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ローマのレジェンドが宿敵絶賛で炎上、「殿堂外し」も要求され心痛からインタビューで涙

中村大晃カルチョ・ライター
2019年12月22日、スーペルコッパ・イタリアーナでのラツィオ主将ルリッチ(写真:ロイター/アフロ)

たとえ愛するクラブのレジェンドでも、憎き宿敵の主将を絶賛したら許せないということか。

元イタリア代表で、かつてローマでゴールを量産したロベルト・プルッツォにとって、2020年は最悪のスタートとなった。一部のロマニスタから批判の標的とされたからだ。

◆トッティに次ぐゴールゲッターにも容赦ない批判

発端は、プルッツォがローマのライバルであるラツィオのキャプテン、セナド・ルリッチを「私のお気に入りになった」と称賛したことだった。ルリッチは12月22日のスーペルコッパ・イタリアーナで、ユヴェントスを相手に決勝点を挙げ、ラツィオにタイトルをもたらしている。

プルッツォはラジオ番組に出演し、いわゆる規格外の選手ではないが、献身的に働いてきたルリッチを称賛。高いレベルでその重要性を示したとたたえたのだ。

しかし、これが一部のローマファンの怒りを買ってしまう。ルリッチは宿敵で腕章を巻く選手というだけでなく、ダービーファイナルとなった2013年のコッパ・イタリア決勝でローマを沈める決勝点を挙げた選手でもあるからだ。『コッリエレ・デッロ・スポルト』紙などによると、SNSではクラブにプルッツォをローマの「殿堂」から外すように求める声もあるという。

“炎上”したプルッツォは、心を痛めている。

1978年から10年にわたってローマでプレーしたプルッツォは、クラブ史上2回目のスクデット獲得時のメンバーだ。1983-84シーズンのチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)では、準決勝セカンドレグの2得点で逆転決勝進出に導き、PK戦の末に敗れたリヴァプールとのファイナルでも、同点弾となるゴールを決めている。2年連続を含め3回、セリエA得点王に輝いており、ローマでの通算ゴール数(138)は、フランチェスコ・トッティに次ぐ2位。まさにローマのレジェンドだ。

◆レジェンド泣かせに不快感を訴える記者も

そんなレジェンドが、「殿堂外し」を要求された。年が明け、別のラジオ番組で、プルッツォは「とてもつらい」と嘆き、「ローマのサポーターを傷つけようと思ったことなど決してない」と謝罪。さらには電話口で涙ぐんだ。その悲痛ぶりは、会話を続けられずにインタビューを打ち切ったほどだった。

スーペルコッパでのルリッチは各メディアからも称賛されており、プルッツォの賛辞は至極妥当だ。確かに、憎い敵を称賛したばかりか「お気に入り」と表現したのは、熱狂的なロマニスタにとって許しがたいことだったかもしれない。「失言」と報じるメディアもある。それでも、ローマにおけるプルッツォの功績を考えれば、「殿堂外し」は大げさだろう。

ステーファノ・アグレスティ記者は『Calciomercato.com』で「いかに多くの人がひとつのコメントで10年の歴史を打ち消せてしまうのかということへのこの上ない不快感が残る」と記した。

キアーラ・ズッケリ記者は『ガゼッタ・デッロ・スポルト』で「どんなことからもバンディエーラ(シンボル)を罵倒する者はいる。だが、一方で、常にローマの歴史はある。どんなに適切でなくとも、ラジオにおけるひとつの発言でそれが変わることはない」と綴っている。

サポーターの愛情や忠誠心が極めて重要なのは当然だ。だが、そのアツさは、時に好ましくないかたちで暴走してしまう。それでも、プルッツォの涙に心を揺さぶられ、考え直す者もいるのではないだろうか。何よりもローマの勝利を願っていることは変わらないのだから。

カルチョ・ライター

東京都出身。2004年に渡伊、翌年からミランとインテルの本拠地サン・シーロで全試合取材。06年のカルチョーポリ・W杯優勝などを経て、08年に帰国。約10年にわたり、『GOAL』の日本での礎を築く。『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿。現在は大阪在住。

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