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「高校選手権のスーパースター」青森山田・松木玖生は負のジンクスを打破できるか?

元川悦子スポーツジャーナリスト
選手権は通過点でしかない。松木にとって重要なのは未来だ。(写真:築田純/アフロスポーツ)

第100回選手権で圧勝した青森山田

 100回を数えた全国高校サッカー選手権大会。大会中に「高校サッカーの父」とも言うべき名将・小嶺忠敏さん(長崎総合科学大学付属高校総監督)が逝去するという悲報が流れ、史上初の準決勝進出を果たした関東第一がコロナ陽性者発覚で辞退するという出来事にも見舞われたが、何とか国立競技場でのファイナルまでこぎつけた。

 10日の大一番は高円宮杯プレミアリーグ・イースト王者の青森山田と同ウエスト4位の大津の顔合わせとなった。かつて名門・帝京で全国制覇を達成している大津の平岡和徳総監督にしてみれば、長年待ちわびた夢舞台だったはず。しかし、黒田剛監督率いる青森山田の壁は高かった。序盤から最大の武器であるリスタートをさく裂させ、前半のうちに2得点をゲット。後半からギアを上げてきた相手をハイプレスで寄せ付けず、さらに2ゴールを追加。シュート数12対0という圧倒的内容で、4-0の大勝を飾った。

 彼らは2016、2018年度に続く3度の選手権制覇を果たしたわけだが、今回のチームは高校総体、プレミア、選手権の3冠を達成。しかも高体連のチームに無敗のまま優勝という偉業まで達成してみせた。

「Jクラブよりも成績や実績が上」と黒田監督

「我々はシュートを打たせない、リスタートを取らせない、堅守速攻、ポゼッション、リスタートと何でもできるサッカーを志向してきましたが、それを今回の決勝戦で見せることができた。ホントにパーフェクトなゲームをやってくれた。強いチームだったなと改めて実感しました」と日頃は厳しい印象の黒田監督もしみじみ語った通り、これだけ圧倒的な優勝は過去になかったかもしれない。Jリーグ発足から約30年が経過し、Jアカデミーが著しい地位向上を遂げる中、北国の高校がプレミア王者の座をつかんで離さないのだから、彼らの質の高さがうかがえる。

「Jクラブの方がエリートで、高校サッカーが下といった見方は明らかに違う。ブランド力はむしろ山田の方にあると思います。成績や実績も上ですし、成長できる環境を用意している。室屋成(ハノーファー)も『自分を伸ばせる道』を自ら選択したということ」と以前、室屋について取材した際も黒田監督は青森山田の育成システムに絶対的自信を持っていた。その哲学を貫き続けたからこそ、この三冠があるのだろう。

ユース年代最高峰の環境で揉まれた松木玖生

 その象徴的存在が、キャプテン・松木玖生ではないか。北海道室蘭市出身の彼は地元の小学校を卒業後、青森山田中学校に入学。中3から高校生の練習に参加し、高1だった2019年度の選手権に参戦。2つ上の古宿理久(横浜FC)とボランチコンビを組み、時には先輩を怒鳴りつけるくらいの強靭なメンタルでチームを鼓舞していた。だが、同大会決勝で静岡学園に2-3で逆転負け。自らが失点に絡んだことを悔やみ、1年生ボランチは人目をはばからず涙した。

 2年生になった2020年は10番を背負ってプレー。やはり選手権に出場し、ファイナルまで勝ち上がったが、伏兵・山梨学院にPK負けし、まさかの2大会連続準優勝に終わった。2度の屈辱を糧にキャプテンに就任した今年は「フォア・ザ・チーム」を前面に押し出し、チーム全体を引き上げることに尽力した。

「1年生の頃はすごく自由にやらせてもらっていたけど、2年生になって『個で行きたい』という気持ちが強くなった。でも3年生の最後の大会は『自分が犠牲になってでもチームを勝たせたい』という思いでやっていた」と本人もコメントしていたが、サッカーは集団と個のバランスが重要だと身をもって体感したのだろう。

 そのうえで、自らは今大会4ゴールをゲット。選手権通算15試合10ゴールという離れ業をやってのけた。レフティであり、精度の高いキック・シュートを前面に押し出せるタフさ、大舞台の強さも含めて、魅力の多い選手と言っていい。

青森山田での三冠を引っ提げ、プロの世界で勝負する松木。
青森山田での三冠を引っ提げ、プロの世界で勝負する松木。写真:森田直樹/アフロスポーツ

個人と組織のバランスを体得し、FC東京で勝負

「今年1年は、キャプテンとして団結力、チームプレーに徹して、決して『自分・自分』にならないようにコントロールしていた。みんな必死に松木についていった。我を殺しながらチームのために走り、飛び、ゴールを決める、最高のキャプテンでした」と黒田監督も太鼓判を押したほど、圧倒的な存在感は大いに目を引いた。

 こうやって集団を統率し、けん引することを学んだ高校時代は大いに意味があったはず。その経験を今季から加入するFC東京で生かさなければいけない。日本で18歳というのは若手だが、世界で見ればそうとも言えない。実際、スペイン代表のペドリ(バルセロナ)は18歳で昨夏のEURO2020にレギュラーとして出場しているし、アンス・ファティ(バルセロナ)も16歳でリーガ・エスパニョーラデビューを飾り、実績を積み上げている。久保建英(マジョルカ)も18歳になった瞬間にFC東京からスペインへ赴いた。世界基準を見据える松木はそういう現実をもちろんよく理解しているはずだ。

過去の選手権優勝のスターが歩んだ苦難の道

 そんな彼が乗り越えるべき1つが、「高校選手権のスーパースター」という看板だ。80年代の長谷川健太(名古屋監督)や山田隆裕に始まり、90年代の小倉隆史(FC.ISE-SHIMA監督)、森崎嘉之、北嶋秀朗(大宮コーチ)、本山雅志(クランタン・ユナイテッド)、2000年代の大久保嘉人、平山相太(仙台大コーチ)、乾貴士(C大阪)、2010年代の和泉竜司(鹿島)など、選手権優勝を果たした歴代スーパースターたちを見ても、日本代表になった選手は何人かいるが、W杯に出場したのは大久保と乾だけ。準優勝組の中村俊輔(横浜FC)、大迫勇也(神戸)、柴崎岳(レガネス)を含めると、W杯選手の数は増えるものの、なかなかハードルが高いのは事実だ。

「雪の決勝」で知られる98年1月8日のファイナルで三冠を達成した東福岡もそうそうたるタレント軍団だったが、本山も手島和希(京都U-18監督)も金古聖司(現代理人)もW杯には出られなかった。もちろん彼らにはクラブ事情やケガなどそれぞれの事情はあるにせよ、もうひと伸びしてほしかった。やはり本当の勝負は選手権以降のキャリアなのだ。

高校生離れしたメンタルは中田や本田に通じる

 松木も当初は高校から海外へダイレクトに移籍すると噂されていたが、最終的にFC東京を選択。まずはJリーグで実績を作る道を選んだ。ちょうど決断直前に長友佑都が11年ぶりに古巣復帰したのも大きかっただろう。インテルやガラタサライで名を馳せ、目下、W杯4大会連続出場に突き進んでいる長友は世界レベルを体感した数少ない日本人選手の1人。今季から横浜FCへ赴いた中村拓海も「佑都さんの寄せや間合い、強度は別世界」と驚き交じりに語っていた。そういう偉大な選手から吸収できることを全て得て、Jで結果を残してから欧州に行くのは賢明な選択と言っていい。

 メンタル的には高校生離れしている彼だけに、プロの世界に入ってもどんどん周りに要求し、自ら食らいついていくはずだ。その姿勢はかつての中田英寿や本田圭佑を彷彿させるものがある。決勝後にも「宇野禅斗(町田内定)とのボランチコンビで三冠を成し遂げたが…」というメディアの質問に対し、「2人で成し遂げたわけじゃないので、そこは訂正させてほしいです」とキッパリ言ってのけた。自己主張が苦手と言われる今どきの若者とは一線を画す点は大いに期待できる。

 今週15日にはFC東京の新体制発表会があり、そこからプロの一歩を踏み出すことになるが、「自分は新人ではない」というくらいの気概を持って、2022年Jリーグに新風を吹かせてほしい。2024年パリ五輪はもちろんのこと、2026年W杯も貪欲に狙っていく松木の姿をぜひとも見てみたい。(本文中敬称略)

スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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