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フィデューシャリー・デューティーを規制と考える金融機関に未来はない

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

金融庁が金融機関に対してフィデューシャリー・デューティーの徹底を求めているからといって、それは金融規制の強化ではないのです。なにしろ、金融庁からは、施策を具現化したルールなど、何一つ出されていないのですから。フィデューシャリー・デューティーは、各金融機関の自主的な取り組みとして、徹底されるのです。では、金融機関の取り組みへの誘因は何か。いうまでもなく、企業価値の向上です。

フィデューシャリー・デューティーはルールではない

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フィデューシャリー・デューティーの問題を、法務部門を中心にして、法令等のルール遵守の見地から検討しているような金融機関に、将来は全くないでしょう。そのような金融機関は、金融庁における行政手法の転換、昨年の「金融モニタリング基本方針」に始まり、今年の「金融行政方針」において一段と明確にされた革命的ともいえる大転換を、少しも理解できていないのです。

フィデューシャリー・デューティーは、新たな規制として導入されたのではありません。そのことは、導入から一年以上経過した今も、金融庁からは、フィデューシャリー・デューティーを具現化したルール等は、何一つ公表されていないことをみても、明らかです。

そうではなくて、フィデューシャリー・デューティーは、金融機関自身による自主的な取り組みとされているのです。自主的な取り組みなので、金融庁からルール等は出てこないのです。

ルールについては、考えることなく、受動的に、対応できます。しかし、自主的な取り組みとなると、能動的に考えて行動しなければなりません。ところが、残念ながら、というよりも驚くべきことに、今の金融機関には、この自主的に考えること、まさに理性を備えた人間としての基本行動ができないのです。

これには、多少とも不幸な背景があります。金融庁は、発足以来、まさに発足の経緯からして止むを得ない面もあって、金融機関にルール遵守を徹底させることに最大の力点を置いてきたので、長い時間の経過とともに、金融機関の対応は、自主的に考える自律的な姿勢(程度はともかく、あるには、あったと思われます)を失い、無反省的に従うものに、退化してしまったのです。

ルール遵守で馬鹿になった金融機関

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要は、金融機関は、ルール遵守で馬鹿になったわけです。馬鹿になったという意味は、ルール遵守で、自律的な思考力が著しく低下したということですが、それだけではなく、より深刻な問題は、ルールさえ遵守していれば、何をやってもいいという道徳的頽廃をもたらしたことです。

金融庁が大胆な路線転換に踏み切った背景の一つに、著しく投機性の高い投資信託が、著しく高額な手数料のもとで、大量に販売されていて、投機性ゆえに生じた収益も、手数料等を控除すれば、何も残らないという事態が横行していたにもかかわらず、「金融商品取引法」等のルールに照らしたとき、何らの違反もなかったという衝撃的な事実があります。

かような投資信託の販売実態については、金融庁としては、かねてより問題意識をもっており、故に、ルール等の導入による規制強化もしてきたのです。しかし、少しも、事態の本質的改善は起きませんでした。むしろ、ルール等の表層的な徹底遵守によって、逆に、問題性のある行為が正当化される側面のほうが圧倒的に強かったのです。

金融機能の真の高度化に対して、規制は無力である、この発見は、金融庁の行政方針を抜本的に転換させるに十分なほど、衝撃的であったに違いありません。

金融行政の革命的転換

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そこで、規制によらない金融行政のあり方が検討され、金融機関に対して、自己のプリンシプルを自律的に確立し、ベストプラクティス(最善)の追求を求める方向へ、転換されたわけです。

規制は、所詮は、ミニマムスタンダード(最低)であって、それが遵守されるのは当たり前のことで、当たり前のことは、否定的価値の発生を防止できても、何らの積極的な価値を生むわけではありません。それに対し、金融機能の高度化は、金融の働きで国民の経済的厚生を増大させることが目的ですから、必ず積極的な付加価値を創出するものでなければなりません。

社会的な付加価値創出を目指すことは、企業経営を支えるプリンシプル(行動原理)であり、市場経済の競争原理のもとで、そのプリンシプルを貫徹させれば、当然のこととして、切磋琢磨と創意工夫によるベストプラクティスの追求がなされます。これは、経営の基本であり、金融にとっても、当然に当て嵌まります。

もっとも、企業としての当然の行動プリンシプルを、金融庁が施策として金融機関に求めるというのは、異常なことかもしれません。しかし、現実に、金融機関の経営は、受動的なルール遵守の側面が強く、能動的なプリシンシプルに基づく行動は十分ではない、金融庁には、そうみえるからこそ、金融機関の経営者に意識改革を促すことになるのです。

金融界には、このような金融機関の現状は、金融庁自身が作り出したのではないか、そう言いいたい人も大勢いるでしょう。しかし、金融庁発足の経緯からして、国民の経済的厚生の増大という金融行政の目的に照らして、ルール遵守の徹底が必要だった歴史的な局面があるのです。

施策は、そのときの課題に対して、執行されるのですから、現時点から、過去を問うても意味はないでしょう。現在の国民的課題に対して、金融機能の高度化が求められるとき、現在の金融行政の方針は、理に適ったものなのですから、金融機関として、将来へ向けて、建設的な取り組みをしていけばいいのです。それが、国民に対する義務です。

フィデューシャリー・デューティーのもとでのベストプラクティス

もちろん、創意工夫ができていないというのは、金融庁の見方にすぎず、金融機関の立場からは、例えば、奇抜な投資信託の開発と販売も、ある種の創意工夫の産物には違いなく、ベストプラクティスの追求という自己評価なのだと思われます。

故に、フィデューシャリー・デューティーなのです。金融機関に求められているのは、単なる創意工夫やベストプラクティスの追求ではなくて、フィデューシャリー・デューティーの徹底というプリンシプルを確立したうえでの創意工夫とベストプラクティスの追求なのです。

フィデューシャリー・デューティーとは、煎じ詰めれば、専らに顧客のために、という高度な忠実義務に帰着します。高度な、ということは、顧客の利益を損なわないという消極的意味(日本における忠実義務の一般的理解)を超えて、最善の努力により真の顧客の利益に適うように行動するという積極的意味です。

奇抜な投資信託の販売についても、そのことにより、金融機関が、自己もしくは第三者の利益のために、顧客に積極的な損失を与えたということは証明できませんし、むしろ、それが売れているという事実からすれば、確かに、顧客の何らかの利益の存在を背景に推定せざるを得ないわけです。

しかし、フィデューシャリー・デューティーという高次の基準に照らしたときには、投資信託の設計や販売において、最善の努力のもとで真の顧客の利益に適うように行動できていているのか、そうではなくて、売り易さ、報酬のとり易さなど、金融機関自身の都合が優先しているのではないのか、という反省の視角が開けてくるのは、間違いないのではないでしょうか。

フィデューシャリー・デューティーは企業価値

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企業のプリンシプルとして、根底にあるのは、自己の利益のために、という誘因です。このことは、金融機関についても当て嵌まります。故に、フィデューシャリー・デューティーは、慈善的なものではあり得ず、当然に、金融機関の利益を前提にしています。しかし、金融機関の利益と顧客の利益の間に、相反関係があってはならないこともまた、当然です。

金融取引の場合、取引の成立以前の問題として、顧客の金融機関に対する信頼関係の成立があります。信頼しているからこそ、顧客は、金融機関と取引をするのです。金融機関として、この信頼関係を守ろうとするのは、法律上の義務や規制の問題としてではなく、事業基盤の強化という意味で、自己の中長期的な利益のためです。

英米法のもとでは、金融取引のうち、特に、顧客資産の管理等については、信頼関係よりも強い関係として、フィデューシャリー関係(信認関係と訳されるのが普通)の成立を認め、その保護のために、法律上の強い義務を課しているのです。それがフィデューシャリー・デューティーです。

日本では、フィデューシャリー・デューティーは、法律ではなく、法律を超えて成立するフィデューシャリー関係の保護を意味します。故に、その履行強制力は、法律等のルールにではなく、保護することが事業の中長期的基盤を強化することになるという経済的誘因にあるのです。

つまり、現にある信頼関係は、奇抜な投資信託の販売のようなことをしていると、徐々に崩壊に向かってしまうのではないか、むしろ、それをフィデューシャリー関係にまで高度化することで、金融機関自身の中長期的な利益が確保され、企業価値の向上が図られるのではないか、そのような親身な経営コンサルティング的な視点こそ、今の金融行政の特色です。

「フィデューシャリー宣言」の意義

金融庁は、フィデューシャリー・デューティーの徹底といっていますが、単なる利益誘因では、徹底し得ないはずです。フィデューシャリー・デューティーは、履行強制力のある厳格な規範でなくてはならないのです。ただし、それは、外部から規制として強制される規範なのではなくて、金融機関の内部における自主的な自律としての規範、つまり、自分で自分に課す規範です。

内部的な規範なので、履行を確実なものにするためには、工夫が必要です。それは、第一に、規範が外部に対して公表されること、第二に、公表したことが嘘にならないように、あるいは単なる営業用の美辞麗句にならないように、確実に履行されるための厳格な内部統制の仕組みを構築することです。

現在、投資運用業者のうち、四社が「フィデューシャリー宣言」を公表していますが、この四社では、「フィデューシャリー宣言」の背後に、厳格な履行規定を定めています。つまり、例えば、「顧客の真の利益にならない商品を作らない」と宣言するとき、どのような商品類型が該当するのかについて、判定基準が定められていて、かつ、その判定を行う経営上の手続きが定められているのです。

金融庁の方針を受けて、投資運用業者、投資信託の販売会社など、資産運用関連業界では、各社それぞれのフィデューシャリー・デューティーの具現化が検討されているはずで、「フィデューシャリー宣言」は普及拡大するとみられますが、真剣に検討すればするほど、内部体制の構築に時間がかかる、それが金融機関の現状だと思われます。

その金融機関の生みの苦しみのなかで、その真剣な検討過程のなかから、顧客の視点で、自己の中長期的な企業価値の視点で、自律的に考える姿勢が醸成されてくること、それこそ、金融行政が目指すものなのです。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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