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内閣府の消費者委員会が消費者の幸福に括弧を付けるわけ

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長
すべての画像:123RF

 「消費者の「幸福」という価値」といい、「消費者にとって苦痛がなく利便性を享受できている「安全」な状態」という有識者懇談会は、有識すぎて、あまりにも哲学的に難解ではないか。 

有識者懇談会における議論の整理

 2023年12月27日に、内閣府の消費者委員会は、「消費者法制度のパラダイムシフトに関する専門調査会」の第1回会合を開催しています。この専門調査会は、パラダイムシフトという甚だ大きな課題をかかげるもので、今後の審議を通じて、政府の消費者政策の抜本的改革に向けて、極めて重要な提言をなすのだと考えられます。

 これに先立って、「消費者法の現状を検証し将来の在り方を考える有識者懇談会」が設置され、2022年8月30日の第1回会合から15回の開催を経て、2023年7月に、「消費者法の現状を検証し将来の在り方を考える有識者懇談会における議論の整理」という報告書をまとめています。この「議論の整理」は、専門調査会の議論の方向を規定するものとして、重要な意味をもつわけです。

なぜパラダイムシフトなのか

 「議論の整理」の前文の冒頭には、「高齢化の進展により認知機能が不十分な消費者の割合が拡大している。また、デジタル化やAI等の技術の進展により、人間の限定合理性や認知バイアス等が容易に攻撃され消費者に不利益で不公正な取引が広範に生じやすい状況が生じるとともに、消費者が国境を越えて取引する消費者取引の国際化も急速に普遍化している」とあって、高齢化、デジタル化、グローバル化による環境変化が検討の背景にあることを示しています。

 しかし、そうした表面的な変化は、変化がいかに大きくとも、「消費者法を、その理念から見直し、その在り方を再編し拡充するための検討が必要」という深刻な問題意識を導くことはあり得ません。理念から見直すという限りは、何らかの本質的な断絶が認識されているはずで、だからこそ、パラダイムシフトという用語が専門調査会の名称に付されたのです。

旧来の消費者像の崩壊

 決定的に重要なのは、「消費者法によって消費者の支援・保護を図ることが正当化される根拠は、消費者契約法の制定以来「消費者・事業者間の情報の質・量、交渉力の格差」というメルクマールに求められているが、これでは不十分になっている」との認識です。

 つまり、市場経済に基づく社会の根本原理として、取引当事者間の対等が前提とされているなかで、消費者と事業者との間には、「情報の質・量、交渉力の格差」の存在することが明らかであるからこそ、その格差を是正する目的で消費者法が存在するわけですが、前提の取引当事者間の対等性そのものに疑惑の目が向けられるとき、消費者法の目的変更に至るパラダイムシフトが起きるということです。

消費者の「脆弱性」

 消費者の「脆弱性」は「議論の整理」の中核概念ですから、その要点を示す箇所を「議論の整理」から以下に引用します。

 「現在の消費者法が前提としている「一般的・平均的・合理的」消費者概念は、情報や判断の機会等が与えられれば適切かつ合理的な決定ができる古典的な「強い消費者」像を想定している。そこからは、消費者法は、消費者を本来あるべき「強い消費者」の状態に戻すこと、すなわち消費者の自律性を回復・確保するという目的に沿って構築されることとなる。

 しかしながら、現実には、このような消費者概念が妥当する場面は限定的である。現実の消費者は、情報等が与えられてもなお不合理な行動をしてしまう脆弱性を有しているのであるから、そのような現実の消費者像を正面から捉え、客観的に公正で合理的な状態を確保するという目的に沿って構築される消費者法も必要になると考えられる。」

 つまり、現在の消費者法は、「消費者・事業者間の情報の質・量、交渉力の格差」について、消費者に必要な情報等が提供される環境を整備することで、消費者は合理的に意思決定できるようになり、事業者と対等な「強い消費者」になり得ると仮定しているわけですが、実は、消費者には本来的な非合理性があるのだから、その仮定自体が成立しないというのです。

欲望の合理的実現

 消費は欲望の充足であり、欲望が非合理的であることは自明です。しかし、欲望が非合理的でも、欲望の充足手段は合理的に選択されると考えられます。少なくとも、「議論の整理」は、現在の消費者法の根底には、欲望は合理的な方法で充足されるべきであり、そのためには消費者と事業者との間に情報の対称性が必要だとの前提があると考えているわけです。

 それに対して、「議論の整理」は、欲望は必ずしも合理的な方法で充足されるわけではないとして、その消費者の特性を「脆弱性」と名付けたのです。この名称は、おそらくは、合理的な消費者を「強い消費者」と呼んだこととの対比であり、また、事業目的を徹底的に合理的に追求する事業者に対して、消費者が弱点を露呈するという意味でもあるでしょう。

自由で主観的な幸福と公正で客観的な「幸福」

 「議論の整理」は、極めて唐突に、「消費者法の目的は、消費者の「幸福」という価値を実現することと捉えることができる」と述べています。この括弧書きの「幸福」についての説明はありませんが、常識的に考えて、幸福は欲望の充足であり、それに括弧が付されたのは、「自由で自律的に選択できるという主観的価値」の実現としての幸福ではなく、「客観的に公正で合理的な状態」にある幸福を意味させるためでしょう。

 つまり、「脆弱性」の対極には、「客観的に公正で合理的な状態」が置かれていて、消費者の主観性においては合理的な状態でも、客観的に、かつ公正に評価されるときには、非合理的であり得るとされているのです。そして、この「客観的に公正で合理的な状態」は、「消費者にとって苦痛がなく利便性を享受できている「安全」な状態」とされて、更に、「安全」な状態の確保をもって、「客観的価値の実現」としているわけです。

法律の過剰介入の恐れ

 消費者の自由と自律に法律が介入するのは危険ですが、この点について意識されていることは、以下の引用に明らかです。

 「消費者の自由・自律的な選択のみに任せておくだけでは消費者の「安全」は確保できないが、他方で、消費者にとっての「安全」の在り方、特に何が利便性かを外部から決めつけることにも問題性が大きい。両者のバランスをどのように図るかは消費者法における重要なテーマである。また、消費者法において、この両者のバランスを考えるに当たっては、消費者が生活する社会共同体を、本人の自由・自律的な選択を支え促進する、あるいはそれを補うものとして位置付けることが、解決の鍵となる可能性があると考えられる。」

「消費者が生活する社会共同体」

 新しい消費者像について、「議論の整理」は、「「消費」あるいは「生活」という活動に着目し、生活空間における主体である生活者として捉える消費者像にも広げて「消費者」を考えていくことが必要である」としています。つまり、現在の消費者法では、自律的個人を想定することで、消費者像が孤立した個人になっているのに対し、現実の消費者は常に生活空間のなかにあり、生活空間は社会共同体に開かれている点に着目すべきだというのです。

 例えば、「孤独のグルメ」の井之頭五郎こそ、自由で自律的な消費者の典型ですが、実際には、飲食店という消費空間のなかで、店員との会話や、他の客の注文を観察することで、料理を頼んでいるのであって、決して、孤独なのではありません。五郎さんが感じる主観的な幸福は、同時に、安全な消費空間のなかで客観的に実現される括弧付きの「幸福」なのであって、だからこそ、視聴者に共有され得るのです。

哲学的で難解な「議論の整理」

 政府の審議会等の報告書等で、これほどに難解な表現が多用されているのは非常に珍しいと思われます。しかし、こうして強固な哲学的基礎が築かれたことによって、今後の議論の展開に大きな期待をもてるわけです。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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