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『お母さん、娘をやめていいですか?』は何故、作られたのか? チーフ演出・笠浦友愛インタビュー(前編)

成馬零一ライター、ドラマ評論家
「お母さん、娘をやめていいですか?」DVDBOX (C)2017 NHK

今年の1月から3月にかけて全8話が放送され、娘の早瀬美月(波瑠)と母親の顕子(斉藤由貴)の母子密着関係を描き、大きな反響を呼んだ連続ドラマ『お母さん、娘をやめていいですか?』(NHK)。

本作はどのようにして生まれたのか。また、母子密着関係を通して何を描こうとしていたのか。6月23日にDVDBOXが発売されたことを記念して

チーフ演出の笠浦友愛さんに話をうかがった。

『お母さん、娘をやめていいですか』DVDBOX
『お母さん、娘をやめていいですか』DVDBOX

6月23日DVDBOX発売

発行・販売元:NHKエンタープライズ  

(C)2017 NHK

『お母さん、娘をやめていいですか?』チーフ演出・笠浦友愛インタビュー(前編)

――『お母さん、娘をやめていいですか?』を作ることになったきっかけを教えてください。

脚本を手がけた井上由美子さんから「一卵性親子」の話をやりたいという提案があったことがきっかけです。

井上さんとは特集ドラマ『2030かなたの家族』(NHK)で、家族を一端、相対化するような話を作ったのですが、その延長線上にあるテーマだと思ったので「是非やりましょう」と。

取材や準備は放送の一年前からスタートしました。

脚本が早くあがっていたことで役者もスタッフも、どういう話をやるのかというイメージが共有できていたので、それはよかったですね。

それでも脚本は難航して、最終回は第八稿までやりとりしました。

撮影中に物語が違って見えてきたこともありましたし、細かいニュアンスをどう落とし込むかについては、凄くディスカッションしましたね。

仮タイトルは『カプセル』だった。

――母娘密着というのは面白いモチーフですね。

冷静に考えると「何が悪いのか」判断が凄く難しいけど、何かが引っかります。

井上さんの場合は息子さんですが、親子の関係をすごく体感的に見てきて

母子密着の風景にすごく現代的なものを感じ取ったんだと思います。

家族という密室で進んでいるため他の人には見えない。そこに不思議な鉱脈があるなというのは感じました。

―― 初回を見た時に「異常に仲が良い母と娘の話」という枠組みの向こう側に

何か凄く恐いものがあると思ったんですよね。それは中々、言語化できないのですが。

井上さんが最初に付けた仮タイトルが『カプセル』でした。

カプセルの中の羊水に母と娘の二人で浸かっているみたいなイメージが最初はあって。

実際に母親と密着していた娘の立場の人にインタビューをした時に「私は母のカプセルの中にいたようなものです」とおっしゃっていて「やっぱりカプセルなのか」と納得しました。

カプセルだから閉じ込められて出られない。

でも、透明なカプセルだと外からは閉じ込められていることがわからない。

だから幸せそうに見えるけど、その中で溺れそうになっている人もいるというイメージなのかなぁと思いました。

――母親の顕子は、娘の美月が恋人を作ることや結婚をすること自体は否定してないですよね。

家から出られない引きこもりの話だったらもっとわかりやすいのですが

娘は社会にちゃんと適応しているし教師としてしっかり働いている。

新居も建つし何も問題ないはずなのに、何かがおかしい。

普通に考えると母の夢をかなえて教師になった理想的な娘だし

母親も、むしろ娘のフォローをしてきたと思っている。

だから、ちょっと文句のつけようがない母子なんですが、見みえないところに何かおかしいことがある。

放送した後、ホームページの公式掲示板に「私もそうだ」という反響がたくさん寄せられて凄かったですね。

予想を超えた数だったので、びっくりしました。

――SNSの感想を見ていても「この作品だけは冷静に見れない」という女性が多かったです。

掲示板に娘の立場から「みんなはいいお母さんって言うけど、そのお母さんに苦しめられているんだ。そう言うとワガママって言われるから誰にもこの苦しさは言えなかった」

というニュアンスの書き込みをされた方がいたんですよ。

取材でインタビューした方の中にも「この気持ちは誰にもわかってもらえないと思います」っておっしゃっている方がいました。

そんな誰にも理解されなかったことが、ドラマ化されることで認知されて「これは言ってもいいことだったんだ」と番組を見て思った人がたくさんいたようです。

このドラマのおかげで抑圧していた気持ちを口にできて「どれだけ救われたか」ってのを掲示板に書かれている方もいて。

「これはあなたたちだけが抱えている問題ではなくて、どんな人でも多少は抱えている問題なんですよ」

「その気持ちを言ってもいいんです」という出口に作品がなっていて

少なくともそういう人に対しては意味があったなぁと思いました。

逆に言うと家族がいかに美徳とされて、ネガティブなことを言うことを封じこめられてたのかが、改めてよくわかりましたね。

――冒頭で顕子と美月がLINEをやっていたのが驚きました。

親と子がLINEをするって、僕には考えられないことなんですけど

下の世代にとっては普通のことなんですよね。

うちの娘もまさにそうですね。

美月と同じ20代なんですけど、母親とLINEでやりとりしてますね。

それ自体は日常ですよね。別に気持ち悪いことでも何でもなくて。

――しかも、楽しそうですし。

二人にとって普通のことなんですよ。

ただ、ちょっと自我が混じりあっている感じというか。

特に母親は半分娘になって彼女の人生を疑似体験していて、自分が教師になって教壇に立っているんですよね。

臨床心理考証をお願いした信田さよ子さんはよく「娘の人生に乗っかってる」という言い方をしています。

娘に乗っかって、ある意味で人生を生き直している。

自分は安全なところで生き直せるから楽しいんですよ。実際には苦しいことは全部、娘さんが引き受けるのだから。

――顕子さんのアドバイスって、実はあまり役立ってないですよね。

すでに一話目にしてその兆候は表れていて娘を追い込んでいるので不穏な予感に満ちていますよね。

だから、一話を見て「これは怖いことになりそうだから、見るのをやめました」という反響もありましたね。

美月さんと近い所に居た人は「これはすごく痛いところに話が届くんだな」って、わかった人はたくさんいたみたいですね。

だからこそ見てくださった人もたくさんいたのですが。

――タイトルが秀逸ですよね。いろんな新作ドラマのタイトルが並んでいる中で、このタイトルを見た時はギョッとしました。

血縁は絶対でやめられないという価値観の中で僕達は暮らしていて「やめられないものをやめていい?」と言うことの理不尽さと、「それはありなのか?」というのが、今回の問いかけですよね。

――そもそも、このドラマの主役は娘の美月ということでいいのでしょうか?

目線はもちろん美月だしドラマ上の主役なんですけど、裏主人公は顕子さんですね。

――顕子さんの存在が大きすぎるんですよね。

井上さんも最初に打ち合わせした時に自分と同じ50代の母親の持っている屈託というか、彼女たちは今どこにいるのかってことに踏み込みたいと、言ってましたね。

前半は母親から離れていこうという娘側の目線で物語は進み、後半は娘に離れられた母親がどうなってしまうのかっていう話になるんだよねっていうのは、打ち合わせで早い段階から話してました。

柳楽優弥が一番救いになるという不思議な構造。

――俗っぽいドラマだったら、美月が恋人の松島太一(柳楽優弥)と同棲したらDVにあうみたいな展開があってもおかしくないですよね。この時期の柳楽さんと壇蜜さんって、恐い人の役が続いていたので、美月にとって良い奴なのか悪い奴なのか展開が読めなくて、見ていてスリリングでした。

柳楽優弥が一番救いになっているという不思議な構造になってるんですよね(笑)。

松島が出るとホッとするという。柳楽君は普通の役をやるのを楽しみにしてましたね。

なぎ倒されない強さがあったのがよかったです。

美月の不安や顕子の恐さを受け止めながら、どこか受け流すという。妙にしなやかさのあるキャラクターで。

――並の男ならあの娘と母親の間に入るのは耐えられないですよね。

普通の20代だったら精神的に潰れると思います。

「私にはあんな人現れませんでした」という感想も多かったですね。

だから「理想」と言われるのは仕方ないんですけど、ドラマとしては松島がいたおかげで救いがあるということを提示できた。

普通の神経を保ったまま、意見を言ってくれる人がいることが

ズレてしまった人にとっては救いになるのだと、映像を見て思いましたね。

――美月が家を出て松島と暮らすあたりからは、美月の方が精神的におかしくなりますよね。

顕子さんがすぐ家に来て、合鍵を作って中に入ったりするからってのはあるんですけど。

松島は冷静に対応するのですが、美月の方がナーバスになっていって

あの時の美月は助けたいけど、人としては関わりたくないなぁと思いました。

あれも取材の時に実際にあった話で、結婚して母親から離れたけど

離れてからおかしくなったという方がいらっしゃったんですよ。

母親といっしょにいるというアイデンティティが揺らいだ時に

体調を壊したり情緒不安定になったり。

その時、はじめて母親との関係が問題だったって気付くんです。

美月は最終話の冒頭で家に戻るのですが

家を出たけど、やっぱりお母さんがほっとけなくて戻る人はたくさんいるんです。

ものすごく長い年月で母と娘の関係が作られているので特別なんですよね。

一時の決意だけでは、そう簡単に乗り越えられないで、ぐるぐる回って簡単にはいかない。

だから家に戻る場面は是非やりたいと、井上さんに私から言いました。

家に戻って、美月が一回諦めた時に見えてくるものを描かないと綺麗事になるし

そこで突きつけられるものを描かないことには、たぶん問題の本質とは向き合えないと思いました。

――最終話で美月と顕子の関係が変わっていきますよね。

りんごを丸かかじりしたり、「スムージーは飲みたくない」と言ったり

自分用のコップを買ってきたり。

7話ラストの修羅場の後で、8話で二人が抱き合う場面があるんですけど、そこは番組ポスターとは逆の構図になっていて、美月が顕子を我が子のように抱きしめているんですよね。

あそこで二人の関係性が変わって、このまま母親を放っておくわけにはいかないっていう風に、美月が庇護者になってしまって反転してるんです。

――顕子さんが厄介なのは、美月が何か行動に移すと、すぐに弱る所ですよね。

その度に「私が悪いんだ」と思って、美月はブレーキをかけてしまう。

あれは無意識だからタチが悪いんですよね。

計算ではなく本当に具合が悪くなって、そしたら娘が罪悪感で優しくしてくれるから仲良しになれるって関係を

繰り返してきたわけです。

―― 一種の共依存ですよね。

ただ、この母親が原因だから「コイツを何とかしろ」と言うのは簡単だけど、難しいのは娘もいっしょにカプセルを作ってきたってことなんですよね。

やっぱり母親は好きだったし、二人で作ったきたカプセルだから一人では中々壊せないんですよね。

波瑠と斎藤由貴の演技はどのようにして生まれたのか?

――美月を演じた波瑠さんって面白い女優ですよね。

『あなたのことはそれほど』(TBS系)見ても、自分は普通でまともだと思っているけど、周囲から見たらどこかおかしい人を自然に演じることができる稀有な人で。演技力が絶賛されるタイプの女優じゃないですけど、実はすごく上手いですよね。

生々しいですよね。

――ものすごく綺麗で、それこそ人形みたいに整った顔しているのに、なぜか生々しいんですよね。

顕子が来た時の怯えのリアクションが凄く生っぽいんですよ。

――演技のさじ加減はみなさん苦労したのではないかと思います。

一番大変だったのは斉藤さんだったと思いますが、難しかったのは波瑠さんの受けの芝居だったと思います。

波瑠さんに最初にお会いした時「波瑠さんは受けの芝居がすばらしいので、ぜひ美月を演じてほしい」と伝えました。

すごくわかりやすい芝居をするわけじゃないんですけど、相手の芝居を受け止めて、その時に動いている感情を生々しくちゃんと表現できる人ですよね。

――演技については、どのようなやりとりをしましたか?

その都度、感情の揺れを丁寧に考えてやりとりしました。

一番凄いと思ったのは最後の屋上で空を見上げる場面ですね。

あれはテイク1で、充分よかったのですが、もう一回、演じてもらった時に、波瑠さんが笑顔で涙を流したんですよ。 

あの芝居は井上さんも凄くよかったと絶賛していました。

僕もここで涙を流してくれという演出はできなかったので。あれはすべてを通り抜けて

母親の旅立ちを受け止めた上での芝居なんですよね。

そこで涙が出るのは、すごく素敵だと思いました。美月が一歩、踏み出したことがわかる。

母親はずっと泣いていたけど、彼女は心情的に泣くに泣けないわけで、それが最後の最後で解放されたわけですよね。

ここで泣けるのは波瑠さんが役を生きてきた結果でしたね。

―― 一方の顕子ですが、どうして斉藤由貴さんに、この役をオファーしたのですか?

役者としてイノセントですよね。

自分を超えていける自在さを持っている人で、演技に爆発力を持っている人だったからですね。

――斉藤さんとは今回が初めてですか?

連続テレビ小説『おひさま』(NHK)の時に出ていただきました。。

――あぁ! 現代パートに出てくる、悩んでいる主婦を演じてましたね。

全然違う役でしたけど(笑)。斉藤さんは憑依系の役者ですけど「ふーっ」と踏み越えるところがありますよね、レッドゾーンに。

その「ふーっ」て入り方が独特で。

――もっとわかりやすく怖い母親を演じられる女優さんは他にもいらっしゃると思うのですが、斉藤さんの演技は単純に恐いというだけではないんですよね。

斉藤さんはギリギリまで台詞を入れないんです。

現場の空気の中で感じることを大事にしてらっしゃる人で。

今回は整理されていない感情を演じる役だったので、消化されすぎない未整理な心の揺れが大事でした。

もやもや、ドロドロっとしたものが言葉にならない演技という形で現れるのが素晴らしいですよね。

――「母親とうまくいってなかったとか、好きな人と結婚できなかった」といった今の顕子がおかしくなった脚本上の理由は明確に設定されていたと思うのですが、映像になったものを見ると、そういう物語上の理屈を超えた存在感があったと思うんですよね。

斉藤さんだから超えていった部分が確かにあると思います。

想像以上に生々しくなっていったので、井上さんも僕たちも「こうなるのか」って驚いたことも多くて。

顕子の存在にある種の説得力を持たせてしまったというのがありますね。

――想像を超えていたということですか?

予想以上に恐くなったというのはありますね。

恐くやろうとは本人はしてないんですが、恐くやろうとしない日常的なところが逆に恐いというか。

――後半になるにつれて、顕子さんの方が囚われのお姫様みたいに見えてきて、かわいそうだと思うことがありました。

頭ではこのお母さんが問題なんだと、わかってはいるんですけど。

6話以降はそうですね。それが狙いだったというか。

顕子の心がちょっとずつはがれていき、崩れていく。自分で自分の痛いところが見えていく。

――美月に依存してるようで顕子さん「もう、どうでもいいわ」とか、サラッと言うじゃないですか。あれに驚くんですよね。

自分を憐れんだり蔑んだりすることで自分を感じ取っていく作業になっていて、痛々しいと同時に、かわいそうですよね。

―― 一方で色気もあって。

その辺がこう、松島が捨てて置けない感じにもなり、この人を助けなきゃという説得力につながっている。

雨の中、松島の部屋を出て行って泣き崩れる場面も、見ていて切なくて

「このお母さん、ちょっと許してあげてもいいのかなぁ」って気持ちになりますよね。

お母さんとしては、娘のために生きてきたのに、全否定されるわけで。

娘の人生に乗っかっていたのは事実だけど、それを全否定される哀しみもあるわけで。

――人形のくだりも面白かったですね。

顕子は美月に似せて人形を作っていたのに美月からは「似てない」と言われて、人形教室を主宰する友人の牧村文恵(麻生祐来)からは「あなたにそっくり」と言われてしまう。

人形を作っている方に取材した時にそういう話を伺ったんですよ。

「誰かのために」作る人は多いんですけど、結果的に自分に似てしまうことが多いそうですね。

どこか自分を投影してしまうらしくて、そこに行きつくという。

――人形というモチーフは井上さんからですか?

人形は僕からの提案ですね。顕子の気持ちがこぼれ落ちている物として、ちょっとギリギリの選択だったんですけど。

あまりに気味悪く見えるのはマズイと思いつつ、最後に決別する時の雛形みたいになって、それにピリオドを打つことで、娘との結末に線を引くための象徴になってほしいと思いました。

高校生の描かれ方。

――美月と顕子の関係だけでなく、高校生の後藤礼美(石井杏奈・E-girls)と母親の関係など、様々な人間関係が描かれていますね。

色々な母と娘の関係性がある中に母娘密着もあるという風に見せたかったんですよ。

複数の関係を提示して相対化した中で美月と顕子の関係を見せていかないと、そこだけが晒し者になるので、構図は意識して多数作りましたね。

――学校の描写がキツイなぁと思ったんですよね。どこか自分たちとは相いれない存在として高校生を描いているというか。

ただ、そのキツイ感じが最終的には心地良くなるんですよね。

後藤さんの方が先を行っていて、母親との関係に関して自覚的なんですよね。

だからあそこは美月と力関係が逆転しているんですよ。

――高校生の方が大人ということですか?

大人というか、親との関係は見切ってますね。

――ある種のリアリズムを生きているという。

美月はまだ母親との付き合い方が見えてなくて、そのコントラストが面白いんですよね。

結局、年齢じゃないんですよね。母娘の関係って。

美月に現実を突きつけるのが生徒の後藤さんで、彼女だけが抱えている闇が見えている。

年長のお母さんが自分では変われないからこそ、後藤さんは自分でリセットするわけで、そういう人間の方が変われる余地があるっていうのがリアルですね。

――井上さんが書く10代の描写が面白いんですよね。

心理的に距離があるのが見ていてわかる。違う生き物として見ているというか。

どうなんですかね(笑)人に対していい意味でクールですよね。

作家に必要な「人の悪さ」があるのが井上さんの強みで、ちゃんと人を突き放せる。

時に人を罵倒できるっていうのが、すごく大事なことだと思うんですよね。

普通は「認めたいし許したい」と思ってしまうわけですよね。

でも、ちゃんとどこかで、ダメ出ししたり罵倒されたりしないといけない瞬間ってのは人間にはあるわけで。

でも現実では中々できないけど、ドラマだったらできるかもしれなくて。

それはまさに山田太一さんたちがやってきたことですよね。

『早春スケッチブック』(フジテレビ系)で沢田竜彦(山崎努)が言った「お前ら骨の髄までありきたりだ」じゃないですけど。その影響を僕達は受けているわけです。

70~80年代のドラマがやってきた、日常に刃を突きつけていくってことに関しては受け継いでいきたいんですよね。

ちゃんと別れるということ

――お父さんの浩司(寺脇康文)にも会社で追いやられているというドラマはあるんですけど、二人が父親の状況に関心を持ってないという距離感の遠さが残酷だなぁと思いました。

信田さよ子さんは父親の不在が問題を招いていて、いちばん父親に責任があるとおっしゃっていました。

だから本当は父親の責任が重いんですよ。でも、父親にも加害者じゃなくて被害者の面もあって。

家族の場合は一方的じゃないから大変で、リカバリーできないんですよね。

そこが難しいところでしたが、父親がアクションを起こしたことが結果的に顕子を動かして、救いになるという話にしたかったんです。それはちょっときれいごとかもしれないですけど。

――結末に関しては、賛否はありましたか?

それは覚悟していました。普通なら美月が逃げ切って終わる。

現実世界の対処法として、カウンセリングの世界では「とにかく逃げて連絡を絶つ」ことが正解とされています。

でも、このドラマの場合は「顕子をほっとけない、救えるというドラマにしたい」と思いました。

母親の側が自覚するってところには中々行けないので、そこが最終回で一番難航したところです。

――最終的には「あなたと私は別人なのよ」と、わかってもらうことでしか和解できないっていう話でしたね。

わからせるという話なんですけど、母親の方が自分で腑に落ちないと切ないですよね。

「みっちゃんが娘を辞める前にママがママを辞めるわ」と言うのは

顕子が自分で先に始末をつけるという選択を、このドラマでは選びたかったんです。

――後藤さんが学校を辞める時にクラスメイトに「あんた達全員、大嫌いだった」って言う場面と対になってますよね。

ちゃんとケンカして、お互いの違いを認めた上で別れるというのは「美しいなぁ」と思いました。

「許す」ってことは現実には必要ですしドラマでもやるんですけど

ちゃんと一線を引いたり、別れるということは物語では難しいことなんですよ。

後藤さんもああいう事故があった時にはじめて母親を許せるわけじゃないですか。

母親もわかってくれて、だからこそちゃんと別れることを選択できたんですよね。

別れるってことやバラバラになることはネガティブじゃない。

それも家族の一つの選択だということが伝わればいいかなぁと思いました。

松島の場合は、関係を断って会わないという選択をしたことで

母親の方は自分のことを見つめ直すことができて救われたわけです。

「もう会いにこなくていい。あんたに甘えたくないから」と言われた時、柳楽くんは嬉しいんだか哀しいんだかわからない絶妙な表情をするんだけど、決して一緒にいて助けることだけが正解じゃなくて、ある意味放っておくことが一つの救いになるってこともあるんじゃないかと思うんですよね。

だから僕はあのエピソード好きなんですよ。

家族の物語としては会わないというのは切ないけど、結果的にはよかったっていう。

アイロニー(皮肉)でもあるんだけど「家族は一緒にいないといけない」という、家族神話が相対化できる物語になってたらいいなぁと思って、作っていました。

後編に続く。

ライター、ドラマ評論家

1976年生まれ、ライター、ドラマ評論家。テレビドラマ評論を中心に、漫画、アニメ、映画、アイドルなどについて幅広く執筆。単著に「TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!」(宝島社新書)、「キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家」(河出書房新社)がある。サイゾーウーマン、リアルサウンド、LoGIRLなどのWEBサイトでドラマ評を連載中。

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