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「あれはもう、誰も味わえないと思います」。漫才で時代を変えた「ザ・ぼんち」本音と今後

中西正男芸能記者
古希記念ライブを行う「ザ・ぼんち」のぼんちおさむさん(左)と里見まさとさん

ぼんちおさむさん(69)と里見まさとさん(69)が1972年に結成した「ザ・ぼんち」。1980年からの漫才ブームをけん引し、現在のお笑い隆盛の基礎を築きました。3月11日には古希記念の単独ライブを大阪・なんばグランド花月で開催しますが、漫才師として初の武道館ライブを開催し、解散、再結成も経験。波乱万丈という言葉では足りない50年を体験し、今語る本音とは。

70歳

おさむ:二人とも今年古希を迎えるんです。その節目で何かやるのはどうやろと相棒が言ってくれまして、単独ライブをさせてもらうことになりました。

ウソみたいな話ですけど、もう70歳になるんですもんね。60歳になる時はそこまで思わなかったですけど、70と聞くと、グッとくるものがあります。

まさと:肉体的なこと、精神的なこと、一年一年のしかかってくるなとは感じています。歳とともに、食後に飲む薬の量も増えてきましたしね(笑)。

ちょっと前まで西川のりおさんに「ナンボほど飲んでんねん!」と言うてましたけど、今では自分に「どんだけ飲んでんねん!」とつっこみたくなるくらいです。

おさむ:その「西川のりお・上方よしお」のお二人もゲストに来てくれます。なんといっても、漫才ブームの時の戦友ですからね。

「ザ・ぼんち」も「のりお・よしお」も、どちらかというと恵まれない存在やったんです。「やかましい」「汚い」「前に出すぎ」と会社からも注意されてました。その二組が漫才ブームで一気に世に出て、何もかも変わった。その二人に出てもらうのは感慨深いもんやなと思っています。

あと、忙しい中「ミルクボーイ」にも出てもらいます。いわゆるちゃんとした漫才。漫才らしい漫才。今の漫才。それは「ミルクボーイ」で満喫していただき、僕らと「のりお・よしお」は好き勝手に暴れたおすというね(笑)。

時代

まさと:まぁ、でも、この歳やから全てを噛みしめて言えることですけど、ホンマにいろいろ経験させてもらいました。我がことながら誇らしいものもあれば、せんでもエエ悲しい経験もしました。

ただね、これはなんやろね。70歳を迎えようとしてますけど、かわいらしい言い方をさせてもらうと、自分の中の宝もんやし、全てにエネルギーをもらいました。

あと、人に恵まれました。もちろん、それはおさむさんであり、おさむさんの後に組んだ亀山房代さんであり、講談の師匠・旭堂南陵さんであり…。

特に漫才ブームの時の3年というのは、忘れようたって忘れられない経験でした。妙な回顧主義じゃないですけど、すごい3年やったと純粋に思います。

おさむ:当時人気絶頂やった「ピンク・レディー」が「寝る時間が3時間もないんです」と言ってたんです。

それを聞いて「ホンマかいな。そんなんやったら、人間生きてられへんで」と思ってたんですけど、漫才ブームになったら、まさに僕らがそうなりました。

東京でホテルは取ってもらってるんですけど、チェックインもチェックアウトもしないんです。ホテルに行くこともなく仕事して、そのまま夜通し働いて大阪に戻る。新幹線の移動時間が睡眠時間です。布団で寝ることがない3年でした。

漫才ブームの頃はね、今の「M-1グランプリ」や「キングオブコント」から次々とスターが出てくる時代と違って、そのうねりの中にいた組数がすごく少なかったんです。8組くらいしかいなかった。

しかも、吉本興業も勝手が分からへんから、そら、ムチャやろと思うくらい、入れられるだけ仕事を入れてました(笑)。そら、寝られません。

まさと:エエ格好でもなんでもなく、今、若い人たちがよしもと漫才劇場、なんばグランド花月なんかを掛け持ちで漫才出番をしていて、聞いたら、一日に8ステージ漫才をやってると。

そら、大変やなぁと話をしてるんですけど、よく考えたら僕らは大阪と東京の移動を一往復半しながら14ステージやってました。そら、フラフラになるわと(笑)。

おさむ:そらね、漫才を見たら、今の若い人たちはホンマにうまい。感心します。そして、これだけ数が多い中「M-1」を取ったりする人はすごいとしか言いようがない。ホンマに、ホンマに、そう思います。

ただ、僕らの時は時代でしょうね。それが今とは違ったんやと思います。

今でこそ芸人がきちんと扱われるというか、どこに行っても大事にしてくださいます。一方、僕らの若い頃は芸人は格下でした。他のタレントさんや歌手の方に比べると明らかに低く見られてました。

そこも含めて、漫才ブームの時は一晩で何もかもが変わりました。エエ悪いやなく、今の世の中ではもうあの感覚は誰も味わえないと思います。

それだけ芸人にとって良い世の中になったということやし、エエことなんですけど、僕らはそこに立ち会ったのでいろいろ味わわせてもらいました。相手の態度も、楽屋も、ギャラも変わる。何もかも変わりました。

まさと:やっぱりね、時代が違いますわね。我々の時は、他の娯楽が本当に少なかった。ゲームも、インベーダーゲームなるものが独り歩きしているくらいで、テレビ以外の楽しみがほとんどなかった。

逆に言うと、テレビの重み、ゴールデンタイムの重みが全然違うわけです。そこで漫才をやった時のお客さんの食いつき。熱。これは凄まじかった。僕らもそれでさらに熱くなりますしね。今との一番の違いは熱でしょうね。それがありました。

おさむ:僕らの漫才がどうのこうのというよりも時代です。テレビを見て、子どもたちが翌日学校で全員そのマネをする。こんなん、今はありません。

笑いの質も、笑いを取り巻く環境もこの50年で激変しました。

今は“人を傷つけない笑い”が求められる時代になりました。僕らも意識したりもしてるんですけど、そこで気づいたのが、実は僕らの漫才は誰かに矢を向けるような漫才ではなく、僕が自らバカになって、それを笑ってもらう漫才なんですよね。

だから、バカになるのは自分であって、人をバカにすることはない。バカになって相棒から諭される。バカになって相棒に言い返していく。その漫才ですから。ムチャクチャしてるんやけど、誰かを不快にはしにくい。それが良かったのかもしれんなと今になって思ったりもしています。

まさと:あと、芸人を取り巻く環境ですわね。ここも劇的に変わりました。いや、吉本もつらいと思いますよ。「笑かせ!」と言いつつ「コンプライアンスを守って品行方正にいなさい」と言わなアカン。

今や、芸人の方が一般の人よりまじめに、肩身の狭いところで生きてますから。“芸の肥やし”なんて言葉も、もう許される時代ではなくなった。

そういう時代なんでしょうけど、昔からいろいろな空気を吸ってきた人間からしたら、どこか息苦しさを感じるところもあるのは事実ですけどね。

おさむ:もし、僕なんかが情報番組のコメンテーターをさせてもらったら、すぐ降板になると思います(笑)。今の世の中やったら。

ものが言えない世の中になった。時代は変わるもんなんやけど、それでもそこは強く感じますね。

まさと:ホンマに、ホンマに、変わったもんな。

縁としか言いようがない

おさむ:そら、時代も変わるというか、相棒との出会いは16歳、高校1年の時ですから。僕はおちゃらけの人間でしたけど、相棒は野球部で真面目な人間でした。

そこから一緒にコンビを組むことになって、漫才ブームが来て、解散して、また組んで。縁としか言いようがないですよね。

相棒が50歳になってもう一回組もうと誘ってくれて、今に至る。ありがたいしかないです。僕の相方は相棒やし、相棒の相方は僕やし。互いに唯一の味方ですから。

まさと:同じ仕事とはいえ、2回レールを走ってね。オモロイ経験ですわ。人生で一回あってもビックリするようなことをいくつもさせてもらいました。

おさむ:今回は古希でライブをやらせてもらいますけど、次の節目でいうたら喜寿ですか。喜寿か…。そこでも何かできてたら最高ですね。

まさと:もう喜寿の時は、台本要らんわ(笑)。

おさむ:あっても覚えられへんしね。まず相棒に「…お前、誰や」から始まりますわ。ボケなのか、ホンマのボケなのか。そんなんしてたら嫁はんが「お父さん、もうエエねん」と止めにくるんやけど、嫁はんもボケてて相棒の方に止めにいって(笑)。

こんな話もホンマはアカンのかな。自分らが受けとめて覚悟をもってやってることで楽しんでもらえたら、それはそれでエエとも思うんですけどね。

もちろん迷惑はかけたらアカンけど、もうね、僕らも「自分らのやりたいようにやる」。その前提として「喜んでもらえるんやったら」がつきますけど、その年回りになってきたのかなとも思っています。

口幅ったいことですけど、普通やない生き方をさせてもらってきて、この歳まで生きてきました。だったら、その味を楽しんでもらう。それも僕らができることやないかなと思うんです。

喜寿のライブは今回よりもっとムチャクチャになるでしょうけどね(笑)。だから、その時も、その時の「ミルクボーイ」みたいな若手に来てもらおうと思います。

「漫才とはこういうものです」というのは若手に任せて、僕らは暴れるだけ暴れたおしたいと思います(笑)。

(撮影・中西正男)

■ザ・ぼんち

1952年12月16日生まれで大阪府出身のぼんちおさむ(本名・長瀬修一)と52年4月25日生まれで兵庫県出身の里見まさと(里道和)が大阪・興国高校の同級生として出会い、72年にコンビ結成。吉本興業所属。1980年、関西テレビ「花王名人劇場」やフジテレビ「THE MANZAI」などに出演し、「横山やすし・西川きよし」「B&B」「島田紳助・松本竜介」「西川のりお・上方よしお」「太平サブロー・シロー」らとともに漫才ブームを築く。81年、シングルレコード「恋のぼんちシート」を発売し大ヒット。同年に全国ツアーも行い、ツアー最終日には日本武道館で公演し、武道館でコンサートを開催した初の漫才師となる。当時のテレビ・ラジオのレギュラーは週14本。多忙と芸の消耗により86年にコンビ解散。おさむは俳優としてテレビ朝日「はぐれ刑事純情派」など俳優業に進出。まさとは亀山房代と89年に漫才コンビ「里見まさと・亀山房代」を結成。若手扱いから再出発し、98年に上方漫才大賞を受賞した。亀山の結婚・妊娠により、2001年にコンビ解散。02年に「ザ・ぼんち」を再結成。「ザ・ぼんち」としてゴールデン・アロー賞芸能新人賞・最優秀新人賞、上方漫才大賞、 文化庁芸術祭大賞など受賞多数。3月11日には大阪・なんばグランド花月で古希記念単独ライブ「ダイヤモンドは砕けない」を開催する。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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