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【岡山・備中松山城の「猫城主」さんじゅーろー物語】西日本豪雨災害で激減した観光客がV字回復中

西松宏フリーランスライター/写真家/児童書作家
備中松山城の猫城主・さんじゅーろー(筆者撮影)

「日本一高い場所に現存天守がある山城」として知られる岡山県高梁 (たかはし)市の備中松山城でいま、1匹の茶白の猫が「猫城主」として国内外の熱い注目を集めている。「さんじゅーろー」(オス、推定3歳)だ。

昨年(2018年)7月に起きた西日本豪雨災害では同市も甚大な被害を受け、観光客は激減した。しかし、豪雨災害後、さんじゅーろーが城に住み着くようになり、地元のテレビや新聞など多くのメディアに取り上げられると、備中松山城への来城者数はV字回復。いまも右肩上がりが続いており、国内のみならずアジアなど海外からも、噂を聞きつけた猫好きたちが、険しい登城道をものともせず次々と訪れている。

さんじゅーろーは、城を管理している一般社団法人高梁市観光協会が飼育、世話をしている。現在、暮らしているのは天守前の本丸にある五の平櫓(管理員詰所)。この建物内にケージがあり、本丸公開時間中(4月〜9月は午前9時〜午後5時30分、10月〜3月は午前9時〜午後4時30分まで)は城の管理人とともに過ごしている。

毎日午前10時と午後2時に、管理人がリードに繋いで城内を巡回するのが日課。観光客がさんじゅーろーと触れ合うことができるのはそのときだ。さんじゅーろーは人なつこく、お客を見ると自分から足元にすり寄っていく。誰にだっこされても嫌がらない。そんな人間が大好きなさんじゅーろーにひとたび会うと、その魅力に参ってしまう人は多い。さすが猫城主!

本丸のベンチでたたずむさんじゅーろー(筆者撮影)
本丸のベンチでたたずむさんじゅーろー(筆者撮影)

同観光協会事務局長の相原英夫さん(49)は、「猫がストレスなく、健康で幸せに暮らしているということが大前提。その上で、会いに来てくれた観光客の方々が笑顔になり、経済効果が生まれるなどして地元の人たちやまちが元気になる、という形が理想的だと思っています」と話す。

ただ、こうなるまでには一筋縄ではいかないドラマがあった。話は昨年7月の西日本豪雨災害までさかのぼる。さんじゅーろーが人々をどう元気づけ、地域の活性化に貢献しようとしているのかを、全3話でお届けする。今回は第1話。

昨年7月の西日本豪雨災害で観光客が激減

標高430メートルの臥牛山にそびえる備中松山城は、国内で最も高い場所に現存天守がある山城。鎌倉時代の1240年、承久の乱で戦功をあげた秋庭三郎重信がこの山に砦を築いたのが始まりとされる。その後、時代の変遷とともに城主は代わり、備中の要塞としての役割を果たしてきた。天守まで行くには、8合目のふいご峠から急な登城道を20〜30分歩かねばならない。難攻不落の名城といわれるゆえんだ。毎年11月から4月にかけては、向かいの山の展望台から、雲海のなかに天守が浮かび上がる幻想的な光景が見られる。福井の越前大野城、兵庫の竹田城と並び、日本三大「天空の城」としても有名だ。

雲海に浮かぶ天空の城・備中松山城(高梁市観光協会提供)
雲海に浮かぶ天空の城・備中松山城(高梁市観光協会提供)

2018年7月5日から降り続いた雨は、7日までの間に高梁で338ミリに達した。これだけの雨量がまとまって降ったのは47年前の長期集中豪雨(1972年7月9日〜13日)以来のこと。高梁市内を流れる高梁川や成羽川は溢れ、土砂崩れや床上浸水の被害が多数出た。「JR備中広瀬駅周辺ではトラックターミナルに停まっていたタンクローリーが流されて線路に乗り上げるなど、信じられない光景が広がっていました。住み慣れたまちがあんなふうになってしまうなんて…」と、相原さんは当時を振り返る。

JR備中広瀬駅周辺の様子。河川が氾濫するなどしてタンクローリーや車が流された(高梁市観光協会提供)
JR備中広瀬駅周辺の様子。河川が氾濫するなどしてタンクローリーや車が流された(高梁市観光協会提供)

当然、観光客の受け入れはできなくなり、観光協会の業務は全面ストップ。相原さんは断水した水道の復旧作業の手伝いなどに奔走した。備中松山城の登城道はがけ崩れや倒木などで寸断され、天守まで登ることができなくなり、閉城を余儀なくされた。例年、この時期は8月のお盆に3日間かけて行われる同市の一大イベント「備中たかはし松山踊り」の準備に追われるが、開催さえ危ぶまれた(1日限りで8月に開催された)。

この豪雨による同市の人的被害は、死者1人、行方不明者1人、重傷者2人。浸水などによる住宅被害は全壊59戸、大規模半壊81戸、半壊202戸。公共施設の被害は2494件(いずれも2019年1月21日現在)に及んだ。「住家や店舗が浸水するなどして、大変な目にあった人たちがたくさんいるのに、観光やイベントがどうとかいってる場合じゃない」という意見はもちろんあった。だが、相原さんが被災した人たちからかけられた言葉は、これとは真逆の声が多かった。

「備中松山城は市民の心のよりどころ。いつまでも閉ざしていちゃいけない」

「1年に1度の松山踊りに参加するのが楽しみで仕事を頑張ってるんじゃ。だから、なんとか祭りは開催してほしいんじゃ」

そんな「観光がんばって」という言葉を、相原さんは多くの市民からもらった。

「経験したことのない豪雨災害に直面し、自分たちに何ができるか悩んだ時期もあった」と振り返る相原英夫さん(筆者撮影)
「経験したことのない豪雨災害に直面し、自分たちに何ができるか悩んだ時期もあった」と振り返る相原英夫さん(筆者撮影)

「豪雨災害直後は僕も、当分、観光の仕事はできないだろうと思いました。それよりも浸水した家や道路などの復旧作業の方が大事だと。だけど、被災者の方々の声を聞いて思ったんです。観光には観光の役割があり、観光が果たすことのできる災害復興の形というのがきっとあるはずだと。観光は災害と相反するように受け取られがちですが、たくさんの観光客に来てもらって高梁市の現状を知ってもらうこと自体が復興に繋がるはず。こんな状況だからこそ、観光の歩みを止めちゃいけんと」(相原さん)

そこでまず着手したのが、豪雨災害以来、土砂崩れなどで天守まで登れなくなっていた登城道の一斉清掃だった。まちのインフラが回復したタイミングで呼びかけると、52人の市民ボランティアが集まり、閉じていた城は7月18日、開城を果たした。とはいえ、観光客はほとんどやってこない。「それでも開城できたという明るい話題をひとつ作れたことは一歩前進でした」(同)

数年前からの山城ブームで、備中松山城への来城者数は2016年度年間約10万6千人と10万人を突破。だが、17年度は年間約8万6千人にとどまり減少傾向にあった。そんななかで起こった豪雨災害。昨年7月の来城者数は前年同月比24%にまで激減してしまった。観光協会では、観光客からの「そちらのお城って今、行けるんですか?」との問い合わせに、「はい、大丈夫ですよ。来てください」と答えはするものの、客足は容易に戻ってこない。

「一体、どうすればいいのか…」

相原さんはじめ、観光協会事務局職員たちは途方に暮れた。「お城に迷い猫がいる」との情報がもたらされたのは、そんなときだった。

迷い猫が「猫城主」に。来城者数はV字回復

7月21日、城の三の丸周辺でさまよっているやせこけた茶白の猫を最初に見つけたのは、観光協会職員で城の管理人を務める本原亮一さん(65)だ。同じく管理人の永井孝明さん(63)は、三の丸のすぐ下にある大手門のあたりでその猫と初めて出会った。

永井さんはその時の様子をこう話す。「にゃーにゃー鳴いててかわいかったです。ある日の昼ごろ、お客さんに寄り添ってトコトコと階段を登り、本丸の門まであがってきて、ついに登城を果たしたんですよ。それで、これはもう餌をあげんといけんなあと(笑)」

「人なつこくて、だっこされるのが好きなんですよ」と話す城の管理人・永井孝明さん(筆者撮影)
「人なつこくて、だっこされるのが好きなんですよ」と話す城の管理人・永井孝明さん(筆者撮影)

自宅では猫を2匹飼っている永井さん。「ご家老さま」という名前をつけ、その猫に餌をあげて世話をし始めた。そのころはまだ、現在のような本丸にある五の平櫓(管理員詰所)での室内飼いではなく、夜、管理人が帰ると、城内のどこかで寝て、朝になるとまた餌をねだりにやってくるという生活。永井さんは手作りの小屋を作ってあげたが猫は入らず。城内を見回るかのように悠然と歩きまわっていたという。

「城に住み着いている愛らしい猫がいる」との連絡を受け、相原さんが初めてその猫と会ったのは8月のお盆ころ。相原さんも猫好きだ。「初対面なのに僕の足にスリスリと体を寄せてきて、もうたまらなくかわいいんです(笑)。すぐメロメロになってしまいました。城にずっといるとのことだったので、この子は”猫の城主さま”だなあと」

ちょうどそのころ、相原さんは備中松山藩出身で新選組七番組組長を務めた武士・谷三十郎をどうPRしていこうかと、職員らと話し合っていたところだった。それで、いつのまにかその猫のことを「さんじゅーろー」と呼ぶようになった。

国内随一の高さを誇る山城に現れ、城で観光客を出迎えるさんじゅーろーの噂はSNSや口コミなどで拡散され、来城者数は8月前年同月比55%、9月には同70%まで戻ってきた。秋の行楽シーズン前には、「元気です高梁」と書かれたチラシを作り、キャラバン隊を結成してJR岡山駅で来訪を呼びかけたことなども功を奏した。

V字回復のきっかけとなったのは、10月10日、さんじゅーろーのことが「城主猫」として地元紙に初めて載ったことだ。以後、他の新聞、テレビ、ネットなどでも取り上げられ、人気に火がついた。

2018年の備中松山城への入城者数対前年同月比。高梁市観光協会による
2018年の備中松山城への入城者数対前年同月比。高梁市観光協会による

「それまでは、お城見学が主な目的で来られる方がほとんどでしたが、『さんじゅーろーに会うためにきた』という人が圧倒的に増え、幅広い年齢層の方々がやってくるようになりました」(相原さん)。さんじゅーろーと触れ合って記念写真を撮り、肝心の天守は見ずに帰るといった人もおり、「こちらが慌てて『天守もぜひ見学していってください』と案内することもありました(苦笑)。印象に残っているのは、娘さん、お孫さんと一緒に、自ら歩いて天守まで登ってこられた86歳の女性。さんじゅーろーをだっこすると満面の笑みを浮かべ、『来てよかった』と喜んで帰っていかれました」(同)

観光客にカメラを向けられ、お気に入りのベンチの上でポーズ(筆者撮影)
観光客にカメラを向けられ、お気に入りのベンチの上でポーズ(筆者撮影)

そして昨年10月、来城者数は前年同月比103%にまで回復し、前年同月を上回るに至った。数多くのメディアで取り上げられて有名になると、予期せぬ出来事が起きた。どこからやって来たのかなど、不明な点が多かったさんじゅーろーだったが、10月15日、「この猫の飼い主は私です」という人が城に現れたのだ。つづく

フリーランスライター/写真家/児童書作家

1966年生まれ。関西大学社会学部卒業。1995年阪神淡路大震災を機にフリーランスライターになる。週刊誌やスポーツ紙などで日々のニュースやまちの話題など幅広いジャンルを取材する一方、「人と動物の絆を伝える」がライフワークテーマの一つ。主な著書(児童書ノンフィクション)は「犬のおまわりさんボギー ボクは、日本初の”警察広報犬”」、「猫のたま駅長 ローカル線を救った町の物語」、「備中松山城 猫城主さんじゅーろー」(いずれもハート出版)、「こまり顔の看板猫!ハチの物語」(集英社)など。現在は兵庫と福岡を拠点に活動。神戸新聞社まいどなニュースで「うちの福招きねこ〜西日本編」連載中。

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