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なぜか久保建英と中田英寿の姿が重なる……ピッチで号泣した背番号7の「特別感」

元川悦子スポーツジャーナリスト
東京五輪3位決定戦で敗れ、涙があふれた久保建英(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

悲願のメダル獲得が叶わず、挫折感を味わった20歳の若武者

 8月6日夜の埼玉スタジアム。自国開催の東京五輪でメダルを手にするはずだったU-24日本代表は、因縁の相手・U-24メキシコ代表に2点のリードを許し、後半ロスタイムを迎えていた。キャプテン・吉田麻也(サンプドリア)を前線に上げるという森保一監督の最後の作戦も及ばず、無人の競技場に無情にもタイムアップの笛が鳴り響いた。

「絶対にメダリストになりたい」と言い続けた吉田が呆然と前を見つめ、背番号10・堂安律(PSV)もしゃがみこんで涙する傍らで、チーム最年少の久保建英(レアル・マドリード)はピッチに倒れ込んで号泣。あふれ出る涙を長時間、止めることはできなかった。

「結果、手ぶらで自分の家に帰ることになりますし、今までサッカーをやってきてこんなに悔しいことってないし……。この気持ちを忘れないようにできればなと思います」

公の場で初めて人間的な部分をむき出しに

 しばらく時間が経って、テレビインタビューで言葉を絞り出した久保。彼がここまで自身の内面をむき出しにする姿を見たのは、初めてと言っても過言ではない。2015年3月に当時所属していたバルセロナのアカデミーを退団し、スペインから帰国してからというもの、彼はつねに特別視されてきた。「バルサ出身の少年」への注目度が高すぎることを不安視した関係者によって、厳しい取材規制が敷かれていたからだ。

 筆者も2016年9月のAFC・Uー16選手権(インド)を取材した際、彼だけは練習取材なしという対応に驚いた。試合後に質問できるのもほんのわずか。同大会に参戦していた谷晃生(湘南)や瀬古歩夢(C大阪)らとは明らかに違う対応が取られていた。

 その後のJリーグでも、試合後のミックスゾーンでは「試合以外の質問はNG」というお達しが出て、何か聞こうにも「それは試合と関係ないので……」と待ったをかけられる。A代表デビューする前まではそんな状況が続き、久保の人間的な部分に触れるチャンスはかなり少なかった。

15年前の中田英寿もピッチに倒れ込んだ

 その「特別感」は、かつて日本代表の司令塔だった中田英寿に通じるところがあった。中田も97年フランスワールドカップ(W杯)アジア最終予選でスターダムにのし上がって以降、メディアと難しい関係が続いた。筆者も当時を知る1人だが、彼がペン記者の前で話すのを見たのは、数えるほどしかない。

 ご存じの通り、中田は2006年ドイツW杯の最終戦・ブラジル戦(ドルトムント)で1-4の大敗を喫した後、現役引退を発表するに至った。試合後、試合会場のシグナル・イドゥナ・パルクのピッチに倒れ込み、しばらく動けなかった記憶は15年が経過した今も鮮明だ。その姿と今回の久保の号泣が、なぜか重なったのだ。

 20歳で日本代表の大黒柱に君臨し、29歳でピッチを去る決断をした中田と、これからその大役を担おうとしている久保……。2人の歩みも境遇も全く違うが、背番号7をつけ、大舞台のピッチ上で泣いた事実は一緒だ。こうした中、最も重要なのは、キャリアに終止符を打った中田とは違い、久保は涙を糧にここから輝かしい未来を切り開ける状況にあるということ。自分が日本代表を勝たせられる選手になるチャンスはいくらでもあるのだ。

ドイツW杯で号泣した中田英寿。彼はこれを最後に現役引退した
ドイツW杯で号泣した中田英寿。彼はこれを最後に現役引退した写真:ロイター/アフロ

引退した中田とは違い、久保には未来がある

「次のチャンスが自分にあれば、自分はしっかり、今度こそチームの勝利に貢献できるようにしたいですけど、本当に今日の負けは重いなと思います」と本人はすぐには立ち直れない様子だったが、世界のサッカー界は待ってくれない。久保の新天地はまだ決まっていないものの、新シーズンのリーガ・エスパニョーラは8月13日に開幕する。その舞台に残るのであれば、今季こそ傑出したパフォーマンスを見せて、名実ともに「スペインに久保建英あり」という評価を勝ち取らなければならないのだ。

 過去2シーズンはマジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェでプレーしたが、どのクラブでも圧倒的な結果を残したとは言い切れない部分があった。守備面や体力面の課題も繰り返し指摘されていた。20歳の大人のフットボーラーになった今、こうした課題も克服して、一段階二段階飛躍することが目下の最重要テーマと言っていい。

 そのハードルを越えれば、自ずと日本代表の司令塔の座は手にできる。前述のように、中田は20歳で日本をフランスW杯へと導き、21歳の時にアルゼンチンのガブリエル・バティストゥータやクロアチアのダボール・シュケルらと互角に渡り歩き、W杯後に移籍したペルージャで当時世界トップの呼び声高かったユベントス相手に2ゴールという鮮烈なインパクトを残した。久保にはそれを上回る活躍が期待されるところ。まずは9月からスタートする2022年カタールW杯アジア最終予選でコンスタントにピッチに立つこと。そこが最初の関門と言っていい。

20歳で日本代表司令塔の座を射止めるための課題

 とはいえ、6月にU-24日本代表対A代表の「兄弟対決」で力の差を見せつけられた通り、A代表の面々は実力・実績ともにまだまだ上と見るべきだ。今回、オーバーエージ枠で東京五輪に参戦した吉田、遠藤航(シュツットガルト)、酒井宏樹(浦和)のことを「外国人助っ人」と表現した久保なら、同じアタッカー陣の南野拓実(リバプール)や鎌田大地(フランクフルト)、伊東純也(ゲンク)らの能力の高さをよく分かっているはず。

 特に同じトップ下を競うと見られる鎌田は、昨季ドイツ・ブンデスリーガで得点・アシスト合計で17という数字を記録。オリバー・グラスナー新監督体制に移行した今季フランクフルトでも重要な戦力として位置付けられている。同じ欧州5大リーグで実績を積み上げる5つ上のアタッカーと久保は全くタイプも違うし、右利きと左利きという差もある。それでも、どちらがファーストチョイスになるかという競争は付きまとう。本当の意味で20歳当時の中田を超え、日本の看板選手になろうと思うなら、そういった先輩たちを凌駕するほどの圧倒的存在感を示すこと。それが今後の久保には求められるのだ。

メキシコ戦を人生の糧にしてほしい
メキシコ戦を人生の糧にしてほしい写真:ロイター/アフロ

今後のキャリアデザインを冷静に見つめ直して

 傑出した才能を誇り、10代の頃から注目された小野伸二(札幌)や市川大祐(清水U-15監督)らはケガやオーバートレーニング症候群で20代の大ブレイクのチャンスを逃し、20歳前後で代表の主力になっていた内田篤人(JFAロールモデルコーチ)や香川真司(PAOK)も若い頃の勤続疲労が響いたのか、年齢を重ねるごとにケガが増え、安定したパフォーマンスを出せなくなっていった。それだけ早いうちから注目されていた選手が順調な右肩上がりの軌跡を描くのは難しいのだ。

 こうした前例も踏まえつつ、久保にはどういうキャリアデザインが最も合っているのかを、この機会にじっくり考えてみてほしい。周りからはつねに過度の期待や注目を寄せられるだろうが、一番大事なのは自分自身。東京五輪での挫折をプラスに捉えて、過去の日本代表には存在しなかった規格外のスケール感を持つタレントになるべく、新たな一歩を踏み出してほしいと強く願う。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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