成長の鍵は産業金融と企業年金の役割の復興だ

日本の高度経済成長の裏には、緻密に設計された産業金融の仕組みがありました。当時の代表的な企業年金制度である厚生年金基金も、その重要な一翼を担っていたのです。今では、その古い仕組みは破壊されてしまいましたが、それに替わる新たなる仕組みは生まれていません。優れた仕組みがあったからこそ日本は成長できた。今回は、日本の明るい未来のために、過去の成功に学ぼうという歴史論を展開しましょう。

「人+産業金融=成長」

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新たなる創造は、過去の否定からよりも過去の再評価から生まれるのではないのか。それが歴史を学ぶ意味だったのではないか。表面的なことや技術的なことにかかずらっているうちに、本質的なことは忘れられます。その時、原点の視座の回復が必要ですが、原点への回帰は、原点への回帰であるだけに一種の復古です。おそらくは、歴史とは、時間を通じて変わるものの研究ではなくて、時間を通じても変わらないものの発見の学なのでしょう。今、混迷の極にある日本で、崩壊の崖淵にたつ日本で、重苦しい停滞感に沈む日本で、明るい未来を考えるためには、明るい過去を考えることが一番いいのではないでしょうか。

私が大学を卒業したころは、ニクソンショック、オイルショックの後ですから、高度経済成長期の余韻を強く残していたとはいえ、もう既に経済成長率は鈍化していました。ここは、日本の重大な転換点だったのですが、周知のように、適切な時期に上手に構造改革はなされませんでした。その遅れがバブル経済を生み、以来、バブル経済の崩壊、その事後処理、エマージング諸国の追い上げ、異常な円高というふうに、既に20年をも超える日本の苦悩の時が始まるのです。その間に、高度経済成長期以来の古い仕組みの弊害ばかりが指摘されて、順次、旧来の制度は否定的に切り捨てられてきました。そうして、いつしか高度経済成長の仕組みの優れた点は忘れられてしまったようです。

表面的な制度の欠陥の是正を個々ばらばらに繰り返す間に、国策としての整合性は失われ、そもそもの歴史的経緯も忘れられました。まさに、新たなる成長戦略を欠いたまま、構造改革という名のもとでの無秩序な破壊が横行してきたのです。ですから、いま改めて、原点の成長戦略の仕組みを再確認しようということです。そのうえで、破壊の残骸の上に、新たなる成長の基盤を築いていかなくてはいけないのです。

成長の源泉は人の成長意欲です。これは経済の問題以前です。未来への希望がないところに、成長はあり得ませんし、働くことが成長につながるのでなければ、未来への希望もありません。企業は、将来の社会像のもとで事業を構想し、その実現へ向けて投資を行い、雇用を創造する。それが成長への投資です。投資には資金が必要です。その資金供給の仕組みが産業金融です。人の成長意欲が産業界の成長意欲を生み、あるいは逆に、産業界の成長意欲が、そのなかに働く人間の成長意欲を生み、それに対して適切な産業金融の仕組みが供給されて、初めて経済成長が起きる。「人+産業金融=成長」です。

企業年金の役割

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「人+産業金融=成長」のなかで重要な役割を演じていたのが、企業年金です。その代表的制度である単独連合型の厚生年金基金と適格年金は、企業の退職一時金制度から生まれました。現在では、これらの厚生年金基金のほぼ全ては、代行返上により確定給付企業年金基金に改組されており、適格年金のほうは、制度として廃止されて、確定給付企業年金基金等の他制度に移行するなり、消滅するなりしています。

退職金は給料の後払いです。後払いの仕組みが導入されたことには、企業の立場からみて、二つの理由がありました。一つは、給料の支払いを退職時まで繰り延べることで、資金負担を軽くしたのです。あるいは、従業員から借入をしていたともいえます。それほどに、経済成長期には、企業の資金が不足していたのです。

もう一つの理由は、長期勤続奨励です。退職金の設計は、通常は、勤続年数が長くなるにつれて、支給係数がよくなるようにしています。つまり、長く務めるほうが従業員に有利になるようにしているのです。この科学的な説明としては、勤続によって熟練が生じて生産性が高くなることを仮定していたものと思われます。熟練した生産性の高い従業員を失うことは、明らかに企業の損失と考えられたのです。

退職金は企業の債務です。そこで、その債務に対応した引当資産の形成を、企業外部に、税制優遇措置のもとで、行うことが考えられます。その器として作られたのが、適格年金であり、厚生年金基金です。政府は、税制優遇措置として、制度への拠出金の損金算入性を認め、積立資産の運用収益を非課税(適格年金には1%の特別別法人税がありました)としました。一方で、その優遇措置の見返りとして、退職一時金制度の年金化と、積立資産の管理の企業からの完全独立を義務つけました。これが、企業年金制度の始まりです。

年金化は、当然のこととして、公的年金の補完としての社会政策的意味から、政府が奨励したのです。その奨励策が、税制優遇措置です。実は、厚生年金基金にも、「代行メリット」といって、厚生年金本体の保険料率よりも企業側に有利になるような制度的工夫がなされていて、それも奨励策に使われていたのです。

企業の成長のためには、成長を担う人の確保と、資金の確保が必要でした。その二つの目的を実現したのが、退職金制度でした。それが、社会保障的側面も加味して、企業年金制度へ改組されたのです。また、企業年金の導入には、いうまでもなく、安定雇用と老後保障の充実により、消費を誘発する経済政策の意味も込められていたのです。そのような高度な政策的な設計がなされていたからこそ、日本の経済成長は実現できたのです。

経済成長を支えた高度な産業金融政策

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ところで、退職金を企業年金の形で積立てると、企業にとっては、掛金という資金負担がかかってしまいます。そこで、高度な金融政策の配慮がなされていました。企業年金資産の運用受託については、信託銀行と生命保険会社の完全独占が認められていたのです。これは、日本の高度経済成長を支えた当時の大蔵省の長短分離政策と金融機関保護政策の象徴のようなものだったのです。

経済成長には巨額な設備投資が必要でした。しかし、日本の資本の蓄積は、それを賄うには不十分でした。そこで、当時の政府は、銀行等の金融機関に多くの特権的地位を与えることで、零細な個人貯蓄の集積を図ります。それが銀行保護政策です。これは非常にうまくいって、当時の銀行は、経済成長の裏方として全面的に産業界を資金面で支援することができたのです。

しかし、預金を資金源とする銀行には、長期産業資本の供給能力に限界がありました。そこで政府は、銀行とは別に長期金融専門機関の育成を図ります。これが長短分離政策です。当時、長期金融機関とされたのは、長期信用銀行、信託銀行、生命保険会社、系統金融機関です。長期融資には長期の資金調達が適合しないといけません。そこで、これら長期金融機関には、特別な長期の調達方法が特権的に認められます。例えば、長期信用銀行には利付金融債の発行が認められ、信託銀行には貸付信託が認められたのです。

企業年金資産の信託銀行と生命保険会社による独占受託も、この長期金融機関育成策の一部でした。企業は掛金を企業年金制度へ拠出したのですが、その掛金全額が信託銀行と生命保険会社へ吸収され、そこから長期貸付や株式の取得等の形を通じて、再び産業界に長期設備投資資金として還流していました。このように、企業年金制度というのは、人と産業金融の両面から、日本の高度経済成長に重要な役割を演じていたのです。

こうして、高度に緻密に設計された資金循環の流れがあったからこそ、資産運用もうまくいっていたのです。それは、そうでしょうね。資産運用というよりも、広く金融とは、貯蓄が投資に振り替わり、投資の成果を貯蓄の拡大を生むという拡張型資金循環の仕組みであり、その拡張の仕組みが経済成長なのですから、資金循環がうまくいく限り、産業界の資金調達がうまくいき、産業界が成長し、そこに資金供給していた企業年金の資産運用もうまくいくのは、理の当然にすぎません。

無定見な破壊となった機を失した改革

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うまくいっていた仕組みではあるのですが、高度経済成長が終わるとともに、制度としての役割を終えます。というよりも、終えるべきだったのです。経済が成熟してくると、産業界の資金調達需要が減退してきて、逆に資本の蓄積は進行しているので、資金循環の流れは減速しますね。そこに、構造改革の必要性があったのです。

過小な資本蓄積に対して、過大な資金需要があったからこそ、政策的な資金循環の設計が必要であり、その設計がうまくいっていたからこそ、日本は成長できたのです。しかし、一定の成長を実現して成熟化した後は、そうした政策介入なしに、市場原理に基づく自律的な民間資金の需給調節機能を強化するような金融政策に転換すべきであったのです。事実、1980年以降、英国のサッチャー政権や、米国のレーガン政権は、その方向での大規模な金融制度改革を断行します。ところが、日本では、それがなされなかった。

全く不要なものとなっていた金融機関保護政策は、つい最近まで継続しました。企業年金の資産運用でも、信託銀行と生命保険会社の独占が崩れたのは、1990年からです。それも段階的な緩やかな規制緩和であって、本格的な資産運用の自由化は、1997年以降の金融危機のときまでなされませんでした。しかも、この規制緩和は、企業年金の危機といわれた状況下で、自己責任原則という名のもと、事実上の政府責任の放棄という形でなされたにすぎません。著しく時機を失したなかで、著しく無定見で破壊的なことが、構造改革の名のもとに強行されたということです。

資本蓄積がないなかで短期間に経済成長を実現するための資金循環を設計する政策は不要になっても、成熟経済として安定的に成長を持続させるための新たなる資金循環の設計が必要であったのに、それがなされないままに旧制度の破壊だけが行われたのです。

英国や米国では、新たなる金融制度して資本市場を中核にしたものを構想し、1980年以降実行します。その延長に銀行機能の再定義が行われ、それが今の銀行の世界共通の資本規制に反映しているのです。日本では、そのような本質的な改革は行われることなく、旧来の銀行のあり方を維持したままで、表面的には世界共通の資本規制を導入している。これでは、うまくいくわけもない。

しかも、英国や米国では、厳しい企業年金の資産管理体制が確立し、また富裕層や財団等も巨額な資産を形成しているので、資本市場を支える基盤もできている。ところが日本では、まともな長期資金は企業年金しかないのに、その企業年金の基盤を政府自身が破壊しようとしている。

これほどに出鱈目の政治が行われたら、いかに日本に成長余力があろうとも、成長できるわけもない。結果として、超低金利で資産運用の収益率が低くなる。その資産運用収益率が低いことを厚生年金基金廃止の論拠とする政策は、あまりにも出鱈目すぎて呆れるばかりです。

こうなれば、日本の現状に即した日本固有の新たなる資金循環を構想するしかない。その課題は、高度経済成長期の金融産業政策と、内容は全く異なっても、理念は同じでしょう。企業年金資産等の老後生活資金の蓄積を産業界の持続的成長のために還流させる民間資金循環の枠組みを、政府責任において(政府責任放棄もしくは民間への丸投げではなくて)、構築することです。その構想に、日本の明るい未来はかかっています。