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ビビる大木の25年。「運が良かった」に込めた思い

中西正男芸能記者
芸能生活25年となり、今の思いを語るビビる大木

 芸能生活25年を迎えたビビる大木さん(46)。11月3日に節目を記念した有料配信ライブ「第1回ビビる大木ジャンボリー」も開催します。25年を支えた、人との繋がり。そして「運が良かった」という言葉に込めた思いとは。

ワイフもゲストに

 バラエティーの世界って、意外とこう、ミュージシャンみたいに10周年記念のベストアルバムだとか、そういうことがないんですよね。

 実際、僕も20年の時に何もしなかったし、やった方がいいなという感覚もなかったんです。ただ、いろいろな思いを重ねる中で、節目のライブがあっても面白そうだなという感覚が出てきまして。

 ベストアルバム的なことがバラエティーにも存在していいんじゃないか。ただ、30年まで待てないので、25年でいってみようとなったんです(笑)。

 ずっと、自分の中で「過去は過去だから、そこを振り返ってもなぁ…」という思いはあったんです。ただ、25年やってきて、この歳になってくると「フジテレビの『笑う犬の冒険』、子供の頃から見てました!」とか言ってくれる若い後輩なんかも入ってきて。

 自分ではどこかまだ若手のような感覚もあるんですけど、よく考えたら、25年経ってるんだもんなと。当たり前なんですけど、時間の流れを実感して、歩いてきた足跡も大切にすべきなのかなと思うようになってきたんです。それが今回の催しに繋がりました。

 本当は去年からいろいろ考えて、大きな会場を見に行かせてもらったりもしてたんです。だけど、そんな中の新型コロナで、状況が一変しました。

 たくさんのお客さんに集まってもらうのは難しいだろうし、やるなら生配信だろうなと。去年だったら、生配信なんて発想自体が自分にはなかったんですけど、期せずして今年ならではのやり方になりました。

 それをやるとしたら、どこからやるのがいいのか。コンビ時代からそうですけど「オールナイトニッポン」という憧れの番組があって、ありがたいことにその番組をやらせてもらうことにもなった。

 もともと、イベントをラジオっぽくやりたいという思いもあったので、じゃ、発信場所としてニッポン放送をお借りできないか。そんなお願いをしたら、快く受け入れてくださったんです。場所も含め、幾重にも、25年を盛り込んだ空気になると思います。

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 出演をお願いしたメンバーも、思い入れの強い方に打診をさせてもらいました。まずはプライベートでも本当にお世話になっている「キャイ~ン」の天野ひろゆきさん。そして天野さん率いる「天野会」の皆さん。あとは同年代である堀内健さんや有吉(弘行)君とかに来てもらえたら最高だなと思って、声をかけさせてもらいました。

 「天野会」は芸能界最弱の草食系軍団だと言ってきたんです(笑)。誰も酒も飲まないし、天野さんの家で天野さんの手料理を食べて、テレビゲームをやって、紅茶を飲んで解散という。

 酔った勢いでどうのこうのなんてことも一切ないところで、僕はワイフと出会って結婚もした。その頃のことを面白おかしく話そうとなった時に、必然的にワイフも参加することになりまして。一緒に仕事をするというのもなかったんですけど、ワイフもゲストとして来てもらうことになりました。「天野会」のメンバーとして。

「運が良かった」

 25年の節目にこんなことをさせてもらえるというのは、本当に幸せなことだと思います。ここまで何とかやってこられた理由、自分で感じるのは、オレは本当に運が良かったなということです。

 この世界で運というのはとても大きな要素だと思うんです。その時期で、その歳で、その位置だったから呼んでもらえた。そういった流れがたまたま合致して、運良く人気番組に呼んでいただいてきたなと。

 じゃ、呼んでもらうために何かをしてたのかというと、そんなに“トレーニング”を積んでたわけでもないんです。コンビの時はコンビのネタを考えるくらいで、そんなことは誰でもやってることですしね。だから「オレが凄かった」という話や感覚が自分の中にないんですよ。運によって助けられた、背中を押されたということばかりで。

 決して、僕がメインというわけではないんですけど、ご縁をいただいて「トリビアの泉」(フジテレビ)があったり、「進め!電波少年」(日本テレビ)があったり。とにかく、そこに居させてもらった人気番組がいっぱいありました。

 「トリビアの泉」でいうと、最初は深夜番組だったんです。それがゴールデンにあがると。みんなでワチャワチャと楽しくやってたらゴールデンだなんて良かったなぁとなっていたら、ゴールデンになったらグレードアップしてタモリさんが加わると。

 深夜の時はタモリさんの役割を僕がやらせてもらっていたんですけど、ゴールデンになるタイミングで上層部の方々の判断としては「大木はもういいだろう」となったんです。そこで、深夜からやってきた若いディレクター陣が「一緒にやってきたので、大木さんと(ゴールデンに)いきたい」と言ってくれたんですよ。

 言ってくれたディレクターは2人いるんですけど、その2人とは「トリビアの泉」の前の番組から一緒にやってきて、2人が「トリビアの泉」を立ち上げて、ゴールデンを任されるようになった。その時に「大木さんも一緒に」と強く言ってくれたんです。

 本当に、縁があるというか、運がいいというか…。AD時代から一緒だった人が出世していったところに僕は乗っかっていっただけだったんですけど(笑)。

 結果、僕もゴールデンでの「トリビアの泉」にも出してもらうことになって、番組にはもうタモリさんがいらっしゃるので、オレの仕事は、とにかくその雇ってくれた2人を男にすることだと。それを目標にやろうと思ったのは覚えてます。

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カラオケを抜け出して

 運を呼び込む秘訣ですか?こればっかりは分からないですけど、若手の頃は、何と言うんでしょうかね、カタいというか、今よりも真面目というか。そんな自分ではありましたね。

 例えば、合コンで男女10人くらいでカラオケに行くとするじゃないですか。その状況でも、オレ一人、途中で部屋を出て、カラオケの受付のところでネタを書いてたんですよ。

 それはそういう時間なんだから、そこでは遊べよとも思うし(笑)、女の子にもモテたいんですよ。ただ、それと同時に「オレが遊んでる間に頑張ってるヤツもいるよな」という思いもあって。

 だったら、オレも遊んだはいいけど、その分、何かやらなきゃ。それなら家に帰ってやるよりも、今やろうと受付に向かってたんです。連れて行ってくれた先輩からは「合コン中なんだから、今は合コンに集中してくれよ!」と言われましたけど(笑)。

 この世界って「遊びの延長が仕事だし、仕事の延長が遊びだ」と言ったりもしますけど、その辺のバランスがまだ取れてなかったのかもしれませんね。

 ただ、そういうバカ真面目に取り組んだ時期にも意味があったのかなとも思いますし、確かに、若ければ若いほど、ふざけて過ごした日が少なかった気はします。

 若い時こそムチャをするとか、遊ぶというイメージもあります。先輩にも「遊べよ」と言われてました。でも、自分の根っこが遊び人じゃないというのも気づいてたし、酒を飲まないので、朝6時まで飲んじゃったというようなこともない。じゃ、その時間を何に使うんだ。それが自分の大きなポイントになってきたのかなと思います。

 今は世の中も変わりましたけど、僕らの年代で、この業界で、酒を飲まない。それも自分の来し方に影響を与えてきたんでしょうね。僕らが若手の頃は忘年会、新年会、打ち上げは朝まで。酒飲まないヤツは信じられない。そんなことが当たり前の時代でしたから。

 酒を飲まないだけで、なぜか下に扱われるというのも感じてきましたし。「飲めないんです」と言っても「飲め!」と言ってくるプロデューサーさんもいましたし。本当、そういう時代だったんですよね。

 で、自分がある程度先輩になってくると、酒を飲まない後輩たちに「一人一冊ずつ本を持ってくるように!」と言ってファミレスに集合させてたんです。「オレたちは朝までドリンクバーで読書だ!これがオレたちの遊びだ!」って、各々に本を読ませてました。

 自分としては良かれと思って「お前たちも酒を飲まないから、飲み会はつらいだろう」という考えから誘ってたんですけど、そいつらはそいつらで、酒は飲めないけど合コンには行きたいという思いもあったみたいで…。

 結局、方式は違いますけど「飲め!」と言ってくるプロデューサーと、やってることは一緒だったというね(笑)。

 僕は幕末の時代が好きなもんで、吉田松陰先生が「松下村塾」を開いたように、そこになぞらえて、みんな集まって好きな本を読んで、そこから後の高杉晋作、伊藤博文、山形有朋みたいに時代を作る人物が出てくれればというイメージを持っていたんです。

 僕らの世界で言うなら、時代を作る人物=スーパースターということになるんでしょうけど、結果的に「Wエンジン」「クールポコ。」「ザブングル」らが輩出されました。やった意味はあった。そう思いたいところです(笑)。

「テレビを利用する」

 25年、いろいろな方から、いろいろな言葉もいただきました。その中でも重みというか、長く戦ってこられたからこその言葉だと深く染み込んだのが堺正章さんの言葉でした。

 堺さんが司会をされていた「発掘!あるある大事典」(関西テレビ)にゲストで出してもらった時に「終わったら、ちょっと行くか?」と食事に誘ってもらったんです。

 ご飯を食べながら、話をしていくうちに「いいか、テレビは利用されるばっかりじゃダメなんだ。こちらも利用しないといけない。それで初めて成り立つんだよ」ということを言っていただきました。

 “利用”という言葉が悪く聞こえるかもしれませんけど「利用される」というのは“言われたことだけをやる”ということ。「利用する」というのは“その場を使って自分を出す”ということ。

 利用した結果、番組にとっても、見てくださっている方にとってもプラスがあるようにする。言われたことだけやり続けても、どこかで仕事は途切れる。自分からプラスアルファを打ち出して、良い利用をすることを考えなさいよと。

 まさに、堺さんがテレビの世界で戦ってこられた中でつかんだ本質。それをよくオレみたいな小物に言ってくださったなと…(笑)。今でも本当に感謝しています。

 実は、堺さんからその言葉をいただく前にも、また違う形で、そんなことを教えてもらっていたこともありまして。だからこそ、堺さんの言葉がより一層、自分の中に染み込んでいったのかもしれません。

 というのは、若手の頃、前説として「電波少年」に行かせてもらってたんです。当時のテレビの台本って、今よりもっとしっかりと作られていたんです。きっちり製本してあって一冊の本みたいになってるし、中身もびっしりと書いてあったんです。

 僕は前説なので、出演はしない。だけど、一応、念のために台本だけ読んでおこうと思ったら、当時のプロデューサーの土屋敏男さんに言われたんです。「見るな、大木」と。

 その時は「出演者じゃないのに台本を見ちゃいけなかったのかな…」という解釈をしてたんですけど、収録が終わってから「台本見ていいよ」と。

 終わったのに、今さらなんで見ないといけないんだ…とも思ったんですけど、そこで教えてもらったんです。「スタッフが思ってる“正解”が、そこには書いてある。今日の収録で出演者の人たちがやったこと何が違うか見てみろ」と。

 台本には「これをやるためにあなたを呼んでいるんですよ」ということが書いてある。あとは、自分がそれプラスアルファを出すことが本当の仕事でもあるんだ。その時にも、それを強く感じたんです。

 …これだけアレコレ言ってしまったので、今後、僕の仕事のハードルが高くなるという危険性もありますよね(笑)。ただ、番組によってやり方もまちまちだし、台本通りにやった方がいいものもありますし、ま、そこは臨機応変と言いますかね、皆さん、何卒宜しくお願いします!

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(撮影・中西正男)

■ビビる大木

1974年9月29日生まれ。埼玉県出身。本名・大木淳。95年、大内登とお笑いコンビ「ビビる」を結成。「こんばんみ!」などのギャグで注目される。2002年、大内が引退を表明し、コンビ名を残して現在の芸名に改名しピン芸人となる。13年、AKINAと結婚。15年には長女が生まれる。テレビ東京「追跡LIVE! Sports ウォッチャー」、中京テレビ「前略、大とくさん」などに出演中。11月3日には芸能生活25年を記念した有料配信ライブ「第1回ビビる大木ジャンボリー」を開催。出演者はビビる大木、天野ひろゆき、井森美幸、矢部太郎、AKINA、堀内健、有吉弘行。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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