賃金上昇より雇用維持を優先してきた日本

最近大きな話題となっている日本の「賃上げ」。

諸外国と異なり、日本ではここ30年程度ほとんど賃金上昇は起こらなかった。

今ではOECD諸国の平均賃金を下回り、G7諸国の中でも下位となっている。

出典:Average wages OECD
出典:Average wages OECD

出典:Average wages OECD
出典:Average wages OECD

ただ一方で、日本ほど失業率が低い国がないというのもまた事実である。

出典:厚生労働省
出典:厚生労働省

つまり、日本は賃金上昇より、雇用維持を優先してきたと言える。

賃金が上がらない原因は、「労働生産性が低い」、「雇用流動性が低い」、「低生産性企業の存続」、「高齢化」、「安い=良いというマインドが根強く、消費価格に転嫁されていない」、「規制が厳しく新しい産業が生まれていない」、「最低賃金が低い」など、様々な観点から指摘することができる。

そのため、何か一つ施策を実施すれば大きく賃金が上がるという「魔法の杖」は存在せず、優先度を上げ、様々な施策が同時並行で行われなければならない。

そこで本稿では、日本の良い点=低い失業率(特に新卒採用があるため若年層の失業率が低い)を生かしつつ、賃金上昇を実現させることは可能なのか考えたい。

高い成長率と安定した雇用の両立(フレキシキュリティ)

安定した雇用と、高い成長率の両立は可能なのか?

参考になるのは、EUが採択してきた「フレキシキュリティ」である。

フレキシキュリティとは、柔軟性を意味する「フレキシビリティ」と、保障を意味する「セキュリティ」とを合わせた造語で、デンマークやオランダを先行事例に、欧州委員会が欧州雇用戦略の基軸として採用してきた。

特徴としては、柔軟な労働市場(低水準の雇用保護)、包括的な社会保障制度(寛大で高水準の所得保障)、そして積極的労働市場政策(職業訓練と再教育)という三つの要素の積極的な相互関係、「ゴールデン・トライアングル」にあると言われている。

端的に言うと、経営者が被雇用者を解雇しやすく、競争力を失った企業は守らないが、失職者には生活保障の上で多種多様なタイプの職業訓練などを用意し、次の職に移れるよう手厚く支援するというものである。

これによって、失業への不安が減り、人々の能力を向上させつつ、時代の環境変化に対応した産業転換や雇用の移動を実現している。

またリーマン・ショック時のように、一時的に失業率が上がったとしても、時間の経過とともに、産業転換や労働移動が起こり、失業率は低下していく。その上、生活保障は手厚くなっているため、失業=生活困窮という状況では必ずしもない。

失業手当は失業前収入の最大9割を最長4年間支給する代わりに、職業訓練と再就職斡旋を主とする「活性化プログラム」への参加を失業者に強制的に義務付けるなどの施策を行っている。

最初の成功モデルになったのは1990年代以降のデンマークやオランダだが、スウェーデンなど北欧諸国も同様のモデルを採用している。

デンマークでは1994年以降、労働市場改革に着手し、80年代の長期不況を抜け出し、経済成長を続けている。雇用率の高さがEU諸国で最高水準にある一方で、所得分配の格差を示す指標であるジニ係数はEU諸国の中で最低水準にある。

ただし、こうした高福祉国家にするためには、当然国民の高負担も必要であり、国民の納得感や、労働者の自律も求められる。実際、デンマークのフレキシキュリティは、100年近くの長い年月をかけて、政労使3者合意により構築されたと言われている。

少ない日本の積極的労働市場政策予算

それでも、日本が参考にできる要素は多い。

日本では、安倍政権以降、「失業なき労働移動の実現」が謳われてきたにもかかわらず(2013年6月日本再興戦略「行き過ぎた雇用維持型から労働移動支援型への政策転換(失業なき労働移動の実現)」)、転職を支援する積極的労働市場政策の予算はほとんど増えていない。

子育てを支援する家族関係政府支出は2014年度6.1兆円から2019年度9.6兆円に増えている一方で、積極的労働市場政策支出は、2014年8,180億円から2019年度8,303億円とほぼ変化がない。

政府予算に占める支出割合にしても、デンマークは積極的労働市場政策に1.8%程度割いているのに対し、日本は0.6%程度である。

出典:国立社会保障・人口問題研究所
出典:国立社会保障・人口問題研究所

日本では、近年徐々に転職が増えているものの、ポジティブな転職が少なく、転職によって年収が「増えた」と回答する割合が低い。

出典:リクルートワークス研究所(2020)「5カ国リレーション調査」(※転職経験あり、週労働20時間以上のみを集計)
出典:リクルートワークス研究所(2020)「5カ国リレーション調査」(※転職経験あり、週労働20時間以上のみを集計)

実際、日本では、必ずしも労働生産性の高い業種へ労働者が流れていない。

人材の流入数は、「医療・福祉業」が最も多く、「学術研究・専門・技術サービス業」、「情報通信業」と続くが、「医療・福祉業」への転職後は賃金が低下する傾向がある。

出典:大和総研 生産性の高い業種に人材は流れているのか?
出典:大和総研 生産性の高い業種に人材は流れているのか?

つまり、雇用流動性は、業種間の年収(労働生産性)の相違というよりも、むしろ相対的な労働需要の多寡に応じて高まりやすくなっているのが現状である。

そのため、労働生産性の高い、年収の高い業種に労働移動する流れを作るためには、外部労働市場の機能を高め、専門性が年収に反映されやすいジョブ型雇用の拡大、職業訓練をしやすい環境を整備していくことが重要である。

また、岸田政権になってから、「改革」のトーンが下がり、具体的な産業政策も見えてこないが、生産性の高い企業への労働移動を進めるためには、生産性の低い企業が「撤退」することも重要であり、中小企業保護政策なども見直す必要がある。

具体的に制度をどう変えていくべきかについては、別稿にしたいが、方向性としては、「賃上げ税制」のように小手先の対処法を重ねていくのではなく、EUが採択してきた「フレキシキュリティ」のような、構造改革と積極的な労働政策、再分配政策の強化を包括する成長戦略をまとめていくのが肝要である。