安倍政権の緊急経済対策に示された「三本の矢」のひとつは「民間投資を喚起する成長戦略」ですが、その喚起のための「呼び水」として政府が「リスクマネー供給」を行うとしています。これに対しては、資本主義の原点への政府の過剰介入として、批判があるのは当然です。今回は、政府による「リスクマネー供給」の可否の検討を行います。

政策的な民間経済活動への適切な介入は必要

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実は、この緊急経済対策、それなりによくできているわけで、政府が民間事業に投資するなどとはいっていないのです。民間産業界における投資こそが経済成長の源であり、資本主義の原点であることを前提にしたうえで、その民間投資を喚起するための経済政策として、「官民ファンド」という政府による「呼び水」の投入を打ち出しているだけです。

民間投資を喚起するという経済政策が政府による過剰介入ならば、そもそも、経済政策ということ自体が、不要か無用か有害か、いずれにしても自由主義や資本主義の原理的立場からは、否定されてしまう。そのような極端な原理主義は現実にあり得ず、程度や手法の問題こそあれ、政策的な民間経済活動への介入が現代社会に必要であることは間違いない。ですから、民間投資を喚起するための経済政策の必要性自体は、誰にも否定できないでしょう。

問題は、まさに手法の妥当性です。「呼び水」という政府の直接投資が適当な策かどうか。日本における民間投資の低迷が何に起因するのか、その原因に遡って投資を誘発するような適切な手法を検討するというのが、政策論の正攻法なのでしょうね。しかし、現実の経済は多数の要因の複雑な働きの結果ですから、そのような理論的な正攻法が通じるものでもないでしょう。また、財政的諸制約もあるでしょうし。

そういうなかで、安倍政権(というよりも民主党政権時代からの政策手法の継承ですが)は、「呼び水」という名の直接投資を選択し、また、おそらくは財政制約も考慮し、更には官主導ではなく民主導であることを示す意味も込めて、民間との連携による「官民ファンド」を多用することになったのだと思われます。

規制緩和こそ優先させるべきとの主張について

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これに対して、「官民ファンド」に批判的な向きからすれば、他にも有効な手法があるだろうということでしょう。投資減税とか、規制緩和とか。当然に、政府だって、そういうことも総合的に検討しているはずです。ただ、今回は、緊急経済対策として、とりあえず緊急に実施するものですし、どちらにしても財政の制約は大きい。それで、「官民ファンド」になったのだと思われます。

また、例えば、投資減税ですが、これは設備の加速償却などによって、税制上の利益を企業に供与して、設備投資を促すものですが、減税というのが政府にとっては難しいですし、企業にとっても税務上の利益が誘因になるような経営状況ではないような気がします。

では、規制緩和はどうでしょうか。「官民ファンド」というのは、資本主義の原点である民間の聖域への介入として、規制緩和の全く反対ではないのか。そういう批判がありそうですね。しかし、この規制と投資の関係こそ、私が東京電力問題に執念を燃やし続けている究極の理由ですし、「リスクマネー供給」についての私の見解の中核をなしているところです。

先に結論をいえば、そもそも規制緩和という言葉がおかしいのであり、本来は社会制度の設計の変更といわれるべきであること、そして、その設計において投資が誘発されるような工夫を行うことが産業経済政策の役割であること、そのようにして制度的に「リスク」が制御されているからこそ、「マネー」が供給されるのだという意味において、「リスクマネー供給」という言葉もおかしいのである、以上に尽きるわけであります。

規制緩和の真の意味

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この総括は、少し難解ですね。そこで、電気事業あたりを題材にして、わかりやすく解説してみましょう。

経済産業政策の問題として、規制緩和が大きな課題となるのは、今ですと、電気事業と農業です。事実、両方とも、今回の緊急経済対策でも言及されています。もっとも、前者は原子力政策との関連で、後者はTPPとの関連で、難しい政治判断が絡むので、緊急対策のなかで踏み込めるようなものではありません。しかし、例としては、両方とも非常にいいですね。

電気事業連合会加盟10社による電気事業の地域独占ですが、規制とは、このような参入制限であり既存業者の保護行政であると一般に理解されています。規制緩和論というのは、規制が産業の革新と成長の障害になっており、規制に起因する非効率が利用者の利益も損なっているので、規制緩和によって保護行政を止めて新規事業者の参入を促し、競争原理によって電気事業の革新と再構築を図ることが必要だ、というものでしょう。

こうして規制緩和もしくは自由化といわれる施策が断行されれば、自然に民間投資を喚起するのだから「呼び水」は不要、というのが規制緩和論者の主張であり、こういう人たちが、「官民ファンド」にも否定的見解を述べているのだと思われます。

しかしながら、全くの無規制、完全な事業者の自由など現実にはあり得ないことで、程度の差こそあれ、どこにでも何らかの規制はあるのです。規制の強さの程度は、安定確実な供給の必要性の強さの程度に比例しているはずです。少なくとも規制を正当化する論理としては、そうでなければなりません。電気の安定供給は絶対的な必要性に裏打ちされているので、電気事業は高度に規制されているのです。農業の諸規制も、独立自営農を保護することで、食糧政策的に、供給能力を確保しているだけです。少なくとも、建前としては。

規制緩和の必要性というのは、社会構造の変化によって、供給能力を確保する必要性も変化しているのに、保護のもとで既得権益を確保している供給業者の抵抗によって、変革が阻止されているようなときに、叫ばれるのです。しかも、多くの場合、抵抗勢力は政治的にも有力である場合が多く、難しい社会的摩擦を起こすわけです。ですから、規制緩和というのが、革新の象徴のようにいわれるのです。

しかし、正確にいえば、規制緩和なのではなく、また保護行政の撤廃でもなく、規制と保護の対象を、社会構造や政策課題の変化に対応して、修正していくだけのことです。事実、電気事業についていえば、「再生可能エネルギー法」は、再生可能エネルギー事業への新規参入者に対する保護行政でなくて、一体何なのでしょうか。

金融の論理と規制の意味

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「再生可能エネルギー法」は、まさに、再生可能エネルギー事業者による民間設備投資を誘発する仕組みです。しかも、ここが議論の中核なのですが、事業者が設備投資をするためには、投資資金の調達ができないといけないわけで、「再生可能エネルギー法」は、事業者の資金調達を容易にするための法律として構成されているのです。

つまり、再生可能エネルギー事業者は保護されている。保護されているから、金融の論理として、資金を供給し易いのです。もっとはっきりいえば、資金調達は銀行から借りるのが一番てっとり早いのですが、銀行の論理として、規制で保護されているものには貸しやすいわけです。当然ですね。

つまり、銀行としては「リスク」が小さいから「マネー」を供給し易いのですね。その「リスク」を小さくする仕組みが規制であるわけです。もっとも、規制という表現は嫌ですから、社会制度の設計といいたいところです。つまり、電気事業を変えたいなら、新しい制度を政府が設計すればいい。設計がきちんとできていれば、「リスク」は十分に予見可能性の範囲内に制御される、逆にいえば、「リスク」を制御できるように制度設計するということですが、そうなれば、金融界から産業界へ資金が流れ、産業界は、その資金を使って、新制度が生み出す新たな事業機会に対して積極的な設備投資を行う。これが本当の経済産業政策による民間投資の喚起ということです。

危機対策としての効果

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このようにいうと、やっぱり、政府の「呼び水」としての「官民ファンド」に反対であると聞こえそうです。確かに、原理的には、「官民ファンド」に反対です。しかし、危機というのは、あるいは非常時というのは、原理を踏み越えるべき状況のことだとしたら、今こそ原理を超えて、「官民ファンド」をやったらいいでしょう。

大方の理解というのは、おそらくは政府内部の大方の見解も含めて、民間産業界ではとれない「リスク」というものがあって、その「リスク」を率先して政府が負担することをもって「官民ファンド」の機能としているのだと思います。実際、「リスクマネー供給」という表現では、そのように理解するのが自然です。しかし、これは大変に誤った考え方です。

これですと、「官民ファンド」批判者のいう通りで、税金を溝に捨てるようなものですし、金融規律の弛緩を招く可能性も高くて、弊害が大きいでしょう。ばら撒き行政的な経済効果しか期待できない。東京都による新銀行東京の惨めな失敗を繰り返すだけです。

そうではなくて、むしろ「呼び水」という表現にこそ着目すべきです。危機というのは内在的に自律回復ができない状況であって、だからこそ、外部からの刺激としての「呼び水」がいるのです。「呼び水」を契機として動態力学的に構造の変革が起きれば、後は自律的に回復に向かいます。そのような真の「呼び水」として「官民ファンド」が機能すること、それが必要なのです。

お役所仕事との批判は無責任

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要は、「官民ファンド」という器の問題ではなくて、器に盛る内容ですから、担当者の能力に依存することは間違いないでしょう。これは当然です。そもそもが、お金がないのだから、人の知恵で不足を補わなくては。弊社の社是に「人+産業金融=成長」とあるのは、この意味です。

では、お役所仕事で大丈夫かとの批判があるでしょう。しかし、お役所のやることに、最初から所詮は役所仕事と決めつけて、識者ぶって評論するのは、国民として無責任ではないでしょうか。

官製ファンドの雄、産業革新機構だって、色々な意見があるでしょうが、例えば中小型ディスプレイの事業統合などは、日本の古典的大企業が自律的にできなかったことを実現させたもので、大きな革新を産業界にもたらして、成功しているではないですか。まさに変革の「呼び水」です。

今度は、似たような事例を純粋に民間の力でやり遂げるのです。それが国民の責務です。官がやることを批判するのではなく、事実として民にできなかったことをこそ猛省すべきなのです。やはり、日本の変革のためには、「呼び水」は必要だと思います。産業革新機構というのは、いい名前ですよ。もっともこれ、民主党政権の仕事なのですけれども。