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キング・カズに続き中村俊輔も…。W杯落選を味わった男はあの日、何を語ったのか

元川悦子スポーツジャーナリスト
かつてW杯落選を味わったレジェンド2人は長く現役を続け、横浜FCで共闘した(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

森保ジャパン26人がついに決定へ

 2022年カタールワールドカップ(W杯)日本代表メンバー発表が、いよいよ明日11月1日に迫った。10月29日の川崎フロンターレ対ヴィッセル神戸戦を視察した森保一監督は「ある程度決まってます。何人かの選手、いくつかのポジションを最終的にどうするかというところは、発表の前(の31日)にスタッフミーティングをして、自分でも最後の最後まで考えたいと思います」とコメント。すでにリストはほぼ確定している様子だ。

 ただ、過去のW杯メンバー発表で、人々に衝撃を与えたことは何度もあった。最たるものが、1998年フランス大会のカズ(三浦知良=鈴鹿)と2002年日韓大会の中村俊輔(横浜FC)の落選だろう。

過去のサプライズ落選筆頭といえば、カズ

 フランス大会のメンバー発表が行われたのは、1998年6月2日の13時(日本時間20時)。スイス・ニヨンの練習場での青空会見だった。駆け出しだった筆者もその中にいたが、現場に集まった人間は200人をゆうに超えていただろう。

 岡田武史監督(現JFA副会長)の第一声はこうだった。

「今日の夜が登録の締め切りということで、22名の登録選手を選びました。今朝決めて、昼にそれぞれに伝えました。

 外れるのは、市川(大佑=清水三島U-13監督)、カズ、三浦カズ、北澤(豪=JFAフットサル委員長)。以上3選手です。

 私の見込みが甘かったせいもあり、予想以上のショックを受けていました。チームへの影響も考えて、彼らは日本のため、チームのためにやりたいと言いましたが、カズと北澤には帰ってもらった。市川は影響が少ないので残すことに決めました」

 カズ落選という現実に、報道陣は慌てふためき、何人もの記者が一目散に場を離れた。だが、この時点ですでにカズらはホテルを離れていた。「カズはどこに行った?」「駅か?」「ジュネーブの空港か?」と探し回るが見つからない。最終的にはイタリア・ミラノにいることが判明したが、追跡騒動は凄まじいものがあった。

 日本代表チームにも動揺が走り、同日午後の練習ではキャプテン・井原正巳(柏コーチ)が負傷。チーム全体に暗雲が立ち込めた。最終的には初戦・アルゼンチン戦(トゥールーズ)に間に合ったものの、1人のスーパースターの落選がここまで大きなインパクトを与えるということを、指揮官も我々も痛感させられた出来事だったと言えるだろう。

W杯メンバー発表会見に出なかった代表指揮官は後にも先にもトルシエ監督1人だ(筆者撮影)
W杯メンバー発表会見に出なかった代表指揮官は後にも先にもトルシエ監督1人だ(筆者撮影)

2002年のメンバー発表にトルシエ監督は不在

 一方、中村俊輔の場合は、指揮官であるフィリップ・トルシエが会見を欠席するという異常事態に発展した。壇上で選手の名を1つ1つ読み上げたのは、トルシエ監督ではなく、木之本興三・日本サッカー協会2002年強化推進本部副本部長(故人)。

「トルシエとは話していない。(午後3時半の会見開始15分前の)3時15分にホテル内の事務局に電話があり、すぐ印刷をして、チームには発表5分前にFAXで連絡しました」と淡々と説明したが、エースナンバー10をつける予定だった看板選手落選は重大な出来事。自身が下した決断だが、矢面に立ちたくないというフランス人監督の思惑が透けて見えた。

トルシエ監督の代わりにメンバーを代読した木之本興三2002年強化推進本部副本部長(筆者撮影)
トルシエ監督の代わりにメンバーを代読した木之本興三2002年強化推進本部副本部長(筆者撮影)

 逆に、中村俊輔は毅然としていた。普通は落選選手がメディアの前でコメントすることはないのだが、「自分が喋らないと収まらない」と腹をくくって横浜市東戸塚にあった横浜F・マリノスの練習場に登場。100人を超えるメディアに思いを語ったのだ。

 当時の一問一答のメモがある。

──いつ落選を知ったのか?

「3時半に(発表会見を)やるっていうから、2時半まで寝てて、テレビで見た。『あーっ、選ばれなかったんだなあ』と」

──原因については?

「だいたいは分かっているけど、あんまり思うとね…。ただ、最後のJリーグ7試合とか代表で頭から出た(直近)2試合は、僕の中ではできていたなあと思った。『これだから選ばれなかった』というのは感じなかった」

──トルシエ監督は再三、フィジカルの問題を指摘していたが?

「考え方が違う。体重のある選手と五分五分でやれば負けるかもしれないけど、それをかわしたり、速く動き出したり、そういうのでは負けているとは思わない。

 でも(落とされたのは)そういうのだけじゃない。そう見えるのは仕方ないけど。強くしなきゃいけない部分もあるけど、それだけじゃない。サッカーには小さくて速い国もあれば、ノルウェーみたいに大きい国もあるから」

──トルシエから左サイドで使われることに不満を持っていたと思うが、自分の意見を直接、言えばよかったとは思わないか?

「(シドニー)五輪の時には思ったけど…。あの時はマリノスの監督(オズワルド・アルディレス)の一言があったから(プレーできた)。『監督が頭から選んだ11人に入っているんだから、グランドに立てることを誇りに思え。光栄なことなんだから』と。チームのためにやることも大事だって思ってたしね」

──左サイド起用の理由を聞いたことは?

「ヒデオルームでビデオを見ていて、監督が入ってきた時にある。『僕を前向いてプレーさせるポジションだ』とか『チームバランス』だとか言っていた。まあ、僕が決めることじゃないから」

24歳の中村俊輔はメディアの質問に1つ1つ真摯に回答した(筆者撮影)
24歳の中村俊輔はメディアの質問に1つ1つ真摯に回答した(筆者撮影)

『出なくてよかった』と言えるように努力したい

──ここ(マリノスの練習場)に来ることは自分で決めたのか?

「広報から電話があったんで。『来なくていい』といわれたら来なかった。でも、ここでキッチリした方が後で長引くよりいい」

──4年前(の1998年)も落選しているが?

「あの時の自分は話にならなかった。メンバー発表で岡田さんが自分の名前を出したと聞いて、それだけで『おーっ』と思ったくらい」

──今回は?

「日本でやるからね。やっぱり大きいと思う。メンバーに入って試合に出て、肌で相手のことを感じたり、自分のプレーをして活躍して、アシストして点を取ったりとかいうイメージはあったけど。『こうなったらいいな』という夢のようなものを描いていたけど…。

 でもなくなったから、すぐ切り替えてやるしかない。W杯を経験した人よりも自分が強くなっていたらいい。もしかしたら『出なくてよかった』と言えるように努力したい」

──今、24歳で、次は28歳になるが?

「30歳すぎてもやるからね(笑)。W杯を区切りにするのもいいけど、4年の間に重要なイベントはまだある。また日の丸を着てやれるようにしたい」

──大きな目標を失った喪失感は?

「今はないけど、W杯の試合を見たら感じるだろうね。(2001年の)コンフェデ(レーションズカップ)の時も悔しいと思ったし。僕は第三者的には見れないから。でもそういう経験をしたら、自分が強くなると思う」

──落選理由をトルシエに聞くつもりは?

「そういうのは自分で考えるもの。自己嫌悪する必要はない」

──次の目標は?

「まずケガを治すこと。今のプレーには満足していないから。まあ、W杯に出たら、また課題が出たのかもしれないけど」

日韓W杯直後にレッジーナ移籍を決断し、会見にのぞんだ中村俊輔(筆者撮影)
日韓W杯直後にレッジーナ移籍を決断し、会見にのぞんだ中村俊輔(筆者撮影)

 カズ落選から24年、中村俊輔落選から20年。2人の偉大なプレーヤーは決して諦めることなく、現役選手としてピッチで走り続けた。カズはご存じの通り、10月30日のFCティアモ枚方戦で55歳246日という驚異的なJFL最年長ゴールをゲット。多くの人々に勇気と感動を与えている。

 中村の方は今季限りでユニフォームを脱ぐ決断をしたものの、自国開催のW杯落選という悔しさが自身を奮い立たせ、その後の長い競技生活の原動力になったのは、紛れもない事実だろう。

カズ・俊輔のように落選の悔しさを先々のキャリアに生かすことが大事

 ご存じの通り、彼は2006年ドイツ・2010年南アフリカ両W杯に出場したが、目覚ましい成果を残せず、「自分のサッカー人生の中で果たせなかったのはビッグクラブ移籍とW杯での活躍」と10月23日の現役最終戦のロアッソ熊本戦後にも振り返っていた。確かに中村は何度も壁にぶつかった。そのたびに、苦難を乗り越えていこうと常人の想像をはるかに超える努力を続けた。その過程こそが、何よりも大事だし、リスペクトされるべきなのだ。

 何十人もの選手たちが11月1日の発表を落ち着かない気持ちで迎えるだろう。今回ももしかするとサプライズで落選する選手が出るかもしれない。それでも、キャリアは終わらない。特に今は欧州移籍が容易になり、日本人選手の評価も上がっている。活躍の場は「W杯」以外にもある。そう考えられる環境でもあるだろう。何が起きても前向きに前進し続けることが重要なのだ。

 だからこそ、いい意味で覚悟を固めて、森保監督の発表を聞いてほしいものである。

現役ラストマッチで爽やかな笑顔を見せる中村俊輔の姿を後輩たちもぜひ見習ってほしい(筆者撮影)
現役ラストマッチで爽やかな笑顔を見せる中村俊輔の姿を後輩たちもぜひ見習ってほしい(筆者撮影)

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スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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