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【熊本】熊本地震で飼育放棄されたボクサー犬・吾郎、人のこころを癒すセラピードッグとして活躍中

西松宏フリーランスライター/写真家/児童書作家
精悍な体つきになった吾郎。ボール遊びが大好きだ(18年10月21日、九州動物学院にて。筆者撮影)
精悍な体つきになった吾郎。ボール遊びが大好きだ(18年10月21日、九州動物学院にて。筆者撮影)

熊本地震の直後に飼育放棄され、現在は熊本県内の高齢者施設などを定期的に訪問し、人に癒しを与えるセラピードッグとして活躍している人気のボクサー犬がいる。名前は「吾郎」(オス、推定8歳)。九州動物学院(熊本市中央区、徳田竜之介理事長)の看板犬で、ふだんは同校の学生たちが面倒をみている。

今から3年前。熊本地震の本震から3日後の2016年4月19日早朝のことだった。熊本市東区にある熊本市動物愛護センターの門扉に、2頭のオスのボクサー犬がワイヤーリードで繋がれ、放置されているのが、同センター職員によって発見された。

収容されたばかりの「サー」(のちの吾郎)。(熊本市動物愛護センター提供)
収容されたばかりの「サー」(のちの吾郎)。(熊本市動物愛護センター提供)

そのときの状況を同センターに尋ねると、「スライド式で左右に開く扉(正門)の右と左に、1頭ずつワイヤーで繋がれていた。じゃれあったのかワイヤーはもつれ、糞尿で体が汚れていた」。2頭とも人馴れしていておとなしく、職員がワイヤーをはずして収容したという。

地震の被害にあい、避難を余儀なくされて世話できなくなったからなのか。2頭をセンターの門扉にくくりつけて飼育放棄した元の飼い主は今もわかっていない。

2頭は「ボク」、「サー」という仮の名前をつけられた。「サー」の方がのちの吾郎だ。同センター嘱託職員で動物看護師の白岩加奈絵さん(27)は、当時の2頭の様子についてこう振り返る。「人間や他の犬に吠えたり噛みついたりといった攻撃性はどちらにもなく、ともに温厚でおとなしい性格でした。ボクの方は少し体ががっちりし、人の表情を読む賢い子。サーは明るくて、人と接するのが大好き。『かまって!かまって』という感じでした。ペットボトルを投げると何度も持ってきては、ガジガジかじって無邪気に遊ぶ姿が今も忘れられません」

「『僕ともっと遊んでほしいんでしょう?』といわんばかりにペットボトルをかじっていました(笑)」と白岩さん(熊本市動物愛護センター提供)
「『僕ともっと遊んでほしいんでしょう?』といわんばかりにペットボトルをかじっていました(笑)」と白岩さん(熊本市動物愛護センター提供)

5月半ば、病気や体調不良が特になかったボクは、大型犬を飼っている一般家庭にもらわれていった。だが、サーはストレスからか、脱毛して皮膚はボロボロ。痩せこけて、下痢もなかなかとまらなかった。そのため、センターのホームページに里親募集の告知を出しても、なかなか引き取り手は決まらなかった。

九州動物学院(熊本市中央区、徳田竜之介理事長)は、動物看護師、トレーナー、トリマーなど、動物に関わる仕事を志す学生たち73人が学んでいる(4月16日現在)。併設の竜之介動物病院と共同でボランティア団体「BOX竜之介」を02年に立ち上げ、現在は年に30回ほど、指導者と学生がチームを組んで、訓練された犬などの動物とともに、県内8か所の高齢者施設を順次訪問。動物介在活動(アニマルセラピー)を行っている。

16年12月、それまで看板犬として活躍していた人気者のラブラドール犬「ハザラ」が亡くなった。後任を探していた徳田理事長は、震災直後の5月、熊本市動物愛護センターを訪れたことがあった。そのとき、ボクとサーを見かけ、「ボクサー犬のこんないい子たちが収容されているなんて珍しい」と驚いたことをふと思い出した。

センターに問い合わせてみると、「サーはまだいる」との返事。「それなら学院でセラピードッグ候補として引き取りたい」とセンターに申し出た。センターでサーの世話をしていた白岩さんは同院の出身。「学院で面倒をみてもらったら幸せになれるのでは」とちょうど思っていたところだった。

センターへ引き取りに行った時、三重野先生(右)は「私たちがこの子を絶対に幸せにしてみせる」と心に誓った(九州動物学院提供)
センターへ引き取りに行った時、三重野先生(右)は「私たちがこの子を絶対に幸せにしてみせる」と心に誓った(九州動物学院提供)

さっそく、同院の教員で獣医師の三重野千代さん(64)と、学生支援課の井上竜一さん(32)が、サーに会いにいった。三重野先生は初めて吾郎と会ったときの印象をこう話す。「とてもおとなしく、ちょっとこわがりやさんでした。物悲しそうに訴えかける目でこちらをじっと見つめるので、これはもう学院に連れて帰って、私たちがこの子を幸せにしなければと思いました。大震災という恐怖体験をした上に、これまで可愛がってくれていたであろう飼い主から突然見放され、置き去りにされて、辛い思いをしてきたと思うんです」

センターから引き取ったのは17年1月31日。今は28キロある体重も、当時は18キロほどしかなく、三重野先生は、「骨に皮がくっつくほど痩せていたので、ボクサー犬にふさわしい、精悍でがっちりとした筋肉質の体にしたいという欲求がむくむくと湧いた」そうだ。学生たちの投票で、アイドルグループのファンの学生の意見が通り、人気者になってほしいとの願いを込めて「吾郎」と名付けられた。

円形脱毛症がひどく、下痢気味でもあったため治療や食事の管理を徹底。それと並行して、セラピードッグになるための訓練も始めた。吾郎はふせ、おすわりができず、これまできちんとしたしつけを受けたことがあるようには見受けられなかったという。

動物介在活動に参加するためには、人に慣れている、体のどこを触っても嫌がらない、健康面や衛生面で問題がない、他の動物を見ても興奮しない、どんな場所でも落ち着きがあるといった条件に加え、人のそばで寄り添いながら歩くリーダーウォークがきちんとできること、おすわり、まて、こいといったコマンドの習得が不可欠だ。元々、人が好きで、他の動物を見ても興奮しないなどセラピードッグとしての素質があった吾郎だが、リーダーウォークや基本のコマンドなどは一から訓練して教え込まねばならなかった。

動物介在活動の前にウォーミングアップする井上先生と吾郎(18年10月21日、熊本県内にて。筆者撮影)
動物介在活動の前にウォーミングアップする井上先生と吾郎(18年10月21日、熊本県内にて。筆者撮影)

訓練担当の井上先生が振り返る。「吾郎を担当した男子学生との二人三脚で、吾郎は少しずつ心を開いていきました。その彼も犬を訓練するのは初めての経験。ボクサー犬という犬種について学ぶことから始まり、食事や排泄の世話はもちろん、昼休みになるとそれまで覚えたことを忘れないよう必ず復習させたり、放課後には外に慣れるため学校の近辺を散歩させたりと、吾郎と一心同体になって献身的にトレーニングに取り組んでいました」

「印象的だったのは、『やっぱりおじいちゃんやおばあちゃんが喜ぶような芸が何かできないとね』とのことで、お手とおかわりを教えようということになったのですが、1週間も経たないうちにすぐできるようになったことです」(井上先生)

およそ5ヶ月弱の間に、おすわり、まて、こいもしっかりマスターした。「ここまでできたのは、担当した彼のハンドラーとしての厳しさと、いつも犬の気持ちを考えながらしつけや訓練を積み重ねてきた愛情が、吾郎に伝わったからだと思います」(同)

17年6月17日、吾郎は美里町にある特別養護老人ホームで、セラピードッグとしてデビューした。入居者との触れ合いは30分間が基本。車椅子に座った20人ほどが輪になり、ハンドラーを務める学生が順番に話しかけていくのだが、吾郎は大勢の人たちを前にして、明らかに緊張していたという。

「最初の10分くらいはソワソワしていました。でも、人に触ってもらううちに落ち着きを取り戻し、大丈夫なんだと安心したのか、最後は自分から後ろを向いて背中をなでてもらっていました。最初にしては上出来で、訓練を積めばもっといい仕事ができると手応えを感じました」(井上先生)

アニマルセラピー活動の様子(18年10月13日、熊本県内の特別養護老人ホームで。筆者撮影)
アニマルセラピー活動の様子(18年10月13日、熊本県内の特別養護老人ホームで。筆者撮影)

今もそうだが、吾郎が高齢者施設に行くと、よくいわれるのは、「勇ましか顔しとるね」という一言。そういわれたときはハンドラーが「背中だけでも触ってみませんか」と勧めてみたり、お手やおかわりの芸や、得意の変顔を披露したりする。すると、最初は怖がっていたお年寄りとの距離が少しずつ縮み、「お利口さんなんやね」「かわいかねー」「おもしろか」と警戒心がほぐれてくる。一見怖い顔だが、実は心優しいというギャップが、吾郎にしかない魅力であり強みでもある。

事務局長でこの活動に同行する堀川貴子さん(40)はいう。「打ち解けてくると『私も昔、シェパードを飼ってたことがある』とか、どんな犬だったかといった思い出話を懐かしそうにし始める方もよくおられます。動物とのふれあいがきっかけとなって自然と笑顔になり、昔の記憶が蘇ってくるんです。日々世話をしている施設の方でさえ知らない事実がわかることもあります。それまで暗かった方が明るくなり、施設の方々との会話が弾むようになって、睡眠も深くなるといった効果もあるようです」

現在は県内8か所の高齢者福祉施設を回っているが、吾郎は入居者から「ゴローさん」と呼ばれて親しまれ、「今度はいつくると?」と次回の訪問を熱望されるほどの人気ぶりだ。

18年7月から10月までは毎月1回(計4回)、熊本市北区にある、おがた小児科・内科(緒方健一院長)と連携し、小児医療の分野で動物による癒し効果を検証する取り組みにも挑戦。吾郎や小型犬など4〜6頭が、同院のそばにある児童発達支援施設「ぱんぷきん」を訪れ、重症心身障害児4〜7人と触れ合った。綿密な事前打ち合わせを行い、活動前と後の体温、呼吸数、心拍数などを測定して、子どもたちに現れた反応などを細かく記録した。

脳性麻痺を患うりきのすけくん。吾郎の体に自分からふれようとし、笑顔もみせた(18年9月29日、熊本市北区の「ぱんぷきん」にて。筆者撮影)
脳性麻痺を患うりきのすけくん。吾郎の体に自分からふれようとし、笑顔もみせた(18年9月29日、熊本市北区の「ぱんぷきん」にて。筆者撮影)

9月29日、犬たちの同施設への訪問は3度目。吾郎は、重症心身障害がある、りきのすけくん(6)のもとへ。前回は吾郎が顔を近づけすぎてしまったため、りきのすけくんは驚いて泣き出してしまったという。今回は怖がらせないよう、正面からではなく横からさりげなく近づいた。

目と目が合い、しばらく無言で見つめう。言葉での会話はないが、りきのすけくんと吾郎にしかわからない世界で、何かを話しているようだった。職員の磯部雅子さん(30)は「おそらく『ぼくのうちにこない?』とか『今度はいつくるの?楽しみに待ってるからね。約束だよ』とか、そんな会話をしていたのかもしれませんね(笑)」。そして、りきのすけくんは、手の甲を自分で吾郎に近づけてなでようと力を入れ、「いつもはほとんど見せない」(磯部さん)という笑顔も時折みせた。

「中には犬を初めて見るという子もいましたが、自分からワンちゃんに手を伸ばして触ろうとしたり、笑みを浮かべたりと、もしぬいぐるみだったら絶対にみられないであろう反応を、吾郎たちは引き出してくれたと思います。動物が持つ不思議な力を改めて実感しました」(堀川さん)

徳田理事長は「飼い主に見捨てられ、ともすれば殺処分の可能性もあっただけに、こうして世の中の人たちの役に立ち、活躍することは、全国の保健所に収容されている犬たちの希望の光となるはず」と吾郎の活動に期待を寄せる。

秋田犬の「春」(右、メス、推定3歳)とのツーショット。春は迷子だったところを保護された。熊本県動物愛護センターから引き取り、昨秋セラピードッグとしてデビュー。いま人気の2頭だ(筆者撮影)
秋田犬の「春」(右、メス、推定3歳)とのツーショット。春は迷子だったところを保護された。熊本県動物愛護センターから引き取り、昨秋セラピードッグとしてデビュー。いま人気の2頭だ(筆者撮影)

三重野先生もこう話す。「アニマルセラピー活動を通じて、人間も笑顔になるけど、役割を得た吾郎自身も幸せ、という形になるのが理想です。やらされてストレスがたまるというのではなく、人間と触れ合うことってなんて楽しいんだろう、嬉しいことなんだろうって、吾郎に感じてもらえたら最高ですよね。そんなふうに吾郎と私たちがいい関係を築けるよう、これからも努めていきたいですね」

フリーランスライター/写真家/児童書作家

1966年生まれ。関西大学社会学部卒業。1995年阪神淡路大震災を機にフリーランスライターになる。週刊誌やスポーツ紙などで日々のニュースやまちの話題など幅広いジャンルを取材する一方、「人と動物の絆を伝える」がライフワークテーマの一つ。主な著書(児童書ノンフィクション)は「犬のおまわりさんボギー ボクは、日本初の”警察広報犬”」、「猫のたま駅長 ローカル線を救った町の物語」、「備中松山城 猫城主さんじゅーろー」(いずれもハート出版)、「こまり顔の看板猫!ハチの物語」(集英社)など。現在は兵庫と福岡を拠点に活動。神戸新聞社まいどなニュースで「うちの福招きねこ〜西日本編」連載中。

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