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観光船事故で考える「正常性バイアス」の罠 経験や勘が気象災害の拡大を招くことも

森田正光気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ会長
ウトロ漁港(写真:イメージマート)

 4月23日午前10時ごろ、斜里町ウトロ漁港を出た観光船「KAZUI」は、知床岬まで行って3時間後に漁港に戻る予定でした。同じくその日、10時30分にウトロを出たもう一つの観光船がありました。知床半島の途中、カシュニの滝まで行って1時間で漁港に戻ってくるコースの「KAZUⅢ」です。KAZUⅢは、途中、海が荒れてきたとのことですが何とか無事午前11時40分に港に帰ることができました。

 ではこのKAZUIとKAZUⅢの運命を分けたものは何でしょう。もちろんコースの違いなどが大きいと思いますが、KAZUⅢの船長の談話によると、午後から海が荒れることを天気予報で知っていたとのことでした。

4月23日のウトロ漁港の波の様子 出典:北海道開発局 スタッフ加工
4月23日のウトロ漁港の波の様子 出典:北海道開発局 スタッフ加工

 強風注意報は午前3時9分、波浪注意報は午前9時42分に発表されています。二つの船が出航するときには、ともに注意報が発表されており、天気予報を確認していれば海が荒れることは予想できたでしょう。

 KAZUⅢの船長は、KAZUIの船長と「午後から波が高くなる」と話をしたときに、天気予報を見ていないのではという印象を持ったそうです。報道でもKAZUIの船長は海が荒れることを知らなかった可能性が指摘されています。

 また、観光会社社長は「天気図は常に正確に当たるわけではないんですよ」と述べていましたが、この方、天気図の見方がわかるのでしょうか。会見を聞いて、“いま現在穏やかだ”という実況だけを参考にして行動をしているように見受けられました。

 さらにその後、会社の管理体制や無線機器の故障などが明るみに出るにつけ、荒れた海への想像力が欠けているのではと思いました。

運命を分ける「正常性バイアス」

 気象災害で被害を受けた人の話を聞くと、「まさか自分が被害に遭うとは」とか、「思いもよらなかった」ということが多くあります。たいていの人は自分だけは大丈夫という考えを持つもので、これを心理学では「正常性バイアス」といいます。正常性バイアスは生きていくにはとても大切なことで、逆にこのバイアスがないと、どんな些細なことでも心配になって心が折れてしまいます。しかし、こと災害や事故の場合は、「ひょっとしたら」という想像力を持つことが運命を分けたりします。

 今回の事故も、まだ完全に原因がわかったわけではありませんが、船長の出航判断に正常性バイアスが関わっていたのではと想像できます。出航時は港の波は約30センチで、天気予報を見ていなかったら、このまま何もないと考えてしまうような状況であったことは確かです。

ヒヤリハット「ハインリッヒの法則」

気象科学館の体験施設 筆者撮影
気象科学館の体験施設 筆者撮影

 いまから100年ほど前、アメリカの損害保険会社の調査員、ハーバート・ウィリアム・ハインリッヒは、一つの重大事故を調べると、その裏に軽微な事故や災害が隠れていることを発見しました。さらに詳しく調べると、事故にはならなかったものの、ヒヤリ!とか、ハッ!としたりする例が数多くあったのです。これを日本では「ハインリッヒの法則」とか、「ヒヤリハットの法則」と呼んでいます。

 今回のKAZUIも、昨年5月に衝突事故、6月には座礁事故を起こしており、軽微とは言えない事故を起こしていたことがわかっています。おそらく「ヒヤリ」「ハット」を繰り返してきたのではないでしょうか。

天気予報を見ない事故漁船

転覆事故を起こした小型漁船の気象情報の入手方法 平成15年12月函館地方海難審判庁資料をもとにスタッフ作成
転覆事故を起こした小型漁船の気象情報の入手方法 平成15年12月函館地方海難審判庁資料をもとにスタッフ作成

小型漁船転覆の原因 平成15年12月函館地方海難審判庁資料をもとにスタッフ作成
小型漁船転覆の原因 平成15年12月函館地方海難審判庁資料をもとにスタッフ作成

 少し古い資料ですが、平成15年(2003年)に当時の函館地方海難審判庁が小型漁船の転覆海難事故(過去10年間)の分析をしています。

 それによると小型漁船(20トン未満)は、波高が2メートルを超えると転覆の危険が急激に増大することや、大半が天気や海の状況に対する配慮が不十分であったことなどが書かれています。

 驚くべきは天気予報の入手方法です。事故漁船31隻のうち、テレビが13隻、電話(177)が6隻などですが、なんと、まったく入手しない漁船が11隻、全体の35%もあったのです。そこにも、「このくらいの波なら大丈夫と漁を続けた。」「荒天は直ぐに回復するものと思った。」といった、正常性バイアスを思わせる理由が記載されています。

 当時はまだスマホが無く、今ほどインターネット環境が整っていなかったとはいえ、それだけ経験や勘に頼る船が多かったということでしょう。

「想像力」と「正常性バイアス」

 経験や勘も大切ですが、時としてそれが正常性バイアスへ繋がる要因になります。それは気象災害でも同じで、「この川は氾濫したことが無い」「今までも大丈夫だったから平気だろう」そういった思い込みが、被害の拡大を招くこともあるのです。

 ここ数年の間に、天気予報の技術も、またそれを伝える手段も格段に発達を遂げています。既存の土砂災害警戒情報や氾濫危険情報などに加え、今年6月1日からは、毎年甚大な豪雨災害をもたらしている「線状降水帯」の予測も発表されます。

 このような気象情報が発表されたとき、「想像力」が働くか「正常性バイアス」が働くか、これこそがまさに運命の分かれ道と言えるでしょう。

参考

北海道開発局 海象情報

函館地方海難審判庁発行「転覆 漁船海難再発防止に向けて」

気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ会長

1950年名古屋市生まれ。日本気象協会に入り、東海本部、東京本部勤務を経て41歳で独立、フリーのお天気キャスターとなる。1992年、民間気象会社ウェザーマップを設立。テレビやラジオでの気象解説のほか講演活動、執筆などを行っている。天気と社会現象の関わりについて、見聞きしたこと、思うことを述べていきたい。2017年8月『天気のしくみ ―雲のでき方からオーロラの正体まで― 』(共立出版)という本を出版しました。

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