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投資信託の販売会社の責任

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

投資信託の販売会社には、いうまでもなく、「金融商品取引法」等に基づく法定の責任が課せられます。しかし、最低限の法律上の責任を果たすことで、販売会社としての真の社会的責任を果たしたことになるのか。それで、投資信託の受益者である投資家の真の利益は守られるのか。なぜ、金融庁は、販売会社に「フィデューシャリー・デューティー」を求めているのか。

「フィデューシャリー・デューティー」

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金融庁は、新しい「金融モニタリング基本方針」のなかで、三番目の重点施策である「資産運用の高度化」に関連して、次にように述べています。

「商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関がその役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる。」

これは、投資信託を含む全ての資産運用関連業務についていわれていることですが、とりわけ投資信託を強く念頭に置いて述べられていることは、間違いありません。つまり、ここでは、「商品開発、販売、運用、資産管理」と、販売を含めた四つの機能が列記されており、明白に、投資信託の販売会社について、「フィデューシャリー・デューティー」という役割・責任を、「実際に果たすことが求められている」のです。

金融庁は、「フィデューシャリー・デューティー」に注を付けています。それは、「フィデューシャリー・デューティー」が英米法の概念であって、法体系の異なる日本では、馴染みがないからです。その注では、「他者の信認を得て、一定の任務を遂行すべき者が負っている幅広い様々な役割・責任の総称」と解説されています。

この説明を、投資信託の販売会社について置き換えれば、投資家の信認を得て、投資信託を販売している者が負っている幅広い様々な役割・責任の総称となります。問題は、「幅広い様々な役割・責任」の実質です。

ところが、金融庁は、「役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる」として、ことさらに、「実際に」、を強調しています。責任については、実際に果たされるべきものであって、敢えて、「実際に」を付け加える必要がないことからすると、「実際に」は、役割にかかるものなのでしょう。ならば、問題は、「幅広い様々な役割」の実質です。

「ミニマム・スタンダード」から「ベストプラクティス」へ

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従来の金融庁の監督・検査のあり方としては、投資信託の販売というのは、「金融商品取引法」上の行為であって、その要件は、法律上、明確なのですから、幅広く様々なものになるはずもありませんでした。しかし、新しい金融庁の「モニタリング基本方針」は、全く異なる思想に立脚しているのです。

従来の考え方では、法律上の要件の充足、即ち、「ルール」の徹底が強調されていました。その明らかな弊害は、最低限の「ルール」の遵守で足りるという「ミニマム・スタンダード」への安住を招いたことです。あるいは、さらなる意識の後退のもとで、「ミニマム・スタンダード」さえ守られていれば、何をしてもいいという堕落的現象すら生み出していた可能性があります。

今の金融庁の考え方は、そこを抜本的に改めて、法律の背後にある理念・原理、即ち「プリンシプル」への準拠を掲げることで、顧客の視点に立った最善の職務執行のあり方、即ち「ベストプラクティス」を要求しているのです。

「ミニマム・スタンダード」は、明瞭に一つですが、「ベストプラクティス」は、幅広く様々なものになり得ます。この点について、金融庁は、「金融モニタリング基本方針」のなかで、次のように述べています。

「目指すべきベストプラクティスは、画一的なものではなく、各金融機関が自主的に創意工夫を凝らしながら目指していくものである。金融庁としては、様々な場における金融機関との建設的な対話を通じ、金融機関が横並びの意識を排し、顧客へのサービスの質の改善に向け健全な競争が行われることを促していく。」

当然ですが、「プリンシプル」は、顧客の真の利益を守ることです。その「プリンシプル」のもとで、「ベストプラクティス」を追及するということは、常に、顧客の視点に立って、よりよく顧客の利益が守られるように、創意工夫を凝らすということになります。これが、今の金融庁が投資信託の販売会社に強く求めていることです。

「フィデューシャリー」としての振舞い方

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「フィデューシャリー・デューティー」の説明に、「他者の信認を得て」とありますが、要は、投資信託の販売会社は、顧客の信認に最善の方法で応えなくてはいけない、その一点に尽きるわけです。

「フィデューシャリー」というのは、「他者の信認を得て」いる者のことです。「フィデューシャリー・デューティー」とは、「他者の信認を得て」いる者が、その他者に対して負う責任です。

典型的な「フィデューシャリー」は、医師です。医師は患者の信任を得て、専らに患者のために、最善の治療法を工夫する義務を負っています。患者の状況は、千差万別です。故に、医師の最善の対応も、患者の状況に応じて、千差万別になります。

その医師の行為を「ルール」で律することができないのは、自明です。医師には、医師としての「プリンシプル」のもとで、幅広く様々な役割が期待されるのです。その役割のなかに、法律上の医療行為でないものも多数含まれ得ることは、論を待ちません。

患者を投資家に、医師を投資信託の販売会社に、置き換えたとしても、同じ「フィデューシャリー」である限り、同じ「プリンシプル」が働くはずです。

金融庁は、投資信託の販売会社に対して、「顧客のニーズや利益に真に適う」対応を求めているのですが、これは、医師が、患者の「ニーズや利益に真に適う」対応を求められるのと、全く同じです。ならば、販売会社の役割には、法律で定められた最低限の行為を超えて、幅広く様々なものが含まれるのは、当然ではないでしょうか。

投資信託を求める顧客の状況は、千差万別でしょう。それに対して、販売会社の視点で、一律に、営業政策上の重点商品を押し付けることはできません。それが、法令上の販売行為として、形式的には、完全に要件を充足していたとしても、「フィデューシャリー」としては、できないのです。

「フィデューシャリー」としてならば、投資信託の販売会社は、医師が患者の状況を調べるのと同じように、顧客の属性を正しく把握することから始めて、「顧客のニーズ」を正確に把握し、医師が患者に最適な治療法を提示するのと同じように、顧客の「利益に真に適う」ように、顧客の利益のためにのみ、商品提案をしなくてはいけないのです。

広義の投資運用業

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そこまで踏み込むと、投資信託の販売というよりも、広義の投資運用業にならないかという疑義が生じます。しかし、顧客の利益を守るという視点にたったとき、「商品開発、販売、運用、資産管理」の全体が緊密に連携してこそ、投資信託の社会的機能が十全に発揮されるものなのですから、法律上の概念を超えて、その全体を広義の投資運用業としてとらえるべきではないでしょうか。

例えば、法律上の第一種金融商品取引業としての「販売」と、法律上の投資運用業としての「運用」とのそれぞれが、形式的には完全に法律上の責務を全うしているとしても、法律の隙間から真の顧客の利益が漏れてしまっていたら、何の意味もないでしょう。

故に、金融庁は、法律の枠を超えて、「フィデューシャリー・デューティー」という英米法の概念を、理念として、もち込んだのです。しかも、この場合、「商品開発、販売、運用、資産管理」に携わるものが別々に複数の「フィデューシャリー」として責任を負うのではなくて、「商品開発、販売、運用、資産管理」に携わるものが連帯して、一つの「フィデューシャリー」として責任を負うべきことをいっているのです。

金融規制の再構築

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ところで、投資信託ではなくて、別の金融商品のほうが、真の顧客の利益に適うと判断された場合、販売会社は、どうすればいいのでしょうか。

例えば、ある種のインデクス運用について、ETFと投資信託との両方が存在しているとしましょう。そして、二つが全く同じインデクスを対象としていて、投資価値として、ほぼ等しいとみなされるときは、専らに顧客の利益のために行動しなければならない「フィデューシャリー」としては、手数料等について、ETFのほうが顧客に有利ならば、当然に、ETFを勧めなければならないでしょう。

しかし、ETFと投資信託とでは、「金融商品取引法」等の法律上の扱いが違います。投資信託しか扱えない販売会社の場合は、どうしたらいいでしょうか。

理屈上は、ETFを扱える販売会社を紹介するほかないはずです。しかし、確かに理屈上はそうでも、現実的に可能なことかどうかは、大いに問題です。ここは、金融庁も、思案のしどころではないでしょうか。もともと、金融制度の体系が、法律上の細分化された業務の結合によって、構成されていることが、問題であるわけであって、その構成要素の一つにすぎない販売会社に、全ての役割と責任を寄せることはできないのです。

そういっては金融庁に怒られるかもしれませんが、金融制度の構成は、顧客の視点よりも、業者の視点で作られているようなところがあります。それは、金融規制が金融機関規制にならざるを得ない以上、やむを得ないことかもしれません。

そこで、投資信託のあり方について、顧客の視点に立った金融行政への転換を目指したとき、金融庁は、「フィデューシャリー・デューティー」という新しい概念を導入して、金融規制の再構築を図ることになったのだと思われます。

金融機関自身の自己改革

金融規制の再構築ということになれば、法律改正も、どこかの時点では、検討の俎上にのってくるのかもしれませんが、当面は、ないのではないでしょう。仮にあり得るとしても、行政主導の上からの改革ということにはならないし、なってもいけないのです。

金融機関自身が顧客の視点で考えなければならない以上、真の改革は、顧客との接点である金融機関自身からしか、起こり得ないのです。改めて、「金融モニタリング基本方針」の最重要な部分を、もう一度、引用しましょう。

「目指すべきベストプラクティスは、画一的なものではなく、各金融機関が自主的に創意工夫を凝らしながら目指していくものである。金融庁としては、様々な場における金融機関との建設的な対話を通じ、金融機関が横並びの意識を排し、顧客へのサービスの質の改善に向け健全な競争が行われることを促していく。」

これを、金融庁からの金融機関に対する上からの一方的な指示だと解することはできません。それでは、「建設的な対話」にならないからです。「建設的な対話」は、当然に、対等な対話でなければならないのです。故に、金融機関側から、真に顧客の視点に立った提言があれば、金融庁としても、必要な制度改正について、前向きに検討しなければならないことは、明らかではないでしょうか。

投資信託の販売会社の責任は、要は、顧客の視点に立った改革を自己自身の力で断行していくこと、それに尽きるのです。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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