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無期限休養、卵子凍結、現役復帰… 38歳・竹内智香が6度目の五輪で示したもの

元川悦子スポーツジャーナリスト
悔しい幕切れも、爽やかな笑みをのぞかせる竹内智香(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

「準々決勝進出」から一転、「棄権」に

 真っ青な空の下、中国・雲頂スノーパークで8日に行われた2022年北京五輪スノーボード女子パラレル大回転。現地時間14時半(日本時間15時半)にスタートした決勝トーナメント1回戦の5番目に登場したのが、日本のレジェンド・竹内智香(広島ガス)だった。

 予選15位とギリギリで通過した彼女が対峙したのは、同2位のラモテナテレジア・ホフマイヤー(ドイツ)。予選1本目はやや出遅れたスタートに細心の注意を払い、五輪出場6回目の大ベテランは強敵に挑んだ。

 コース取り自体はよかったが、ジリジリと差をつけられ、最後の急斜面に差し掛かった。そこで天性の勝負師の勘が働いたのだろう。竹内は一気にギアをアップ。積極果敢に勝ちに行った。

 だが、その矢先にバランスを崩し、雪上に思い切り転倒。直後にホフマイヤーも転ぶという波乱が起きた。起き上がった竹内は一目散に突き進み、一足先にゴールする。これでいったんは「準々決勝進出」かと思われたが、到着後の審議によって「妨害」とみなされ、「途中棄権」という非情な判定を突きつけられた。日本や他国陣営も抗議したというが、最後まで覆ることはなく、敗退が決定。後味の悪いラストとなってしまった。

「99%、最高に楽しかった」

 2002年ソルトレークシティの22位に始まり、2006年トリノ9位、2010年バンクーバー13位、2014年ソチの銀、2018年平昌の5位。18歳で初参戦した時以外はこれまでほぼ上位を戦ってきた。偉大なスノーボーダーにとって、38歳でチャレンジした6度目の五輪はやや不本意な結果に終わったと言えるかもしれない。

 しかし、本人は「最後、ジャッジが下るまでは99%最高に楽しかった。復帰してこの舞台に戻って来てよかった」とコメントしたと伝えられ、夢舞台に参加できた喜びを噛みしめた様子。「五輪は本来、世界の平和を願うスポーツの祭典。コロナ禍は真の意味を考えさせられる大きな機会」と以前から語っていた通り、力強い滑りで自らの願いや思いを表現したことは紛れもない事実である。

6度目の五輪の開会式で平和への願いを示した
6度目の五輪の開会式で平和への願いを示した写真:長田洋平/アフロスポーツ

「また競技に戻ってみるのも面白いな」

 4年前の平昌五輪の後、いったん競技から距離を置いた竹内。約2年半はヨガの資格取得やスポーツ庁が始めたハイパフォーマンスディレクター(競技全体の強化促進に向けた環境整備をする人材)の育成制度への参加、地域貢献、次世代選手の育成、講演など幅広い活動に取り組んでいた。

「そのままセカンドキャリアにシフトしてもいいかな」とボンヤリと考えていた2020年初頭、彼女の心情に大きな変化があった。

「スキーやスノーボードを純粋に楽しむ40~50代の仲間と出会って、子供のように純粋に雪山で楽しむ気持ちを忘れていたことに気づいたんです。雪の上にいられることがどれだけ楽しく幸せなことかを改めて感じました」

 当時、本人もこう話したが、成績や記録の呪縛から解き放たれたことで、原点に戻れたのかもしれない。直後のコロナ禍突入によって、地元・旭川市に滞在しつつ、自らとじっくり向き合う時間を持てたのも大きかったようだ。

「また競技に戻ってみるのも面白いな」

 そう思い始め、ジムでのトレーニングを本格的に再開。現役復帰に向け、卵子凍結にも踏み切った。

卵子凍結を経て、2020年8月に現役復帰宣言

 卵子の老化は年齢とともに進み、女性は35歳を過ぎると妊娠できる確率が一気に低下すると言われる。この時点で竹内は36歳。北京の時は38歳になる。子供を持つ選択肢を残しながら、アスリートとしてのキャリアも続けたいと願う彼女にとって、この選択は必要不可欠だった。肉体的にも経済的にも負担は少なくなかったが、明るく前向きなマインドで取り組んだという。

 そして8月には現役復帰を宣言。翌9月からは長年、練習拠点にしていたスイスへ赴き、トップ選手とともに滑るなど、自身の立ち位置をしっかりと確認した。

「遠征当初は世界トップから2秒近く離され、正直、打ちのめされましたが、なぜ2秒離されているのかが明確に分かりました。その後、ビデオを徹底的に見て滑りを分析し、改善を図っていったところ、最終的には0.5秒差くらいまで縮まった。お手上げ状態から大きく前進したことですごく自信になったし、まだ戦えるという手ごたえをつかめた。引退しなくてよかったです」と竹内は2020年秋、爽やかな笑みを浮かべていた。

原点回帰を図り、挑んだ北京五輪

 それから1年半。コロナ前のように自由に日本と欧州を行き来したり、大会を転戦したりというのは難しくなったが、可能な限りの実戦の場を積み、自らの技術と感覚に磨きをかけた。北京五輪シーズンの21-22シーズンに入ってからは、12月18日のスノーボードW杯(イタリア)で7位に入るなど、じわじわと調子も上げていた。自分より20歳年下の現役高校生・三木つばき(CATALER)の急成長も大きな刺激になったはずだ。

 平昌の前は「自分には今、金メダルを目指せる環境が用意されている。もう一度、ソチの時のように頂点を狙いたい」と強い意気込みを強く押し出していたが、あらゆるものをリセットしてから再出発した後は肩の力が抜けた印象も強まった。「より自然体の竹内が見られる」という期待は大いに高まった。

 だからこそ、結果がついてくれば、理想的なシナリオだった。残念ながら、冒頭の通り、2度目のメダルには手が届かなかったものの、今大会で竹内が身をもって示してくれたものは少なくない。

2014年には著書も出版。竹内のマルチな才能と幅広い活動は特筆すべき点だ
2014年には著書も出版。竹内のマルチな才能と幅広い活動は特筆すべき点だ写真:Motoo Naka/アフロ

女性アスリートも30代後半まで世界トップを維持できる!

 1つは「女性アスリートが30代後半まで世界のトップ・オブ・トップを追い求めるのは難しい」という固定概念を打破したこと。今季W杯で1ケタ順位に入っている通り、彼女は38歳になった現在も堂々と高いレベルを維持し続けている。その裏側にはハードなトレーニングがあるのは言うまでもない。

 平昌の前、筆者は35キロの砂袋を背中に載せて20メートルほど這ったり、50キロ超のバーベルを複数回上げるなど、常人には想像できないメニューを淡々とこなす彼女の姿を目の当たりにしたことがある。2020年秋の練習風景も見せてもらったが、地道な肉体強化に真摯な姿勢で取り組む様子には感動を覚えた。竹内智香の強さとタフさはやはり大いにリスペクトすべきなのだ。

 もう1つは、アスリートの多様性を体現したこと。スポンサーやコーチングスタッフなど多くの関係者からサポートを受ける五輪選手の場合、キャリアを中断したり、別のことにトライするのはそう簡単なことではない。が、竹内は5度目の五輪の後、無期限休養を選んだ。それによって、自身やスノーボードを客観視する機会に恵まれ、競技の魅力を再確認し、自然とモチベーションを取り戻すに至った。

日本のスポーツ界にはもっと多様性があっていい!

 今月にも東京五輪男子マラソン6位入賞の大迫傑氏が現役復帰を表明したが、日本スポーツ界はそういった例が少なすぎる。特に女性の場合は結婚・出産・育児などのライフイベントが目白押しなのだから、多彩なサポート体制がもっとあっていい。竹内があえて踏み切った卵子凍結も含め、女性アスリートがより自由に楽しく競技生活を続けられるような環境にならなければ、日本は世界からますます後れを取りかねない。そういった危機感を今一度、持つべきだ。

 4年後の2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪。42歳になる竹内が現役を続けているか否かは全くの未知数だ。仮に、今回のように異なる世界に視野を広げ、人間的に幅を広げてから、再び雪上に戻ってくるという道を歩むのなら大歓迎だ。さまざまなキャリアや人生観を持つ人々が集うことで、スポーツはより豊かになり、五輪という大会も魅力的なものになる。その先駆者である竹内には自分らしい生きざまをこの先も貪欲に追い求めてほしいものである。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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