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東京五輪報道に見えた真の「アスリートファースト」──開幕の半年前に起きた変化が意味するもの

森田浩之ジャーナリスト
陸上1万メートルの新谷仁美は五輪開催問題についての発言が目立つ(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

東京五輪の開幕まで半年となった1月23日をさかいに、大会開催の可否をめぐるメディア報道に変化が感じられた。五輪に対する今の逆風を、すでに代表に内定している選手たち自身がどうとらえているかという視点が色濃く出てきたように思える。

23日の新聞やテレビには、選手たちの思いが数多く取り上げられていた。卓球男子代表に内定している17歳の張本智和は「(東京五輪が)あれば全力で戦うし、万が一なくなってしまったら、パリ五輪を目指すだけ」と率直な思いを語っていた。柔道100キロ級のウルフ・アロンは「選手としては五輪で試合がしたい。だけど、一個人としては無理に開催してほしいとは言えない」と胸の内を明かした(ともに共同通信の記事による)。

メディアが紹介する選手たちの声にはさまざまなものがある。しかし上にあげた2選手のような冷静な言葉が多いことは、いささか意外でもあった。「どうしても東京五輪をやってほしい」「夢の舞台に絶対に立ちたい」という叫びよりも、現実的でバランスのとれた発言が目立った。

これらの報道からわかるのは、五輪のために努力を重ねてきた選手たちの多くが、ただやみくもに通常の開催を訴えているわけではないということだ。コロナ禍のなかで大会が危機にさらされている現実を、彼らは冷静に受け止めているように感じられる。世論が盛り上がらないなかでの開催や、無観客の会場で試合や演技をすることに懐疑的な選手も少なくない。

東京五輪に対する選手たちの思いを伝える報道は、大会開催の是非を考えるうえで大きな材料になってしかるべきだ。選手たちの気持ちに寄り添う報道は、真の意味で「アスリートファースト」の視点に立ったものと言える。こうした報道が、開幕の半年前という節目にたまたま飛び出し、すぐに消えていく一過性のものにならないことを望みたい。

「ウィズコロナ五輪」に割り切れない思い

なかでも選手たちの葛藤がよく見えたのが、朝日新聞の1月24日付朝刊の記事だった。五輪出場が内定している日本選手を対象にオンラインでアンケートを行い、11競技の41人から得た回答を、1面トップから始まり2面に続く大きな記事で紹介している。

五輪出場にあたっての不安を尋ねる設問(複数回答可)では、「大会によって感染症が広まってしまうかもしれないこと」を最も多い25人があげ、「新型コロナへの感染リスク」が18人で続いた。ここまでは予想がつく。しかし意外に感じられたのは、「世間の機運が盛り上がらず、出場しても応援や支持を得られないかもしれない」を選んだ選手が41人中15人もいたことだ。

この回答は見方によっては、「コロナ禍でも選手は世間の応援や支持を求めているのか、なんて身勝手なんだ」と受け取られるかもしれない。だが仮にそう解釈されたとしても、記事を読み進めるうちに印象は変わっていく。

記事の後半では、このアンケートで「五輪の開催にあたって欠かせないと思うもの」を聞いたところ、半数を超える22人が「国際オリンピック委員会(IOC)に加盟するすべての国・地域の選手の参加」と「会場の観客」をそれぞれ選んだことが紹介されている。さらに2面に続く部分には、「五輪に出場するうえで心配な点は何か」という問いに「世界一を決める大会になるかわからない」をあげた選手が14人いたとある。

新型コロナウイルスの現在の感染状況を考えれば、7月23日に開幕する予定の東京五輪は、誰が考えても従来の大会とは大きく姿を変えざるをえない。しかし多くの選手は、これまでとは違う「ウィズコロナ五輪」が開かれることと、その大会に参加することに割り切れない感情を抱いていることがわかる。

体操で過去3大会続けてメダルを獲得し、東京五輪では出場種目を鉄棒に絞って表彰台を狙う内村航平のように「この状況で五輪がなくなってしまったら、大げさに言ったら、死ぬかもしれない。それくらい喪失感が大きい」(日本テレビのインタビュー)と、東京五輪への強い気持ちを口にした選手もいる。周囲も「選手たちは今まで努力してきたのだから、さぞ出たいだろう」と思いがちだ。

しかし朝日新聞のアンケートを見ると、代表内定選手の気持ちはひとくくりにしては語れない。ここに見えるのは、五輪が開催されることは願いながらも、大会の姿が様変わりすることに不安を感じているアスリートの複雑な思いだ。

「選手としては賛成、国民としては反対」

一部の選手には、東京五輪の開催問題についての主張をメディアを通じて届けようという積極的な姿勢も見える。今とくにメディアでの発言が目立つのは、陸上女子1万メートルで東京五輪代表に内定している新谷(にいや)仁美だろう。

新谷は昨年12月25日に練習を公開した際、すでに東京五輪の開催について「みんな一緒の気持ちになって開催してほしい。アスリートだけがやりたいというのは、私の中で違うと思う。国民のみなさんがやりたくないと言っていたら、開催する意味がなくなってしまう」と語っていた。

開幕まで半年となった日に新谷はNHKのインタビューに応じ、「アスリートとしてはやりたい。(でも)人としてはやりたくないです。アスリートとしては賛成だけど、一国民としては反対という気持ちです」と率直に話した。さらに「命というものは正直、オリンピックよりも大事なものだと思う」ともつけ加えている。

これほど五輪開催の是非についてはっきりと私見を述べる選手は、現時点でほかに見当たらない。東京五輪の開催問題について新谷のコメントが多く見聞きされるのは、彼女が自分の意見をきちんと口にすることをメディアの側が認識したうえで、取材を申し込んでいるためだろう。

ランナーのいない聖火リレー?

東京五輪開幕半年前の日の近辺には、大会開催をめぐってさまざまな動きがあった。

IOCのトーマス・バッハ会長は共同通信とのインタビューで、「7月に開幕しないと信じる理由は何もない。だからプランBもない」と言い切った。この感染拡大下で、まともな組織はたいてい「プランB」を用意しているはずだが、こんな非合理的な精神論をIOC会長が口にするとは、いったいどうしたことだろう。

しかしバッハ会長の発言も、強気なものばかりではなかった。1月23日には、無観客での開催も選択肢になりうると語ったことが報じられた。日本政府関係者も「無観客」と合わせ、「上限なし」「定員の50%」の3案を検討していると明らかにしたことが同じころに報道されている。

2カ月後に始まる聖火リレーについても動きがあった。現在の緊急事態宣言がリレーの始まる3月25日まで延長された場合、組織委員会は車道を走るリレーを取りやめるなど、規模の縮小を検討していると報じられた。「ランナーのいない聖火リレー」という五輪史上に残る奇妙なイベントになる可能性もある。

アスリートは声を届けたい

東京五輪をめぐるこうした動きのなかで、絶望的なほどに考慮されていないものがある。それは実際に競技する選手たちの思いだ。

IOCは無観客の大会を検討しはじめたというが、選手たちはそれでいいとは必ずしも思っていない。国民の意識と大きなずれを残したままでの大会開催を望まない選手も少なくない。

それがわかったのも、開幕まで半年となったのを機に始まった「アスリートファースト」の報道があればこそだ。この視点をメディアは保ちつづけてほしい。

選手たちは東京五輪をめぐる問題を考える場に、自分たちの声を届けたいと願っている。朝日新聞のアンケートでは、「五輪の開催に向けた動きに選手の声が反映されていると感じるか」という問いに、「まったく反映されていない」「あまり反映されていない」が合わせて41人中14人だった。

「大いに反映されている」と回答したアスリートは、ひとりもいなかった。

ジャーナリスト

メディアやスポーツ、さらにはこの両者の関係を中心テーマとして執筆している。NHK記者、『Newsweek日本版』副編集長を経てフリーランスに。早稲田大学政治経済学部卒、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)メディア学修士。著書に『メディアスポーツ解体』『スポーツニュースは恐い』、訳書にサイモン・クーパーほか『「ジャパン」はなぜ負けるのか──経済学が解明するサッカーの不条理』、コリン・ジョイス『新「ニッポン社会」入門』などがある。

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