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「コロナをみんなで投げたい」スポーツ庁・室伏広治長官インタビュー

元川悦子スポーツジャーナリスト
スポーツの存在価値を力強く語る室伏広治長官(撮影:矢内耕平)

 2021年は年明け早々から首都圏に緊急事態宣言が再発令されるなど、風雲急を告げている。半年後に迫った東京五輪の開催も危ぶまれる中、2020年10月にスポーツ庁長官に就任した室伏広治氏は「人々が大変な時こそ、スポーツは貢献できる」と強調する。ハンマー投げで4度の五輪に出場し、2004年アテネ大会では金メダルを獲得した「鉄人」に、今の思いを伺った。(2020年12月取材)

アスリートが積み重ねてきたものを発揮できる場は提供したい

――東京五輪の開催が危ぶまれています。

「はじめに、新型コロナウイルス感染症に遭われたみなさまに心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早い回復をお祈りいたします。最前線で戦われております医療従事者のみなさまに深謝申し上げます。私自身も東京医科歯科大学にて特別教授をさせていただいておりますが、困難な医療現場で働く方たちに感謝しかありません。まずは、新型コロナウイルスが早く収束することに全力を尽くすことが大切だと認識しております」

――男子体操個人総合で五輪2連覇の内村航平選手も「できないではなく、どうやったら開催できるかを考えてほしい」という旨の発信をしていました。室伏さんも共感されたのではないですか?

「アスリートの気持ちもよく分かります。東京五輪を目指して4年間努力を重ねてきたのに、それが突然延期になったことで、引退を決断した選手もいますよね。年齢や状況にもよりますが、アスリートにとって精神的なダメージはやはり大きいと思います。だからこそ、彼ら彼女らが積み重ねてきたものを発揮できる場は提供してあげたい。そしてスポーツ庁としては、アスリートがコロナ禍においても練習を継続できるように競技特性を考慮し、各競技団体と連携し、感染症対策ガイドラインを徹底して環境を整えてまいりましたが、今後も支援をしていくことが重要だと考えます。ただし今は、医療現場がひっ迫する中に、新型コロナウイルスを収束させることが最も重要なことで、国民全体が一丸とならなければならない時だと思います」

ハンマー投げで「鉄人」と言われた頃の室伏長官(写真:ロイター/アフロ)
ハンマー投げで「鉄人」と言われた頃の室伏長官(写真:ロイター/アフロ)

「負のレガシー」を残してはいけない

――一方で、東京五輪開催に当たっては、これまで巨額費用を投じて会場整備が進められてきました。これらの施設は五輪の開催有無にかかわらず、ずっと残るもの。有効活用していくことが強く求められます。

「今は東京大会が終了していないこともあり、まだ五輪関連の施設の民間利用は難しいと思いますが、大会後の施設利用に関しては、東京都、国それぞれのレガシー計画に基づき、きちんと検討が行われています。過去には五輪関連施設のあった場所が全く使用されずに草むらになってしまうという『ホワイトエレファント』も見られましたが、日本で開催される五輪・パラリンピックについては、数多くの利害関係者と議論を重ねながら、綿密な調整を進めてきました。大会開催で『負のレガシー』を残すことがないよう、より具体的な計画検討を進めていくことになるでしょう。今後、民間の力を借りながら、施設は一般にも広く開放し、積極的に活用していくことが大切です」

――具体的にはどういった活用が望ましいとお考えですか?

「新設の施設に関しては、スポーツだけに使うのではなく、たとえばコンサートなどのイベント、避難場所、地元住民の健康増進プログラム、そして子供たちの遊び場としても活用されることが計画されています。カヌー・スラローム・センターや海の森水上競技場では、ラフティングなどの水上レジャーの機会の提供による水上競技の裾野拡大、都民開放・参加型イベントの実施も計画されています。2016年リオデジャネイロ五輪銅メダリストの羽根田卓也選手も『ぜひ教えたい』と言ってくれていますよ(笑)」

――スポーツ庁はどういった役割を果たしていくのでしょうか?

「スポーツ庁としては、大会後の施設利用も含め、日本全国のスタジアムの有効活用に向けてリーダーシップを発揮していきたいと思っています。公的な施設の多くは、郊外に設置されていて利便性に欠けていたり、使い勝手が悪かったりするケースがありますが、民間に積極的に加わっていただき、改革していきたいと考えています。今年春頃に発表する『スタジアムアリーナ計画』では、都市の真ん中に位置し、民間施設も入って、人々の憩いの場になるような全国20カ所のモデルを例示しますが、地元に根付いて気軽に行けるような場所を作っていきたい。スポーツは、その中心的な役割を果たせると僕は考えています」

2011年東日本大震災の時の心温まるエピソードを明かした(撮影:矢内耕平)
2011年東日本大震災の時の心温まるエピソードを明かした(撮影:矢内耕平)

被災地の子供たちの笑顔を通して感じたスポーツのチカラ

 室伏長官がスポーツの持つ力や役割について考える原点となったのが、2011年東日本大震災直後の貴重な経験だ。2011年世界陸上、2012年のロンドン五輪を目指し、アメリカ・アリゾナ州で合宿をしていた時、津波で多くの命が失われたことを知った。「トレーニングどころではない」と、失望感と無力感に打ちひしがれたという。しかし3カ月後、岩手県石巻市に赴く機会に恵まれた際、被災地の子供たちとリレーをやった時に見た彼らの笑顔が、今も脳裏に焼き付いている。

――石巻ではどのような体験をされたのですか?

「中学校を訪問したのですが、地震の爪痕は深く、両親や友人を亡くした子もたくさんいました。それでも、一緒にスポーツ活動をした彼らは、目を輝かせてくれた。スポーツには逆境を乗り越えさせてくれる力があると、再認識したのです。

当時、僕自身は36歳で、周囲からは『いつ引退するんだ』とささやかれている状況でした。だけど、彼らから『頑張ってください』と激励されたことで、『メダルを取ってくる』という約束をしたのです。2011年の世界陸上と翌年のロンドン五輪大会前にはみんなで寄せ書きをした国旗も送ってくれました。僕はそれを選手村に飾り、自分を奮い立たせた結果、本当に世界陸上で金メダル、ロンドン五輪で銅メダル獲得が叶いました。あれから10年近くが経った現在でも、彼らとは交流を続けています。スポーツは技術や体力を身に付けることも大事ですが、それ以上に奥深いものがあると気づかされた素晴らしい体験でした」

彼らの寄せ書きが2012年ロンドン五輪銅メダルの原動力に(写真:アフロスポーツ)
彼らの寄せ書きが2012年ロンドン五輪銅メダルの原動力に(写真:アフロスポーツ)

――人との絆は生きる原動力になりますね。

「2004年アテネ五輪の翌年にもそう感じる出来事がありました。30歳くらいになってからケガが増え、満足なトレーニングを継続できない時期に、私の尊敬する先生(玉川学園の小原芳明学長)がおっしゃられた言葉をアレンジし、書を贈ってくださったんです。そこには『君の競争相手は、無限の蒼空、確固不動の大地』と記されていました。金メダルを取ることや世界新記録を作ることも大事だけど、もっと大切なことは無限の可能性に挑むことだと分かり、それまでの自分の考えの狭さを再認識する機会になりました。そのおかげで、41歳まで現役を続けられた。スポーツの素晴らしさを体感した大きな出来事でした」

コロナに打ち勝って五輪開催が叶えば生涯忘れられない思い出に

――五輪の開催は、そういうことを広く知ってもらえるチャンスではありますよね。

「現時点では、新型コロナウイルス感染症が収まることを願うばかりです。コロナに打ち勝って東京大会が開催され、その先のレガシーとして、健康でイキイキとした日本国民の生活が戻ってくることが、スポーツ庁としての願いです。また、小中学校では、五輪やパラリンピックの教育や、それぞれの国の文化についての勉強が行われてきました。未来を担う子供たちが実際に大会を生で見ることができれば、生涯忘れることのできない思い出となることでしょう」

――苦しい2021年を乗り切るために、長年、ハンマー投げをされていた室伏さんが今、投げたいものは?

「コロナですね。それをみんなで投げたい。早くコロナが収束してほしいですし、みんなで早く苦しい時期を乗り越えたい。僕はスポーツ庁長官就任時に『ハンマーより重い任務』だとコメントしましたが、今後もいろいろ勉強させていただいて、スポーツのよさを発信していけるように努力していきます。最後に、一日でも早く新型コロナウイルス感染症が収束し、平和な日常に戻り、みなさまが健康で活力ある生活を送ることができることを切に願っております」

 グローバルな幅広い視点とネットワークを持つ元五輪メダリストの室伏長官には、現場の思いを理解しつつ、政治に還元できる強みがある。その武器を最大限発揮し、何らかの形で大舞台開催にこぎつけ、その後のスポーツの発展につなげていってほしい。彼のマネージメントに託されるものは少なくない。

スポーツ界のために全身全霊を尽くす覚悟の室伏長官(撮影:矢内耕平)
スポーツ界のために全身全霊を尽くす覚悟の室伏長官(撮影:矢内耕平)

■室伏広治(むろふし・こうじ)

1974年10月8日生まれ。静岡県沼津市出身。父である重信氏の影響でハンマー投げをはじめる。日本選手権は20連覇。オリンピックは2000年シドニー大会、2004年アテネ大会、2008年北京大会、2012年ロンドン大会の4大会連続出場。アテネ大会は金メダル、ロンドン大会では銅メダルを獲得。2016年に引退を表明。2020年東京オリンピック開催が決まると、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会スポーツディレクターや東京医科歯科大学の教授に就任。そして、2020年10月からはスポーツ庁長官の任務に当たっている。

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スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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