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羽生結弦が開拓する「新しいプロアスリート像」新時代のプロフェッショナルな生き方とは

野口美恵スポーツライター
8月10日にはプロ転向後の一歩目として、公開練習イベントをオンライン配信する(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

7月19日、羽生結弦がスケート人生の1つの節目を迎えた。「決意表明」として開いた会見では、「プロのアスリート」という言葉にこだわった。自身に限界を感じて競技から身を引く引退とは違う。「伸びしろをいっぱい感じています。期待していてください」と言い切り、希望に満ちた瞳をしていた。8月10日にはプロ一歩目の活動として、「Share practice」と題する公開練習イベントを、自身の公式YouTubeチャンネルでライブ配信する。羽生が開拓しようとする「新しいプロアスリート像」が形を見せはじめている。

ファンタジー・オン・アイスで演技する羽生選手
ファンタジー・オン・アイスで演技する羽生選手写真:松尾/アフロスポーツ

プロ選手のいないフィギュアスケート

制度上の「アマ」と「プロスケーター」とは

19日の会見で羽生は、スケーターの生き方について、様々な気付きを与えてくれた。会見での言葉でハッとさせられたのは、そもそも「アマチュアとプロフェッショナルとは何か」というアスリートの本質的な部分だ。羽生があえて使った「プロのアスリート」という言葉を紐解いていくことで、様々なスポーツ界の問題、そして可能性が見えてくる。

羽生は会見でこう話した。

「ネガティブに引退とか、なんか不思議ですよね。フィギュアスケートって現役がアマチュアしかないみたいな感じで、すごく不思議だなって僕は思っているんです。野球を頑張っていて、甲子園で優勝しました、プロになりました、それは引退なのかなって言われたらそんなことないじゃないですか。僕はそれと同じだと思っています」

そもそも制度上の「アマ」とはなにか。アマチュア選手は、日本スケート連盟に「選手登録」し、登録料を支払い、1年ごとに更新する。選手登録をすることで、バッジテストや国内大会への参加が認められるだけでなく、国際大会へのエントリーに必要な「選手証明書」の発行を受けることができる。また全日本選手権や国体、国際大会に出るためには、JADA(日本アンチ・ドーピング機構)の居場所登録を続けることも必要で、風邪薬1つ飲むにも気を使う選手生活が続く。

一方、「競技引退」を決めた選手は、日本スケート連盟に「選手登録抹消」を申し出て、同時にJADAの登録から除外され、公式戦に出場する資格を失う。このときに、肩書は「選手」ではなくなり、「元選手」となる。ここまでは、ショートトラックやスピードスケートの選手も同様だ。

ところがフィギュアスケートの場合、競技とは別に「アイスショー」という活躍の場があり、ここを主な活動の場とする人のことを「プロスケーター」と呼んでいる。プロと言っても、プロ選手ではなく、あくまでも「ショースケーター」を指す通称に過ぎない。現役選手も同じアイスショーに出演しているが、この場合はプロスケーターとは呼ばない。また、引退してコーチになると、人に教える立場としてプロフェッショナルな人間ではあるが、プロスケーターとは呼ばれていない。つまり、一般的に「アマチュア」と「プロフェッショナル」という言葉の持つニュアンスとはだいぶ違う意味で「プロ」「アマ」が使われているのだ。ここが、羽生が「不思議」と感じているゆえんだろう。

2022年2月、北京五輪の閉会式
2022年2月、北京五輪の閉会式写真:青木紘二/アフロスポーツ

アマチュアリズムとオリンピック

進む商業化とプロ選手の参加

ではなぜ、フィギュアスケートだけが、プロリーグは存在しないのにショースケーターをプロと呼んでいるのか。それには、古代オリンピックの精神である、アマチュアリズムに起源がある。古代オリンピックでは、参加者を称えることが栄誉であると考え、勝者には金銭ではなくオリーブの枝で作った冠が授与されていた。近代オリンピックでもアマチュアリズム、つまり「スポーツと金銭を結びつけない」という精神は継承され、1925年、国際オリンピック委員会(IOC)は、オリンピック憲章で「いかなる競技もアマチュア選手でなければならない」というアマチュア規定をルール化した。

しかし時代は移り変わり、オリンピックの競技はハイレベルになっていく。勝利主義のなか、社会主義国では、国が費用や生活費を保証することでハードな練習を毎日繰り返す「ステートアマ」と呼ばれる選手も登場した。また観客側も一流選手によるハイレベルなパフォーマンスを求めるようになった。時代の流れを受け、1974年、IOCはアマチュア規定を削除。スポーツで金銭を稼ぐプロ選手も五輪に出られるようになった。

さらに1984年ロサンゼルス大会からは、オリンピックそのものが商業化し、テレビ局への放映権の販売、協賛企業によるオリンピックマーク使用など、新たなスポーツビジネスモデルが創り出された。88年ソウルオリンピックでプロ選手が初参加。その後もプロ競技が次々と加えられ、東京2020オリンピック・パラリンピックでは、サーフィンやスケートボードなどアーバンスポーツも採用された。

もはやオリンピックにおいては、「アマ」は金銭の授受がなく、「プロ」は収入があるという境界線は無くなった。しかしアマチュア競技団体の運営上は、「アマチュアリズム」の精神がそのまま残っており、競技者は「スポーツで得た名声を商業利用しない」とする扱いが継続している。

特に、アマチュアリズムが強く残っていた80年代、90年代、アイスショーに出るのは、もっぱら引退したスケーターたち。そのため「プロ=商業活動」という意味で「プロスケーター」という呼称が定着した。今はその規定が緩和され、現役選手は事前に理事会の承認を受けた上で、アイスショーに出演する。むしろ現役選手のほうが、競技レベルも知名度も高くアイスショーの主役になるケースも増え、現役選手とプロスケーターの境目がわかりにくくなってきたのだ。

2020年四大陸選手権で羽生を送り出すブライアン・オーサーコーチ
2020年四大陸選手権で羽生を送り出すブライアン・オーサーコーチ写真:松尾/アフロスポーツ

「生き様そのものが結弦の社会活動になる」

ブライアン・オーサーもエール

「プロ=商業活動」という定義が崩れているいま、羽生が「プロ」宣言をしたのは、これからは商業活動をするという意味ではない。彼は、現役時代からCMやアイスショーに出演し、自らの活動費を自分で稼いできた。さらにその収益の一部を日本スケート連盟に納め、後輩アスリート達の活動費へと還元してきたのである。それを「プロフェッショナル」と呼ばずして、何がプロなのだろうかと思わせられる。会見で羽生自身は、プロを決意したきっかけをこう語っている。

「先日(5月、6月)ファンタジー・オン・アイスを滑らせていただいた時、改めて『ああより高いステージに立ちたい。より一層、努力したことがちゃんと皆さんに伝わるステージに行きたい』と思いました」。

つまり、このプロ宣言は「より一層プロフェッショナルを極める」という、精神的、技術的な誓いなのだ。

コーチのブライアン・オーサーは、羽生の決意をこう見る。

「結弦はいま27歳。プロとして社会人として、より責任を持って、職業としてスケートに取り組みたいと思うようになったのだと思います。これまでは、試合での演技や勝利を通じて、ファンに夢を与えてきました。しかしこれからは、スケートが職業となりますから、試合だけでなく、生き様そのものが彼の社会活動になるんです。そういった、より重い責任と使命を背負う人生を、彼は歩みたいと思っているのではないでしょうか。

僕の時代は、今のように現役選手がアイスショーで滑るチャンスは少なかったので、プロに転向して、自分の技術や芸術の可能性を無限に広げていけることは、本当にワクワクしました。試合後のエキシビションとは違う、様々なショーに出演しましたし、スケートの映画もありました。今の日本は、スケートにとって様々なチャンスがあります。とても良い時代になったと思います。だから今、結弦の目の前には、無数の選択肢、無限の可能性広がっていて、やる気に溢れていると思いますよ」

7月19日、決意表明の会見には多くの報道陣が集まった
7月19日、決意表明の会見には多くの報道陣が集まった写真:ロイター/アフロ

「今の時代に合ったスケートの見せ方を」

公開練習をオンライン配信、新たなショーも

会見では、プロ活動のプランについても言及した。

「具体的に進めようとしていることはあります。(中略)競技者としてやってきた時は、試合の前だけの露出だったり、試合で演技することに限られてきましたが、もっと今の時代に合ったスケートの見せ方であったり、『これだったら見たい』と思うようなショーであったり、応援してくだる方々が納得する場所や演技だったり、そういったものを続けていきたい」

この活動の一歩目が、10日に行われる公式練習のライブ配信なのだろう。練習する姿をファンに向けてライブ配信するというのは、少なくともフィギュアスケーターとしては初の試みだ。まさに「今の時代に合ったスケートの見せ方」であるし、試合とは違う露出になる。

また「プロのアスリート」という言葉が持つ「アスリート」の意味を、こう説明した。

「アイスショーって華やかな舞台でエンターテインメントというイメージがあると思うんですけれど、僕はアスリートらしくいたい。もっともっと難しいことにチャレンジしたり、挑戦して戦い続ける姿を皆さんに見て頂きたいと思って、この言葉達を選びました」

単なるショースケーターへの転身ではない。その強い決意がこめられた言葉。そしてアスリートとして目指し続ける1つの頂は、やはり4回転アクセルだ。会見ではこう話した。

「北京五輪ですごく良い体験ができたと思っています。今も4回転半の練習を常にやっています。北京五輪、そして北京五輪の前にも、いろんな知見を得られたからこそ、今の段階でも『もっとこうやればいいな、こうできるな』という手応えがあります。今は伸びしろをいっぱい感じています」

この難攻不落の壁に孤高に挑み続けることこそが、プロアスリートとしての象徴なのだろう。また「アスリート」という発言から考えると、将来的に、独自にプロリーグを作ったり、プロ競技会を開いたりすることも、考えられる。会見では「別に競技会を作ったりとか大会を作ったりは考えていない」とは話していたが、まずはアイスショーの一部として、「ジャンプ大会」「スピン大会」や「4回転アクセルチャレンジ」など、試合に近い緊張感のあるイベントを取り込んでいく可能性がある。

オーサーコーチは羽生に、こうメッセージを送る。

「僕がプロに転向した時代を振り返ると、プロを名乗ることで、試合に出ていた頃に比べて、すべての行動の質が高くなったと感じていました。プロとしてトレーニングする際の責任感、仲間とのやりとり、素晴らしいショーを作ろうという気概、新しいアイデアの受け入れ、そして実行に移していくパワー。すべてがより一流になります。その刺激が、さらに次のステージへと自分を導いていってくれます。とにかく結弦を束縛するものは何もありません。結弦がよりプロフェッショナルなスケート人生を歩んでいく、その一歩をとても嬉しく思います」

羽生が開拓していく「プロのアスリート」とは、一流のプロフェッショナルなスケーターであり、そして心身の絶え間ない向上心をもつアスリートという生き方。彼はやはり、永遠のフロンティアなのだ。多くのスケーター達に、そしてファンに、その生き方を通して夢を与え続けていく。

スポーツライター

元毎日新聞記者。自身のフィギュアスケート経験を生かし、ルールや技術、選手心理に詳しい記事を執筆している。日本オリンピック委員会広報としてバンクーバーオリンピックに帯同。ソチ、平昌オリンピックを取材した。主な著書に『羽生結弦 王者のメソッド』『チームブライアン』シリーズ、『伊藤みどりトリプルアクセルの先へ』など。自身はアダルトスケーターとして樋口豊氏に師事。11年国際アダルト競技会ブロンズⅠ部門優勝、20年冬季マスターゲームズ・シルバー部門11位。

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