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東京電力の「再生への経営方針」にみる政府の欺瞞

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長
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東京電力は、11月7日に、「再生への経営方針」を公表しました。そこには、「事故の責任を全うし、世界最高水準の安全確保と競争の下での安定供給をやり抜く」との決意もありますが、総じて経営の危機的状況を訴える色彩が強く漂っています。もはや、東京電力は実質的に完全に破綻しているのです。

実のところ、東京電力は破綻してもいいのです。原子力損害の補償が完全に履行され、福島第一原子力発電所の事故収束と廃炉が安全に行われ、東京電力管内の電気の安定供給体制が完全に維持されてさえいれば、東京電力がどうなろうともいいのです。本当はそうなのですが、その損害補償、事故収束と廃炉、安定供給という三つの課題の完全履行のために、政府は面倒な工夫をしてまで東京電力の破綻を回避してきたのです。その東京電力の存続が改めて危機に瀕しているというのは、どういうことでしょうか。

東京電力国有化以前から明白だった政府支援計画の杜撰さ

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私は、法律の正義と社会的公正のもと、東京電力を民間の独立企業として存続させ、損害補償、事故収束と廃炉、安定供給の三つの社会的使命を全うせしめるべきことを一貫して主張してきました。政府が東京電力を国有化したことは、違法であり無法であると思っています。百歩譲って、国有企業ではあっても一応は東京電力の存続が守られたことを評価したとしても、存続自体が危機に瀕するなどは、あり得ないことだと考えています。

東京電力が企業として存立するということは、東京電力の債権者などの利害関係者の利益が法律の規定により守られるということです。現状、株主や従業員等については、本当に法律的な権利が完全に守られているかどうか、疑問の余地が大きいのですが、それでも、債権者等の基本的権利は守られています。存続自体が危機に瀕するということが、一つの可能性として、利害関係者の新たなる損失を意味するのならば、それは断じてあるまじきことです。

しかしながら、究極の議論としては、損害補償、事故収束と廃炉、安定供給という三つの重大な社会的使命が全うされる限り、そして利害関係者の利益が最低限守られる限り、東京電力が存続できるかどうかは小さな問題にすぎないのでしょう。仮に私の主張のように東京電力を民間企業として存続させたとしても、東京電力が旧来の形のままで存続することはあり得ないことで、原型をとどめないほどに変貌を遂げざるを得ないのですから、その意味でも、今の形の東京電力が存続できるかどうかは、全くどうでもいいことです。

私が問題としたいのは、東京電力の国有化から僅か数か月しかたたない時点で、「当社のみでは力の及ばない規模の財務リスク」に押し潰されそうな状態が生じていることです。こうなることは国有化の時点で明瞭であったのに間違いありません。この短期間には何一つとして予想外の重大な影響のある事態など起きていないのですから。

要は、政府による東京電力に対する原子力損害賠償支援の枠組みは、最初から財務的に破綻していたのです。実行不可能な計画のもとで東京電力を強引に国有化し、その実行不可能であることの表明を国有化後の東京電力にさせるという政府のやり方は、いかがなものでしょうか。

国有企業の東京電力が、政府に対して、「現行の賠償機構法の枠組みによる対応可能額を上回る巨額の財務リスクや廃炉費用の扱いについて、国による新たな支援の枠組みを早急に検討することを要請する」というのは、いかにもおかしい。そもそもが、支援の枠組みが本格的に始動してから僅か数か月後に、「国による新たな支援の枠組み」を求めるなどということは、当初の計画がいかに杜撰で出鱈目であるかを証明するものといわざるを得ません。

東京電力の責任の有限化は本来の法律の趣旨

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東京電力の主張というのは、東京電力自身による「再生への経営方針」であるにもかかわらず、東京電力だけの力では再生が不可能であるというものであり、ゆえに「一企業一業界の負担限度を超える費用についての新たな支援措置」を求めるというものです。実際に、「再生への経営方針」は、この新たなる支援措置を「前提」にしたものなのです。

要は、東京電力の能力限界を超えた部分を政府負担にしてほしいという東京電力の要求なのです。東京電力の要求なのですが、国有企業の東京電力が政府に対して行う要求は政府内部の自作自演の茶番劇です。要は、東京電力の要求ではなくて、政府の方針なのです。政府自身が、ころころと方針転換を発表できないので、東京電力からの要請という形にして発表しただけでしょう。

私の一貫した主張は、政府の責任が主で東京電力の責任は従であるべきだというものです。それに対して、政府は、逆に一貫して東京電力に第一義的な責任があると主張し、実際にその趣旨に従って東京電力の処理を行ってきました。ところが、政府は、今になって、東京電力の責任範囲に上限を設けようとしています。結局これは、政府の無限責任を認めて東京電力の責任を有限化するものですから、政府責任を主とした枠組みに転換するということです。今更そうするなら最初からそうしておけと私は強くいいたい気持ちです。

東京電力は、「5月策定の「総合特別事業計画」では前提とされていない事業環境の変化が生じている」としていて、それを支援の枠組みの変更を求める理由としています。しかし、そのような「事業環境の変化」というのは、「電力市場の完全自由化」と「原発再稼働の見通しについて不透明感が強まっている」ことの二つの事態を指しているのです。ともに、政府自身が引き起こした問題です。しかも、これらの政策の揺らぎは、国有化後に唐突に表れたことではなくて、そもそも、電気事業改革などは、政府にとっては、東京電力国有化の隠れた目的ですらあったのです。「前提とされていない事業環境の変化」などないのであって、全ては最初から前提とされていたことです。

結論としては、政府が電気事業の自由化を推進するならば、東京電力としては、損害補償と事故収束・廃炉についての政府の全面的支援がない限り、電気の安定供給を全うできないということです。ところが、電気事業の自由化と原子力政策の見直しは、政府の既定路線ですから、変えようがない。おそらくは、民主党政権が終わっても、次の政権に大筋では引き継がれると思われます。

「企業体力(資金不足、人材流出)は急速に劣化」という状況のもとでは、東京電力は自由化と原子力政策の見直しに対応し得ない。そこで、二つの選択肢しかない。ひとつが、東京電力を公営化して自由化の枠組みからはずす。ふたつが、東京電力が民間企業として自由化と競争に対応できるように、損害補償と事故収束・廃炉について、東京電力の負担能力を超える部分を政府へ移転する。東京電力(および政府)は後者の提言をしているということです。

政府の巧みな言論操作と欺瞞

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このような結論は当初から自明であったはずです。なぜ、今なのか。ここが非常に重大な問題であると私は思います。要は、政府は、ほとぼりが冷めてきて、世論の強い批判を受けなくなってきた時期を狙ったのです。

従来の世論の傾向では厚かましいとも糾弾されかねない東京電力の要求ですが、奇怪至極なことに世論の批判は全くない。素通りですね。最初から自明のことを今更に確認しただけのことで、他にどうしようもないことですから、反論も起きないのでしょうね。政局の緊迫した時期ではありますが、この案件は、誰がやっても答えは同じなので、政争の論点にもならない。そういう状況認識も東京電力と政府にはあるのでしょう。要は、どさくさ紛れですね。

東京電力悪者論のもとでは提言し得ない内容を今になって行うのは、東京電力悪者論が下火になっているからですが、その東京電力悪者論を演出したのは政府自身です。さてさて、これは飛んでもない世論操作ではないでしょうか。あるいは恐るべき欺瞞ではないでしょうか。

政府責任を回避して東京電力に全責任を負わせるために、東京電力悪者論を振りまいて強引な法解釈のもとに東京電力を国有化して徹底的に弱体化させ、東京電力悪者論が下火になったところで、今度は弱り切った東京電力救済という形で政府責任を間接的に認める。これが、政府のやり口です。

結果的には、私が一貫して主張してきたように、政府責任が主で東京電力の責任が従という構成に落ち着くのですが、これは当然といえば当然です。いかに出鱈目な方法をとろうとも、最終的には、なるようにしかならないわけで、最初から自明な解に落ち着かざるを得ないのです。それはいいのですが、では、正当な結果に至る手続きはどうでもいいのか。やはり、不正な手続きは結果の正当性を否定します。それが法治国家の民主主義の基本原理なのです。

国民感情を煽情的に誘導して強引に既成事実を形成しつつ政策を進めるのは、戦前のファシズムの手法と全く同じであって、著しく危険なことです。私は民主主義の危機ともいえる政府の手法を批判してきたのです。今改めて今回の東京電力の発表が全く世論に無視されている事態を見て、危機感を一段と強くしています。ああ、言論界の批判精神はどこにいったのか。

既成事実のなかで失われた権利の補償

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ところで、今回の政府の方針転換によって、これまでの不当な政府の手法によって不当な損害を受けた人の権利は補償されるのかという問題があります。もちろん、政府には、そのような考えは全くないでしょう。それに、民主主義の原理は、国民が自身の権利を守るように行動することが基本ですから、不当な扱いを甘んじても受忍してきた人の権利は、ここまで既成事実が形成されてしまった後では、回復しようがないのではないでしょうか。

具体的な被害者というのは、株主と不当な報酬削減を受けた従業員でしょうが、これまで、両者とも何等の行動をとっていないのですから、もうどうしようもないのかもしれません。今からでも遅くないかもしれませんが、いずれにしても、被害者自身が行動しなければどうしようもない。

むしろ、株主にしても、従業員にしても、追加的な負担を受けるかもしれません。現状では、政府が具体的に新たなる支援の枠組みとして何を行うかわからないわけで、政府のやり方によっては、新たなる東京電力の利害関係者の負担というのもあり得るのではないでしょうか。要注意ですね。

実際、東京電力の株価は動きませんでした。方向としては、政府責任が重くなるのは間違いないですから、株価が上がってもよかったのですが、そうならないのは余りにも不確実性が大きいからでしょう。要は、誰も政府のことを信用していないのですね。困ったことです。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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