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サッカーSC相模原がDeNA傘下へ。経営素人から「Jリーグドリーム」を実現した創業者、今と未来を語る

上野直彦AGI Creative Labo株式会社 CEO
00年アジアカップ決勝ゴールが忘れられない。望月氏は経営者としても結果を残した。

「サッカードリーム」を実現した元日本代表 望月重良氏が、ひとつの決断を下した

 「Jリーグドリーム」あるいは「サッカードリーム」と呼べるかもしれない。

 まったくゼロからチームを設立、わずか6年でJ3(Jリーグ3部)に参入したクラブ・SC相模原が、この度DeNAに経営権を委ね傘下に入った。

 経営未経験でサッカークラブを立ち上げ、Jリーグに参入したのは日本サッカー界でも初めてのことだった。当時は異例中の異例であった夢を実現したパイオニアは、元Jリーガー、元サッカー日本代表の望月重良氏(49)である。

 2008年のクラブ設立当初、財務諸表も読めない状態でクラブを立ち上げた望月氏は15年間を経て、経営者として一区切りをつけた。ただ、望月氏本人の姿勢は7年前に初めてロングインタビューに応じた際とまったく変わらず、夢の実現者とは程遠いくらいの冷静さを保っていた。

「SC相模原は今回のような他社への株式譲渡を目的に設立したクラブではありません。クラブの将来を考え本当に悩んだ末、DeNAにクラブの未来を託すことを決断したのです」

 株式譲渡を目前にするなか、そう語る望月氏はすでに次の取り組みを進めていた。日本のサッカービジネスやスポーツビジネスの市場規模をもっと大きくしたい。もっと人や資本の流動性を高めたい。そのために自分は所謂ファーストペンギンであっていい。15年前にゼロからクラブを立ち上げた時から変わらず一貫した姿勢は今も変わらない。

 彼が手塩にかけて育ててきたクラブを今なぜDeNAに委ねるのか。今回のディールの舞台裏と現在の心境を語ってもらった。

(*今回の撮影はすべてカメラマン福田俊介氏によるもの。2015年の NewsPicksの記事 の際にも撮影を担当)

SC相模原がJ1優勝を目指すための「限界」と「決断」

J3とJ2との違いを語る望月氏。様々なエピソードにはリアルな体験が裏打ちされている。
J3とJ2との違いを語る望月氏。様々なエピソードにはリアルな体験が裏打ちされている。

ー今回のDeNAによるスポーツクラブ相模原の子会社化、あらためて経緯を教えていただけますでしょうか。

望月 2021年にDeNAへ譲渡した「スポーツクラブ相模原」の株式19パーセントを、来年2月に合計93.2パーセントに増やし、DeNAの連結子会社とすることを決定しました。

クラブの経営権はDeNAに委ね、私自身は代表取締役会長という役割から創業者兼フェローという形でクラブへのアドバイザーや地域との繋がりを共に広げていく役割を担わせていただくことになります。

経営がDeNAに代わってもクラブ名「SC相模原」やマスコットキャラクター「ガミティ」を残す予定でいます。

ーDeNAによるクラブの株式取得に至った経緯について教えてください。

望月 2年ほど前に今後のクラブの未来について考えていた際に、仲介会社を通じてDeNAからご連絡があったことがきっかけです。

Jリーグ100年構想が掲げられているなかで、自分たちのクラブを今後100年続くものにするためには、これまでと同じように私が経営のトップに立ちつづける道もありましたが、一方で母体となる大きな企業の力を借りれば、クラブはさらに大きく成長できるという選択肢があったのです。

資本提携に関しては、実はクラブ設立当初から個人投資家の方や外資系ファンドから、様々なお話は頂いていたのは事実です。しかし、そもそもは他社への株式譲渡を目的に立ち上げたサッカークラブではありませんでした。クラブとして一貫性のある運営を行っていく上で、資本を入れていただく以上は一時的ではなく長期的にクラブを拡大するという責任を負っていただく必要があると考えて、ずっとお断りし続けてきたのです。

そんななか2020年、クラブ初のJ2昇格を達成して実際に上のカテゴリーで戦ってみると私だけの裁量では、これ以上クラブの未来を描けないだろうと痛感したのです。これはJ3からJ2へ昇格したチームの経営者は同じ壁にぶつかっているでしょう。限られた人的リソースや予算でできる限りの力を尽くし、必死でカテゴリーを上げてきましたが、ついに限界を感じたわけです。

ー経営者として「J3」と「J2」の違いを体感されたと。

望月 戦いの過酷さはまったく違います。J2に上がることはできても、その上のJ1を狙うことや維持することの難しさを肌で感じて、これ以上は難しいと。

相模原周辺の地域は、チーム設立当初から凄いポテンシャルのある地域だと感じていました。今後はリニア中央新幹線の駅の建設などによりインフラ整備がさらに進み、より住みやすい環境へと発展していくため、人口の増加も期待されています。

そんな地域に根ざしたクラブだからこそ、現状に甘んじるのではなくJリーグでもトップクラスのクラブ、つまりJ1で結果を残すチームを目指すために母体企業に委ねる可能性を探るべきだと真剣に考え続けました。

DeNA傘下へ。その舞台裏と未来価値

今回の締結の舞台裏を語る望月氏。15年間のクラブ経営の過去を振り返る時、時おり寂しさも見せた。
今回の締結の舞台裏を語る望月氏。15年間のクラブ経営の過去を振り返る時、時おり寂しさも見せた。

ークラブ経営への参画の話が出た際の率直な感想、今だから話せると思いますがそのあたりを聞かせください

望月 DeNAと聞いて、今までにない大企業からお話が来たなというのが率直な感想です。交渉を進めていくなかで、我々が考えていたクラブの構想と、DeNAが求めていた相模原のクラブのグループ化という、お互いの目指す先が一致したのが今回の締結の一番の理由です。

周知の通り、DeNAは「横浜DeNAベイスターズ」や「川崎ブレイブサンダース」、その他にも陸上競技など運営しスポーツビジネスに精通しています。だからこそ、先方もただクラブを買いたいという目的が先行しているのでは決してなく、スポーツの価値やスポーツが世の中に与える好影響を理解している上で、この交渉に臨んでいただいているのだと分かりました。なので全体的に落ち着いて話を進められました。

ー契約締結はどのようにして至りましたか。

望月 約2年間の時間をかけてじっくり話し合い交渉を続けました。我々のクラブの株主構成には何百人もの法人や個人の株主がいるわけでもなく、行政が株を持っているというわけでもなかったため比較的スムーズに話が進められたと思います。

2021年に株式の19%をDeNAが取得してから約2シーズン、ともにクラブの運営に参加していただいてお互いの“相性”を確かめる期間にもなりました。そういった時間ができたことにより、我々のクラブを引き継ぐにふさわしい会社だと確信しました。

ー経営権を委ねられて、現在はどのようなお気持ちですか?

望月 経営者として自分のクラブを潰してはならない、ゲームオーバーにしてはいけないという恐怖感がずっとありましたから、正直いって肩の荷が降りたという気持ちがあります。

同時に、やはり寂しい気持ちも共存しています。それよりも強く感じているのは、これからSC相模原がもっと壮大な未来を描いて、しかも実際の行動のフェーズに移せるワクワク感が強くあります。

私は元来凄い負けず嫌いの性分なので(笑)、やるからにはてっぺんを目指したい。自分のつくったクラブがいずれは本当に日本トップクラスのクラブになるかもしれないと想像すると、今から心躍りますね。

DeNAに決めた最大の理由、「ソフトとハードの一体経営」

新スタジアム構想は今回のディールの決め手だ。JR相模原駅北口の開発はスポーツビジネス界でも注目を浴びている。
新スタジアム構想は今回のディールの決め手だ。JR相模原駅北口の開発はスポーツビジネス界でも注目を浴びている。

ーDeNAがSC相模原でのサッカー参入を考えた理由とはなんでしょうか。

望月 DeNAが大前提として考えるスポーツ事業の必要条件が「ソフトとハードの一体経営」だったからです。クラブとスタジアム、もしくはクラブとアリーナがセットでスポーツ事業は成り立つという考え方が根本にあるのです。私たちが進めていたJR相模原駅北口の土地を利用して進めている新スタジアム構想の検討にも積極的に参画してくださいました。

JR相模原駅北口開発は街ちづくりの中心としてスポーツを利用するという話も出ており、クラブライセンス制度観点からJ2、J1を目指すために、新スタジアム構想については行政とともに協議中です。

ー今後、DeNAによってどのような事業戦略が立てられているのでしょうか。

望月 今後DeNAは、横浜・川崎・相模原という3つの都市で、世界的に見ても競技人口の多い野球・バスケ・サッカーの3つの競技に参入している状態となります。それぞれのクラブ経営によって得られたノウハウをDeNAに蓄積し、これまでに培ってきたブランドづくりやマーケティング、街づくりなどにアセットを相互利用する戦略が立てられています。

また、既に3クラブの横断施策も始めていて、マルハニチロさんがDeNAスポーツのオフィシャルパートナーに就任し、3クラブへの食を通じたアスリート支援や子どもたちへの食育等で協働してくださっています。テレビ神奈川さんとは、開局50周年を機にスポーツ領域でのメディアパートナーシップを締結し、神奈川県民に向けてスポーツの魅力やすばらしさを発信するといった活動も展開されています。

ーDeNAは横浜や川崎でも進めているDeNA版スマートシティ「Delightful City(デライトフルシティー)」構想を今後相模原でも展開していくと聞いています。

望月 おっしゃる通りです。DeNAは、JR「関内」駅前に旧市庁舎行政棟を保存・活用した新たな街の開発に関わっているほか、川崎では若者文化創造発信拠点である「カワサキ文化会館」の開業や駅近くに屋根付きのバスケットボールコートを新設するなど、クラブとホームタウンが共に成長していく未来を描いています。今後の展開も楽しみな事業です。

今後、相模原の新スタジアム構想では2〜3万人を動員できるスタジアムの建設を検討しており、スタジアムとしてだけでなく日常的に人々が集う場所として、まちづくりの一環としてスタジアムがあるという状態を目指しています。

地域としてポテンシャルの高い相模原には、すでにスポーツを愛する土壌があり、さらに今後もJクラブとして伸びしろのあるSC相模原の存在、そこにDeNAのスポーツビジネスへの知見やアイデアが加われば、今までにないシナジーが生まれると確信しています。

ー経営がDeNAに移ることにより、地域貢献の観点ではどんな新たなメリットがありますか。

望月 DeNAの強みである「エンターテインメント」の強化は期待できると思います。スポーツをより多くの人々に楽しんでいただくにあたって、スタジアムの雰囲気など試合をプロデュースするエンタメのアイデアは必要不可欠です。

スタジアムという非日常空間の演出は私たちがやるよりもさまざまなエンターテインメントを手掛けているDeNAのほうが長けていると思うので、彼らとともにスポーツの熱狂を地域の皆さんに届けられるのを僕自身楽しみにしています。

ー今後、クラブをDeNAに託すにあたって、創業者としての要望などはありますか?

望月 SC相模原は本当に多くの人々の力によって支えられてきて成長し、現在も成り立っています。今後もそんな人々を大切にする気持ちを絶対に忘れずに、地域やクラブに投資をしてほしいです。

これまで我々の場合は身の丈にあった経営によってやりくりしてきたので、1年や2年くらいの短期間のビジョンしか描けてこれませんでしたが、母体企業がDeNAになったことで5年や10年の中長期の未来も見据えていくことができるようになると思います。スピード感のある成長と、地域をワクワクさせられる経営が今後期待したい部分です。

「Jリーグドリーム」を実現した今、これから描くビジョン

Jリーガー、日本代表、経営者、そして次なる挑戦と道は続く。今後も取材を続けていく。
Jリーガー、日本代表、経営者、そして次なる挑戦と道は続く。今後も取材を続けていく。

ー望月さんは現役選手時代、ドラガン・ストイコビッチ選手やイビチャ・オシム監督、アーセン・ベンゲル監督など錚々たる選手や指導者たちのそばで学ぶ機会がありました。その経験はゼロから始めたクラブ経営にどのように活きましたか。

望月 彼らが持つ絶対的な自信や不屈の精神は、今の私の根幹になっています。自分の考えを信じ、結果が出る出ないに関わらずやり抜く姿勢を身近に体感してきたのです。

指導者に限らず、超一流と言われる選手や経営者には信念を貫く強さが共通していると思います。一つのことを続けていると、いいことも悪いこともおこりますが例え困難な状況にあっても屈しない精神によって、結果を手にできるということはクラブ経営をするにあたって非常に支えになりました。

ークラブ経営に一区切りがつきましたが、今後のビジョンは何ですか。

望月 一つはSC相模原をこれからも別の形でサポートしていくことです。

役職が創業者兼フェローに変わりましたが、以前と同じようにチームのことを最優先に考えていきますが、目線は国内からグローバルへと移していきたいと考えています。せっかく競技人口の多いサッカーという競技に長年関わってきていますから、世界を見据えていかないと面白くないかと。

今まではクラブを中心にスポーツビジネスを展開してきましたが、今後は選手を育てるような人への投資も行っていきたいと考えています。世界に通じる選手の発掘や育成、チャレンジする機会を創出していきたいのです。

ー海外では移籍ビジネスによって、クラブが成長・拡大している印象があります。日本ではまだ流動性が低く感じますが、その課題についてどうお考えですか

望月 島国である地政学的な特性が影響していると思います。スポーツビジネスをやるにも、他国と比べて人の流動性が極めて低いですし、リーグやクラブに入ってくるお金の規模も小さい。ヨーロッパや南米諸国に比べて、圧倒的に市場規模が小さいことが現実であり課題かと思ってます。

ーグローバルの観点では、横浜FCがポルトガル2部UDオリヴェイレンセの参加に入ったことが話題となりました。

望月 ああいった動きは非常に面白いと思います。日本のクラブも国内で完結するのではなく、ヨーロッパや南米、北米、東南アジアとの繋がりをつくっていくことが今後重要になってくるのではないでしょうか。しかし、現状では日本のJリーグだけで完結するような雰囲気が、リーグ設立当初から変わってないという印象もあります。このあたりも変わっていって欲しいです。

ー2000年アジアカップ、決勝戦のゴールはいまだに忘れられません。海外で戦ってみて日本との違いを感じた点はどこでしょうか。

望月 まず、経験値の差が歴然だと感じました。幼いころから厳しいトレーニングを続けサッカーに人生をかけて這い上がってきたヨーロッパや南米の選手と、日本のエリートといわれる選手では根本的に思考や文化が違います。個人としても国としても豊かになるために勝利を必死でつかもうとする海外の選手たちは日本と比べてマインドの部分で大きな差が生まれています。

私自身、クラブ経営者としてブラジル人の選手を獲得するために代理人と交渉テーブルについたとき、お互いの落とし所を見つけるための交渉術は非常に勉強になりましたね。これはもう文化の違いといってもいいくらいで差は大きいです。

15年間のクラブ経営の末、再認識した「スポーツの価値」

サッカーファンには忘れられない2000年アジアカップ決勝での優勝を決めたゴール。元サッカー日本代表として望月氏が考える「ジャパンズウェイ」とはどのようなものだろうか。
サッカーファンには忘れられない2000年アジアカップ決勝での優勝を決めたゴール。元サッカー日本代表として望月氏が考える「ジャパンズウェイ」とはどのようなものだろうか。

ー15年間のクラブ経営を経て、今だからこそ感じる「スポーツの価値」とは何でしょうか。

望月 実体験の中で感じたのは、人を集めるパワーや、虜にしてしまう「熱量」です。神奈川県リーグ3部から始まり、公園で練習を続けて、サポーターも10人20人しかいないクラブでした。ところが2018年最終戦では川口能活選手の引退もあり、1万2000人がスタジアムに来ていただいたわけです。これは「スポーツの力」によってつくられるドラマを超えたリアルが人々を魅了させたからこそ、集まってきてくださったのだと思います。

また、私が感じる魅力の一つはスポーツはいつでも中立になれるものだという点です。大人になれば利権や忖度など、社会に生きていれば向き合わなければならない理不尽が山のようにあります。でもサッカーの試合なら90分間はそれらが排除され中立的な気持ちに戻れる。これもスポーツの魅力だと考えてます。

ープロサッカー選手、Jリーグのクラブ経営者をどちらも経験して、現在の日本のサッカー選手について思うことは何ですか。

望月 日本代表の選手はすでに海外の各主要リーグに所属しています。これは15年前や30年前に比べると数段成長している証です。しかし一方、先進国であるヨーロッパのクラブも当時よりはもちろん成長しているため、日本の選手は飽くなき挑戦を続ける必要があります。進歩を、成長をとめてはいけません。

ー望月さんが考える日本代表の戦い方、「ジャパンズウェイ」とはどんなものでしょうか。

望月 やると決めたことを愚直に90分間遂行できる、汗をかける国民性、これではないしょうか。プロ選手なら「個」の力は当たり前の話です。他国に比べて協調性があり、チームワークを重んじる性質はアドバンテージになります。機動性や縦や横への連動性などフルに活かした戦い方、例えば2011年ドイツ女子W杯で優勝した女子代表・なでしこジャパンなどは学ぶところが多いです。

他国から学びを得つつも、そういった日本ならではの強みも大切にしていきたいです。日本でしか出来ない戦い方がきっとあるはずです。

ー最後に、読者の方に伝えたいメッセージがあればお願いします。

望月 振り返ってみるとこの15年間は、長いようで短かかったと感じます。

本当にゼロからスタート、ある意味リスクのある挑戦でしたが信念と情熱を持ってここまで走ってきたという充実感があります。やり続ければ結果はついてくる、諦めないことで手にできるものがあるということを再確認できた15年間でした。

皆さんにお伝えしたいことは、好奇心を持ってチャレンジし続けてほしいということです。僕自身、本来であれば現役引退後は監督コーチになることが普通でしたが、そのレールに乗らなかった。図書館に行けば参考書があるわけではない領域で、まったくの手探り状態でゼロからチームをつくってJリーグクラブに育て上げたというチームは、今でこそ各地域にたくさんありますが当時は先駆的な部分があったわけです。所謂ファーストペンギンですよね。

そんな好奇心やチャレンジ精神を持って、もっと多くの人が高い壁に挑戦しつづけることで、これからの日本を大きく変えることができると確信していますし、それはスポーツビジネス以外のビジネスでもそうでしょう。私自身もスポーツ界でそんな事例を一つでも多く残していきたいと今実際に考えて次のビジョンに向かって行動しています。

望月 重良(もちづき しげよし)

1973年7月9日静岡県生まれ。元サッカー日本代表。

清水商業高校では全国制覇を経験。筑波大学時代にはユニバーシアード福岡大会で優勝。1996年に名古屋グランパスエイトに入団し、1年目からレギュラーを獲得。以降、数々のチームで中心選手として活躍した。Jリーグ通算200試合出場18得点。

サッカー日本代表として、W杯フランス大会予選のネパール戦( ○ 3-0 )でフル代表デビュー。日本代表では通算15試合出場1得点。

2007年、国の特定疾患に認定されている「特発性大腿骨頭壊死症」を患い、現役を引退。2008年に神奈川県相模原にサッカークラブ「SC相模原」をゼロから立ち上げ、6年でJリーグへ昇格させる。2023年からは経営を株式会社ディー・エヌ・エーへ譲り、創業者兼フェローとして関わる予定。サッカー解説者としても活動中。

公式Instagram

https://instagram.com/shigeyoshi_mochizuki?igshid=YmMyMTA2M2Y=

*撮影協力

ハチイチゴコーヒースタンド

https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131707/13174489/

(了)

AGI Creative Labo株式会社 CEO

兵庫県生まれ スポーツジャーナリスト/早稲田大学スポーツビジネス研究所・招聘研究員/江戸川大学・追手門学院大学で非常勤講師/トヨタブロックチェーンラボ所属/ブロックチェーン企業ALiSアンバサダー,Gaudiyクリエイティブディレクター/NFTコンテンツ開発会社AGICL CEO/CBDC/漫画『アオアシ』取材・原案協力/『スポーツビジネスの未来 2021ー2030』(日経BP)など重版/ NewsPicksで「ビジネスはJリーグを救えるか?」連載/趣味はサッカー、ゴルフ、マラソン、トライアスロン / Twitterアカウントは @Nao_Ueno

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