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ファンドのディレクターとトラスティー

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

ディレクター(Director)は法人形態のファンドの取締役、トラスティー(Trustee)は信託(トラスト)形態のファンドの受託者です。敢えて、それを、片仮名で表現するのは、英米法の理念に引き付けて検討しようということですから、何が日本法では問題なのかを、英米法との対比で明らかにしようということです。

資金の容器としてのファンド

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ある投資目的のために投資家等の資金を集めたものがファンドFundです。ファンドは基金であって、いうなれば拠出された資金の塊そのものですから、ファンドが機能するためには、資金が、何らかの機関を備えた「箱」に、納まっていることが必要です。

投資資金を納めるための「箱」、「器」、あるいは「乗物(英語でいえば、ビークルVehicle)」は、如何なる名前で呼ばれようが、要は、投入された資金と、その資金が転化した資産が、他から法律的に明確に分別されて、投資家等の利益が法律的に保全されるような機能を備えた何らかの容器です。

ファンドが投資家等を代理した投資主体として機能するためには、投資判断を行う意思決定機関が必要なのは論をまちませんが、それだけではなく、投資家等の利益を代表し、最終的な利益をファンドから得るもののためだけに行動する監督機関も必要です。

その監督機関は、もしも、ファンドを、会社のような法人格のある形態として設定するなら、ディレクターと呼ばれるでしょうし、信託のような法人格のない形態として設定するなら、トラスティーと呼ばれるでしょう。

ディレクターやトラスティーは、単独の個人でもいいですし、複数名の個人の集合(「会」、英語ではボードBoard)でも構いません。ボードにすれば、当然に、合議になります。

容器の違いに関係なく同一の責任

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ファンドのディレクターやトラスティーは、その名称の如何にかかわりなく、またファンドの法的構造の違いに関係なく、投資家等の最終受益者の利益を守るという法的責任において、全く同一な義務に服するのでなくてはいけません。まさに、ここが決定的に重要なことです。

しかし、実際には、ファンドの具体的な法律的構成は、関係当事者の責任の構造に無関係というわけにはいきません。例えば、日本の投資事業有限責任組合の無限責任組合員の責任と、匿名組合の営業者の責任を比較するとき、法的仕組みが違う以上、全く同じ責任内容だとまでいうことは、難しかろうと思われます。

ただし、二つの組合が全く同一の目的をもって作られ、投資家等の資金の容器、即ち、ファンドとしての社会的機能が同一であるときは、投資家等の利益保護という視点からみるとき、両者の責任構造も同一でなければならないのは、社会的正義の自然な要求でしょう。

さらにいえば、これらの組合と投資信託とで、責任構造が違うのもおかしいでしょう。投資対象の種類や投資家等の数や層の違いは、募集や説明や報告に関する義務等における差にはつながるでしょうが、根幹を規定する関係当事者の注意義務や忠実義務には、何らの差もないと考えるべきだと思います。

こうした現実の問題を解決するために、法律的な手当てを検討するとしたら、その一つの方法は、英米法のトラストの法理を適用し、全ての容器を擬制的、もしくは明示的に、トラストと認定し、そこに、名称の如何にかかわりなく、トラスティーとしての機能を演じるものの存在を認め、それに対して、同一のトラスティーとしての責任を課すことです。

投資判断の責任と監督責任

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同様に、投資判断責任者の義務も、ファンドの法律的構成とは無関係に、同一の基準により律せられないといけません。これは、いわずもがなの当然のことです。

個別具体的な投資対象が異なっても、また投資の手法が異なっても、さらにはファンドの法律的構成が異なっても、それが、ファンドと呼ばれる限りにおいては、投資家等の利益を守るということに関する忠実義務や注意義務に差があってはなりませんし、実際に、差があるとも思われません。

では、投資判断者の責任と、ディレクターやトラスティーのような監督者の責任とは、どのような関連になるでしょうか。

ディレクターやトラスティーのような監督者の責任は、日本の制度では、投資判断者の責任とは未分化であるように思えます。実のところ、企業の経営執行責任と取締役の統治責任についてさえ、両者の本質的な差が広く認識されるようになったのは、日本では、それほど昔のことではありません。ましてや、ファンドの執行(投資判断)と統治(監視監督)との機能について、分析的に検討されることなど、これまでは、なかったと思われます。

実際、例えば、投資信託についていえば、投資判断責任を負う運用会社が、同時に、信託の委託者として、信託の受託者の責任と同等な責任を負う、というよりも、事実上、受託者に代わって第一義的な責任を負うという奇妙な構造になっています。

故に、信託の受託者であるトラスティーの責任というのは、事実上、実体がないような格好になってしまっているのです。信託制度の本来の中核機能であるべき受託者は、単なる事務機能を演じるだけで、トラスティーとしては、機能していないのです。

投資事業有限責任組合や匿名組合でも、無限責任組合員や営業者は、投資判断責任を負うものとして、同時に、監督責任も負うような構造になっています。ここでは、執行と統治は、そもそもが、区分されていないのです。つまり、独立した監視監督機関としてのディレクターやトラスティーは不在であるということです。

ファンドの階層

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ファンドには、階層があるといいますか、ファンドが投資家としてファンドに投資するという構造になることも多くあります。その場合、階層の如何にかかわらず、当事者の責任は同一と考えるべきです。

ファンドには、投資対象としてのファンドと、投資家としてのファンドとの二階層があります。ただし、いわゆるファンドオブファンズなどというものは、投資対象としてのファンドの階層を重ねたものですから、それ自体、投資対象としてのファンドに変わりありません。

重要なのは、年金基金等の投資家としてのファンドです。年金基金は、基金というからには、ファンドなのです。例えば、公的年金資産を運用する年金積立金管理運用独立行政法人は、正式名称が長すぎることもあり、英文名称のGovernment Pension Investment Fund の略称GPIFで通用しています。

日本では、年金基金等の投資家としてのファンドについても、投資対象としてのファンドと同様に、執行と統治は未分離です。年金基金等は、それぞれの設立根拠法をもち、そのなかでは、資産運用判断にかかわる役員等に対して、執行機関としての忠実義務や注意義務を課しているわけですが、それとは別に、資産運用にかかわる監視監督を行う専門の統治機関は定められていません。

しかしながら、制度のより良い設計としては、投資家としてのファンドにも、明示的に独立した統治機関を置くべきだと思われます。その一つの方法が、米国の制度のように、年金基金等の様々なファンドについて、それをトラストとみなして、そこにトラスティーの存在を認め、同一のトラスティーの責任を課すことなのです。

企業統治改革とファンド統治改革

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安倍政権の多種多様な政策のなかには、成長戦略の一環としての産業競争力強化との関連で、企業の経営執行と統治の改革が重点課題にあがっています。それとの関連で、ファンドの統治についても、同様の改革の動きはあります。有名なのは、GPIFの改革です。

これは、GPIFの資産運用内容の変更という非常に具体的な次元で問題化してきたのだと思いますが、そのような技術的なことを決めるに先だって、GPIFの執行と統治の仕組みが改革されなければならないのは自明のことです。今後、当然に、GPIFという組織の建付けそのものが大きく変わるのだと思われます。

そのような変革の際には、執行と統治の厳格な区別、つまり、投資判断の意思決定における専門性と機動性を生かした執行部門の組織構造と、現場の判断を客観的な視点から監視監督する統治部門の組織構造、この二つの均衡がとれた設計が鍵となるのです。

また、投資信託についても、老後生活資金形成の道具としての機能と、成長戦略を投資資金面から支える機能との重要性が再認識され、運用の質の改善が急務とされているのですから、執行と統治構造の改革は、不可避だと思われます。

三階層の統治改革

そうしますと、安倍政権の政策課題では、三階層の経営執行と統治の構造の改革が問題となっていることになります。投資家としての年金基金等のファンドの次元、投資対象としての投資信託等のファンドの次元、そして、具体的な投資対象としての株式等の発行体の企業等の次元、この三つの階層です。

この三つの執行と統治の構造は連続していて、それらが緊密な強い連関をもつほど、全体の執行と統治の仕組みがよくなっていく、そのような関係になっています。

企業の経営執行と統治がよくなるためには、企業に投資するファンドが、優れた運用会社の投資判断執行により運用され、かつ投資家の利益のみを考えた優れた統治により監視監督されることで、企業に改革への圧力をかけていかねばならず、運用手段としてのファンドの投資判断執行と統治がよくなるためには、最終投資家である年金基金等の優れた投資判断執行と統治の仕組みにより、よい運用会社とよいファンドのみが選択されなくてはならない、この連鎖の仕組みの確立こそが、安倍政権の政策課題を集約したものといえるでしょう。

執行と統治の関係

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執行と統治の関係は、基本的に、どの次元においても同じです。一番大切なことは、企業の経営判断にしても、投資家や運用会社などのファンドの投資判断にしても、執行判断には、専門性と機動性が必要であり、そこには必ず将来の不確実性への一定の賭けの要素が付きまとうということです。それは一種の決断ですから、そのことが具体的に意味するところは、執行判断においては、合議による決定など不可能だということです。

だからこそ、決断は、良識ある人々による承認を必要とするのです。その承認の仕組みこそが、統治機関の監視監督の機能であり、その役割を担うのが、企業や企業型のファンドの場合、取締役、即ち、英語のディレクターであり、信託型のファンドの場合は、英語のトラスティーなのです。

よい統治がよい執行をもたらす

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つまり、執行と統治の二つの機能を分けているからこそ、適切な決断ができるのです。日本では、企業においてすら、企業統治改革の切り札として社外取締役の導入が叫ばれるほど、執行と統治の分離が不十分です。そのことは、おそらくは、二つの大きな弊害をもたらしているのです。

執行と統治が混合していると、一方では、統治のほうへ執行が引きずられて、合議による決定へ流れやすく、そのことが、決断無き無決定の無責任に帰結しやすく、逆に他方では、執行に統治が引きずられて、不適切な経営判断が監視の目をすり抜けて横行してしまう、この両極の二つです。

同様な弊害は、年金基金等の投資家としてのファンドにも、投資信託等の投資対象としてのファンドについてもいえるのです。

安倍政権は、決断する政権です。ということは、政権の主張として、産業界等の社会に求められていることは、企業においても、ファンドにおいても、適切な決断を適切な時期に行えるような執行と統治に仕組みを確立せよ、ということだと思われるのです。

そのためには、企業においては取締役の機能、ファンドにおいては英米法の意味におけるディレクターとトラスティーの機能、この統治の機能の確立が不可欠だということです。その方向で、GPIF、企業年金等、投資信託、その他の組合等、全てのファンドについて、抜本的な構造改革が断行されなくてはならないのです。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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