』という意見を、突きつけられた感じがしたんです」

 高難度ジャンプの“リスクとリターン”については、記者会見でも質問が出た。敏感な若者は、もう翌朝には、シフトチェンジの必要性を理解していた。

「『4回転5種類』という目標にこだわり、4回転でエネルギーを使い果たす、という演技は、今季やってみました。でもそれは無駄な努力だったのかもしれません。だからといって、もし『ただ完璧に滑ることだけ』を求められているスポーツだとしたら、4回転は必要ありませんよね。4回転が何本必要か、というのは難しいバランスです。少なくとも、僕の場合はまず、ミスのないクリーンなプログラムは大前提だと思います」

 23-24シーズンは、4回転アクセルを封印する可能性もあるか、と聞くと、笑って答えた。

「そういうことです。まずは4回転を全部やめて、3回転でパーフェクトに滑るところからスタートします。そこから4回転を1種類ずつ増やしていって、その試合の時点でパーフェクトに出来るものをやる。やみくもに4回転をたくさん入れた構成で練習をスタートするのは、先見性がないと思います」

 それに、といって付け加えた。

「世界選手権の間、他の選手の演技を見て、ファンの皆さんの反応で気づきました。皆さんは“クリーン”なだけでなく“美しい演技”を求めてるということ。滑りや演技を伸ばしていくことは必要なんだと、今はそう思っています」

メダリスト同士で記念撮影
メダリスト同士で記念撮影写真:長田洋平/アフロスポーツ

シェイリーン・ボーンと過ごし「スケートに対する視点が変わった」

 それからのオフシーズン。マリニンは昨季とは別人のように、スケーティングと演技に時間を費やした。まず振付師シェイリーン・ボーンに、ショート、フリーのプログラムを依頼した。

「実はジュニアだった21-22シーズンまでは、プログラムの振り付けは、すべて自分で決めていました。だから振付師もいなかったんです。シニアに上がるということで、昨季のフリーはシェイリーンに振り付けを依頼して、スケーティング技術を向上させるヒントになりました。やっと『振付師にお願いすることの重要性』が分かったという感じ。スケートに対する視点がちょっと変わりました。なので新しいプログラムは、2つともシェイリーンと共に創り上げることにしたんです」

むしろ、21-22シーズンまでは自分で振り付けしていたということが驚きだが、その理由をこう説明してくれた。

「他の選手のプログラムを見て、真似しながら作っていたんです。特に羽生結弦さんのプログラムはかなり見て、トレースしてきました。僕にとっては、好きなスケーターの演技をそのまま取り入れるほうが、すんなりと出来るので、ジャンプに影響がないと思っていたんです。自分が得意な動きだけでプログラムを作ればジャンプに集中できますから。振付師に新しい動きを作ってもらうと、その動きを習得するのが大変だろうと思っていたんです」

オフは多くのアイスショーに出演し、表現力を磨いた
オフは多くのアイスショーに出演し、表現力を磨いた写真:西村尚己/アフロスポーツ

3年後の五輪に向けて「演技構成点を伸ばしていく」

 意識を改革したマリニンのために、シェイリーンが選んだショートは、『マラゲーニャ』。歴代の名スケーターが演じてきたフラメンコ。情熱を伴う魂の表現を要求される曲である。まさに“演技力”を磨くためのステップといえる選曲だった。

またフリーは、HBOの人気ドラマシリーズ『サクセッション』のサントラに決まった。こちらはドラマティックで、スケーティングの雄大さやなめらかさが必要とされる曲。スケーティングスキルの向上を目指した選曲であることがうかがえた。

「これまでの自分だったら選ばなかったジャンルの音楽に、今季は挑戦していきます。アーティスティックに、そして創造的に、滑りを追求していきます」

 そしてこう付け加えた。

「これからミラノ(コリティナダンペッツオ)五輪まで時間があるので、何年かかけて演技構成点を上げていこうと考えています。これからは振付師と一緒に、スケーティング技術をより効率的に伸ばしていくアプローチができると感じています。とても楽しみです」

ショートはフラメンコの動きを研究
ショートはフラメンコの動きを研究写真:西村尚己/アフロスポーツ

ロシア語で“マリニン”はラズベリーを意味する

 今季の初戦となった9月のオータムクラシックでは、ショートはパーフェクトの演技で100.87点をマーク。フリーは4回転アクセルを回避し、4回転3本を決めて、281.68点で優勝した。

「夏の間、僕とシェイリーンは、演技の質に多くの時間をかけてきました。スピンもより加点をもらえる質を意識し、ジャンプもランディングの流れを良くしようと考えながら練習してきました。すべての努力が良い方向だったと感じています」

 そして何より世界を驚かせたのは、ショートではステップシークエンスの最後、そしてフリーではスピンの前に入れたムーブメントだった。バタフライのように踏み切ったあと、身体を横に倒し、1回転する。ペアの技であるツイストのように、身体が地面と並行になり回転する技。誰も見たことのないその動きを、マリニンは「ラズベリーツイスト」と名付けた。そして、ロシア語で“マリニン”がラズベリーを意味することが由来だ、と付け加えた。

 文字通り「代名詞」となる技の誕生だった。

体を横に倒しながら回転するラズベリーツイスト
体を横に倒しながら回転するラズベリーツイスト写真:西村尚己/アフロスポーツ

「ユニークな唯一の存在のスケーターになりたい」

 GP初戦のスケートアメリカに向けては、すべての準備が整っていた。4回転アクセルを回避すること、そのぶん演技とスケーティングに注力すること、そして新技ラズベリーツイストでファンの心をつかむこと。

ショートは2本の4回転を決め、パーフェクトの演技。マラゲーニャの世界観に入り込み、キレ味ある滑りを見せた。

「これまでのキャリアの中でも最高のパフォーマンスでした。演技の最後にみんなが熱狂してくれてるのも感じて、とても気持ちが盛り上がりました。今シーズンは、まさか僕が選ばないだろう、と皆が思うような新しいスタイルにしたかった。このラテンの世界に身体を適応させるために、シェイリーンと何時間も努力してきました」

 フリーは、珍しく緊張したというマリニン。その緊張は、音楽が流れると、いわゆる“ゾーン”の集中状態へと変化していった。トリプルアクセルから始まり、4本の4回転をすべてクリーンに降りていく。最後の「3回転ルッツ+3回転アクセル」も決めると、ラズベリーツイストで締めくくった。

「良い準備ができたにもかかわらず、氷に足を踏み入れるまでは、どうなるか少し不安もありました。だから、自分の筋肉の記憶に頼っていけば大丈夫、と言い聞かせました。演技中は音楽と演技にのめり込んで、周りで何が起こっているのか意識していなかったほどです」

 フリーの206.41点が表示されると、満面の笑みで拍手。歴代4位となる総合310.47点の数字を見ると、思わず両手で顔を覆った。

「これほどの結果を残せるとは思っていませんでした。ただ、何時間も練習を積み重ねて、やるべきことをやってきただけでした」

 演技構成点も8点台後半をマークし、昨季から一気に飛躍した。その理由を尋ねられると、こう説明した。

「ネイサン・チェンや羽生結弦など、他のスケーターたちのベストパフォーマンスを見て、彼らのプログラムからいくつかの瞬間をピックアップし、それを自分のプログラムに落とし込むという作業をしてきました。もっと高い意識で演技を磨いていきます」

 米国に誕生した、新たな300点スケーター。夢は広がるばかりだ。

「僕の両親はウズベキスタン出身で、僕は米国生まれ。そういった意味で、単なる米国人スケーターではなくて、すべての国で受け入れられる選手になりたい、という気持ちがあります。このフィギュアスケートという競技の限界を押し上げていく存在になって、ゲームチェインジャーになりたい。大切なのは、ユニークな唯一の存在のスケーターになることだと思っています」

 代名詞ラズベリーツイストを武器に、唯一のスケーターへと成長していく。

スポーツライター

元毎日新聞記者。自身のフィギュアスケート経験を生かし、ルールや技術、選手心理に詳しい記事を執筆している。日本オリンピック委員会広報としてバンクーバーオリンピックに帯同。ソチ、平昌オリンピックを取材した。主な著書に『羽生結弦 王者のメソッド』『チームブライアン』シリーズ、『伊藤みどりトリプルアクセルの先へ』など。自身はアダルトスケーターとして樋口豊氏に師事。11年国際アダルト競技会ブロンズⅠ部門優勝、20年冬季マスターゲームズ・シルバー部門11位。

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