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小澤征爾さん死去 生まれ故郷の中国でも速報 中国を愛し、多くの中国人音楽家の育成にも尽力

中島恵ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

世界的指揮者の小澤征爾さんが亡くなった。88歳だった。小澤さんは「世界のオザワ」と呼ばれてボストンフィル、ウイーンフィルなどで活躍したが、生まれ故郷の中国でも数々の演奏会を行ったり、後進の指導にも熱心に取り組んだ。

午後6時過ぎ(中国時間)、春節前夜の中国でも速報が流れると、ウェイボーなどSNSには次々と「偉大な指揮者、安らかに」などのコメントや、小澤さんが指揮する動画などが投稿され、「世界的小澤」に対し、多くの人が哀悼の意を示した。

1976年に北京の楽団と共演

小澤さんは1935年、中国(旧満州)の奉天(現在の瀋陽市)で生まれた。その後、家族とともに北京に移住し、6歳まで暮らした。そうした縁で小澤さんは中国に深い関心を持ち、文化大革命(文革)が終了した直後の76年に北京を訪問。父親の写真を持参し、当時住んでいた住居を訪ねるなどした。

78年には北京体育館で中央楽団と初の共演を果たす。文革の影響で西洋音楽が否定されていた中国で、初めて外国人として指揮をとった。その後、中国一の名門音楽大学である中央音楽学院でも指導を行った。

そこで、民族楽器である二胡の音色に魅了され、当時まだ学生だった姜建華(ジャン・ジエンホワ)さん(二胡奏者、現・北京中央音楽学院教授)の演奏に感動。その頃、中国人の日本留学はまだ難しい時代だったが、姜さんの留学を支援した。

若手の指導に尽力した

その後も何度も訪中し、各地の楽団と共演したり、若手音楽家の育成に熱心に取り組んだ。現在、指揮者として活躍する俞潞(ユー・ル―)さんも小澤さんに師事したひとり。2002年の日中国交正常化30年の際は、歌劇『蝶々夫人』を、2008年には北京の中国国家大劇院の新年音楽会でも指揮をした。

2013年、日中関係が非常に悪かった際、日本メディアのインタビューで日中関係が冷え込んでいることについて問われると、まったく気にするそぶりもなく、「政府の人が冷え込んだんだ。俺は全然冷え込んでない」と答えた。

私自身も小澤さんについて、中国で印象的な思い出がある。20年近く前、上海でタクシーに乗ったとき、私が日本人だと気づいた運転手が、ふいに後部座席を振り向いて「小澤征爾を知っているか?」と聞いてきた。

「もちろん」と答えると、運転手は興奮ぎみに「小澤は本当にすばらしい。自分は小澤の本物の音楽を聴くために、絶対に海賊版は買わないんだ」と話したので驚いた。当時、中国は海賊版やニセモノが横行しているのが当たり前、という時代だったが、この運転手をこういう気持ちにさせる小澤さんのすばらしさを改めて痛感したものだった。合掌。

ジャーナリスト

なかじま・けい ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「中国人が日本を買う理由」「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミアシリーズ)、「中国人のお金の使い道」(PHP研究所)、「中国人は見ている。」、「日本の『中国人』社会」、「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」、「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日経プレミア)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」、「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」、「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など多数。主に中国などを取材。

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