「第51回NHK上方漫才コンテスト」で優勝したお笑いコンビ「ビスケットブラザーズ」。2011年の結成以来コントを中心に活動し、19年には「キングオブコント」で決勝進出。20年には「ytv漫才新人賞」で優勝を果たすなど注目度が急上昇しているきんさん(30)と原田泰雅さん(29)ですが、快進撃の背景にあったものとは。

100か0

原田:「NHK上方漫才コンテスト」は格式が高いとイメージというか、その世代トップの漫才師の人が取るものというイメージがあったので、僕らみたいな芸風的に格式が低いコンビには縁がないと思っていました(笑)。なので、取った瞬間は「えっ!?『NHK―』取れたんや?」という感覚になりました。

きん:自分らで言うのもナニなんですけど、イメージと違うというか、まずはビックリ、そしてうれしいという感じでしたね。

原田:あと、これはどのコンビもだと思うんですけど、新型コロナ禍でなかなかライブもできず、ネタがどんなウケ方をするのか確認する場がなかったんです。

僕らも単独ライブで自分らのクセを全開にするようなネタをやって、そこからまた劇場が無観客になってしまったので、広く一般のお客さんにネタがどんなウケ方をするのか。それが分からないままの「NHK―」となったんです。

ただ「NHK―」は出場資格的に今年がラストイヤーだったので、とことん自分たちらしいネタをやろうと。それだけは決めていたので、100か0かみたいなネタを選んでやったんです。

きん:もちろんリスキーな部分もあると思うんですけど、このネタを「NHK―」の舞台でやっただけで「よくあの場で、そのネタをやったよな」ということが笑いになるというか(笑)。そういうものを持っていきました。

当然勝つ気で行ってるんですけど、もしダメでも「あのネタやったら、そら落ちるわ」と笑える。どちらに転んでも悪いことはないという思いもありました。

原田:どんな形になっても、それはそれで面白い。そういう心境だったので、本番前もすごくリラックスしてたんです。それが結果的にはプラスに働いたのかなと思います。

(撮影・中西正男)
(撮影・中西正男)

ナダルという存在

きん:そもそもの話、僕らはNSC大阪校33期の同期として出会いまして、それぞれが高校を卒業したタイミングで入ってきました。

入学前の面接を終えて難波を歩いてたら、商店街で三角座りしながらタピオカドリンクを飲んでいる若者がいたんです。今から10年以上前ですから、タピオカもまだ流行ってなかったですし、なんとも変わった人がいるもんだなと。

そして、NSC に入ったらクラスにその人がいたんです(笑)。同じクラスになってからも、商店街での三角座りなんて序の口だったと思えるくらい奇行の連打でした。

 授業中に1時間ドアをずっと触っていて講師の先生に「何をしてたんだ?」と聞かれたら「材質調べてました」と答えたり、とことん変わってるし、面白い人だなぁと思ってコンビを組もうと思ったんです。

原田:当時は芸人というのはずっとふざけてるもんだと思っていて。今だったら絶対に違うと分かるんですけど、なんなら会話出来ないくらいの奴が面白いと思ってたところもあったんです。

それくらいとがっていた時期でもありましたし、当時はまだ18歳ですし、互いに「自分の方が面白い」という我も強かった。だから、コンビの中でもケンカというかぶつかりは頻繁にありましたね。

ただ、周りが大人で僕らを弟みたいに可愛がってくれて。そういう周囲の温かさがあったのでケンカはするけど、ここまでやってこられたという感じです。

きん:中でも、NSCの時に「コロコロチキチキペッパーズ」のナダルが同じクラスで、ナダルが作ってくれた空気というのはすごく大きかったですね。

当時ナダルが日本で一番小さいと思われる軽自動車に乗ってたんですけど(笑)、そこに僕ら二人を乗せてドライブにもよく連れて行ってくれたんですよ。

今では“ヤバイ奴”というのが第一のイメージみたいになってますけど、当時はまた違った空気だったんですよね。

これを言うのが営業妨害になるのかどうかは分かりませんけど(笑)、まず核にあるのは“とてつもないくらい良い人”なんです。とにかくマイルド。柔らかい。みんなで仲良くしようという空気に満ち溢れているというか。

原田:ただ、良い奴すぎて笑ってしまうというか。ある時、ナダルが「ものすごく美味しいラーメン屋さんがあるから行こう」と誘ってくれまして。また、ナダルの車に乗ってそのお店に向かったんです。

僕らもまだ若いし、とにかくお腹が空いている。車で行けども、行けども着かないんですよ。結局、奈良の山奥の方まで行って、しかも店に結構な行列もできていて、食べるまでにものすごく時間がかかったんです。

ま、ラーメン自体は実際に美味しかったですし、ナダルは僕らを喜ばせようという思いで奈良の山奥まで連れて行ってくれたので、それはそれでありがたかったんですけど、帰り道、僕らの家の方まで車で送ってくれている時に、家のすぐ近所に同じ店があったんです。チェーン化されていて(笑)。

そこでものすごく恥ずかしそうにしてるナダルも面白いですし、ベースに良い人ということがあっての可愛らしさもあって、それで僕らもコンビ間のギスギスしたものがかなり緩んだということがあったと思います。

きん:同期のお母さんが亡くなった時も、ナダルはその話を聞いてものすごく泣くんです。そんなつらいことがあったんやと。そこから、少しでもその同期に寄り添うというか、悲しみを和らげようと本人は良かれと思って真剣に話すんですけど、それがまた…。

「オレもな、自分が飼ってた犬が死んだ時にはホンマに悲しかってん」

ナダルにしたら、精いっぱいの優しさからの寄り添いだったんですけど、ツッコミなんてことをしにくい空気の中ながら、みんなが「お母さんが亡くなった話の次にする話と違うで」と思わずつっこんでました。ワンちゃんを失った悲しみももちろん大きかったとは思うけど、順番があまり適切じゃないと(笑)。

(撮影・中西正男)
(撮影・中西正男)

スタンスのリセット

原田:そうやって何とか周りに支えられてやってきましたけど、いろいろな考え方がまとまってきたというか、目指すものが見えてきたのはここ3~4年くらいだと思います。

18歳でこの世界に入ってきた時には「芸人ってかっこいいな」という思いがあったんです。僕は「千原兄弟」さんの DVD を見て「うわ、こんな世界があるんや」と思って入ってきたので、面白い中にもブラックな部分があって「この角度から切り込んでいくんや」という切り方、切れ味みたいなことへのあこがれがすごく強かったんです。

なので、そこを目指してたんですけど、ちょっとずつ気づいてきたというか「僕ら二人とも太ってるからカッコつけられへんな」と(笑)。

ソリッドな角度ついてる笑いをやっても似合わない。逆に「何してんねん!アホやなあ」ということは反応が良いし、結局、やっていくべきはそういうことなんだろうなと。それを気づくまでに時間がかかりました。

しっかりと思い出したのはここ3年ぐらいですかね。二人ともきちんと機能するようなことを心がける。そこから結果が少しずつ出てきた感じだと思います。

きん:ここ一年ほどはたくさんお仕事もいただけるようになって忙しいというか、吉本なので毎日舞台がある。出してもらえる。それがすごくありがたいなと思っています。

原田:今後のことでいうと、何としても「キングオブコント」優勝はしたいですね。僕らが高校生の頃から大会が始まって、そこに影響を受けてこの世界に入った大会でもあるので、そこで自分たちが優勝する。

そうなると、達成感としてはマックスくらいのことでしょうし、優勝できたら、まぁ、引退でしょうね(笑)。

要はそれくらいうれしいことですし、今回格式高い賞を格式低い僕らがいただきもしたので、ここからなんとか少しでも進めるよう頑張っていきたいと思います。

(撮影・中西正男)
(撮影・中西正男)

■ビスケットブラザーズ

1991年4月27日生まれで香川県出身のきん(本名・遠山将吾)と92年1月10日生まれで大阪府出身の原田泰雅が2011年に結成。19年に「キングオブコント」で決勝進出(6位)。20年には「上方漫才協会大賞文芸部門賞」を獲得し「ytv漫才新人賞」で優勝する。NHK上方漫才コンテストで優勝。