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吉田麻也移籍で3年ぶりのゼロに…13人目のセリエA日本人選手は現れるのか?

中村大晃カルチョ・ライター
2020年10月2日、サンプドリア時代の吉田麻也(写真:Maurizio Borsari/アフロ)

「サヨナラ、イタリア」

7月5日、移籍情報サイト『TUTTOmercatoWEB』は、こう題した記事で吉田麻也のシャルケ加入を伝えた。2019-20シーズン途中にサウサンプトンからサンプドリアに移籍して2年半。移籍直後のロックダウンという厳しいスタートを乗り越えた日本代表主将の、イタリアでの冒険が終わった。

昨年の夏は、冨安健洋がアーセナルに移籍した。吉田もドイツへ向かったことで、セリエAのクラブに在籍する日本人選手はいなくなった。これは、冨安がボローニャに加入するまで、つまり2019年夏以来のことだ。3年ぶりに、セリエAは「サムライ」不在のリーグとなった。

◆かつて常連だった日本人選手

周知のとおり、初めてセリエAに挑戦した日本人選手は、1994-95シーズンにジェノアでプレーした三浦知良だ。それから3年の時を経て、1998年夏に中田英寿がペルージャに移籍した。

以降、セリエAに「サムライ」がいるのは見慣れた光景だった。じつに19年半にもわたり、イタリアの1部リーグでは常に日本人選手がプレーしてきたのだ。中田、名波浩、中村俊輔、柳沢敦、小笠原満男、大黒将志、森本貴幸、長友佑都、そして本田圭佑と、その数は9人にのぼる。

2017-18シーズン途中に長友佑都がインテルを退団したときに、この記録は途絶えた。ただ、日本人選手がいなかった期間は、そう長くはない。長友のガラタサライに移籍から1年半で、冨安がボローニャに加わった。

今度の「サムライ」不在期間がどれくらいになるかは分からない。今夏の移籍市場はまだ始まったばかりだ。2022-23シーズンのセリエAの舞台に日本人選手が立たないとは決まっていない。

◆対外的な魅力の喪失

ただ、かつてと現在でセリエAの立ち位置が違うことは事実だ。

カズや中田が移籍したころは、世界最高峰のリーグだった。長友がイタリアに渡った2010年は、インテルが欧州制覇を含む3冠を成し遂げ、クラブ・ワールドカップで世界一に輝いている。

しかし、それ以降、チャンピオンズリーグ(CL)を制したイタリアのクラブはない。代表はEURO2020で見事な優勝を果たしたが、2大会連続のワールドカップ予選敗退という屈辱はそれ以上にネガティブなインパクトを与えた。

老朽化が騒がれるスタジアムの新改築は遅々として進まず。いまだはびこる人種差別などの社会的問題もあり、リーグの対外的魅力は低下の一途をたどっていった。それは放映権料にも影響し、プレミアリーグとは雲泥の差だ。

その差がピッチ外での「アピール力」だけにとどまらず、プレーそのものにも影響しているのは、冨安や吉田の発言からもうかがえる。飛躍を目指す日本人選手にとって、セリエAはあえて目指すリーグではなくなっているのかもしれない。

◆憧れのリーグではなくなったが…

だが、イタリアには優れた指導者も多い。欧州の強豪で指揮を執る大物は言うまでもないが、国内の中堅クラスを率いる監督にも、従来のイタリア式とは毛色の異なる哲学が広まりつつある。

そのうえで、以前からの特色である戦術の細かさや守備力もある。欧州の頂点に立つには至らずとも、大いに学ぶことがあるのは、シニシャ・ミハイロビッチの下で冨安が鍛えられ、去就が注目されたときにマタイス・デ・リフトがユヴェントスを選んだことなどが示している。

リーグ上位のクラブには、世界を代表するワールドクラスの選手たちも少なくない。国内リーグで頻繁にそういった相手と戦うことは、大きな糧となるはずだ。

もちろん性格によるが、日本人選手にとって、イタリアは比較的馴染みやすい環境という側面もある。食事は言わずもがな。筆者は、言葉の壁も決して越えられないような高さではないと考える。当然、本人の必死の努力があったからだが、直近では長友、冨安、吉田がそれを証明してきた。例えば国外初挑戦など、環境への適応がより重要となる選手にとっては利点となるかもしれない。

セリエAは、かつてのような憧れのリーグではなくなった。だが、日本人選手が得られるものがないリーグではない。吉田に続く、セリエAで13人目の「サムライ」は誕生するのだろうか。

カルチョ・ライター

東京都出身。2004年に渡伊、翌年からミランとインテルの本拠地サン・シーロで全試合取材。06年のカルチョーポリ・W杯優勝などを経て、08年に帰国。約10年にわたり、『GOAL』の日本での礎を築く。『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿。現在は大阪在住。

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