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「『広島は国とは違うんだ』と平和宣言で示せ」95歳の元広島市長が振り返るG7サミット

宮崎園子フリーランス記者
平和記念公園の周囲に設置されたフェンスの隙間からのぞいた原爆ドーム(筆者撮影)

G7サミット(主要7カ国首脳会議)が広島で開かれ、「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン(広島ビジョン)」が発出されてから19日で1カ月。《我々の安全保障政策は、核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、並びに戦争及び威圧を防止すべきとの理解に基づいている》として核抑止力を肯定した内容に、原爆の惨禍を体験した被爆者を先頭に「核兵器のない世界」を訴えてきた多くの広島・長崎の市民からは落胆や失望の声が上がった。G7サミットを経て見える「被爆地」広島の現在地とは。中国新聞記者として長く被爆者報道に携わり、戦後50年の大きな節目となった1995年前後の2期8年、広島市長を務めた平岡敬さん(95)に思いを聞いた。

ひらおか・たかし 1927年、大阪市生まれ。大阪、朝鮮半島、広島で育ち、京城(現在のソウル)帝国大学在学中に終戦を迎える。52年、中国新聞社に入社。編集委員、編集局長などを経て、中国放送(RCC)社長に。91年から2期8年、広島市長を務めた。著書に「偏見と差別」(未来社)、「無援の海峡―ヒロシマの声、被爆朝鮮人の声」(影書房)、「希望のヒロシマ」(岩波新書)など。

ーー広島ビジョンは、原爆犠牲者や被爆者の思いを反映していると考えますか

広島ビジョンの発表は5月19日、首脳たちが原爆資料館を訪問したその日です。外務省あるいは外相会議で大体骨子ができていて、それを外務省が一生懸命作ったんだと思いますが、被爆者の思いが反映されているとは思えません。

首脳が資料館に行って、一人の被爆者の話を聞いた、それだけです。10分やそこらじゃとても聞ける話じゃない。時間をかけてじっくりとその人の人生の体験を聞く姿勢がないと、体験を聞いたことにならない。上っ面で10分や20分話を聞いたというのでは不十分です。

G7広島サミット開幕の2日前、広島市内であったイベントで発言した平岡敬さん(筆者撮影)
G7広島サミット開幕の2日前、広島市内であったイベントで発言した平岡敬さん(筆者撮影)

ーー広島ビジョンの内容を、どのように受け止めていますか

広島の原点は、核兵器廃絶と世界平和。核兵器廃絶というのは、核兵器をなくすこと。そして平和というのは、戦争に反対するということ。広島は核抑止論、つまり核の存在に反対しているんです。

ところが、広島ビジョンは核抑止論を肯定している。核抑止を認めている。これは広島の思いとはまったく違います。広島の名を冠して核兵器を認める声明が出されたことについて、わたしは大変怒っております。世界の人から「広島は一体何を考えてるんだ」と思われても仕方がないし、今後、広島が出していくさまざまな平和のメッセージの信用性も失われる。

広島ビジョンは、核兵器禁止条約についてまったく触れてない。2021年に発効した核兵器禁止条約は、122の国の賛成によって国連で採択されたもの、つまり世界の大多数の人々が求めた条約です。前文に「ヒバクシャ」との文言があり、広島・長崎の被爆者の訴えを色濃く反映している。なのに、広島ビジョンはその条約に触れてない。日本政府が条約に背を向けているからです。

そのことからもわかるように、残念ながら広島ビジョンは、国家の論理に絡めとられた理論構成になっている。国家の論理を乗り越え、地球市民、世界市民の感覚で訴えてきた広島は、これを否定していかなければなりません。

原爆ドームがある平和記念公園の周囲には目隠しのフェンスが設置された(筆者撮影)
原爆ドームがある平和記念公園の周囲には目隠しのフェンスが設置された(筆者撮影)

ーーサミットの会場にもなった平和記念公園では、今年も8月6日の広島原爆の日に平和記念式典が開かれ、広島市長が「平和宣言」をする予定です。G7サミットを受け、今年の平和宣言はどのような内容になりますか

仮にわたしが平和宣言を書くならば、広島の立場で広島ビジョンを否定する。

核抑止論を肯定することを、広島としては絶対認められない、と。核の傘の問題もあって、国家の論理で核抑止論と言うが、広島はそれを否定してきたんです。したがって平和宣言は、少なくとも広島ビジョンを否定していくという論理構成で作らなければなりません。

ロシアのウクライナ侵攻が続く中で開かれたサミットでは本来、平和への道筋、少なくともその端緒を議論すべきでしたが、まったくせずにロシア非難一色になった。サミットが世界を分断したことと、核抑止論を肯定したことについては、少なくとも広島は完全に否定していくべきだと思います。それに触れなかったら、平和宣言の意味がない。広島は国とは違う、わたしたち広島は、人類的立場で訴えてるんだ、と強調すべきだと思う。

各国の首脳が広島へ来て、どこまでかはわかりませんけど、少なくとも被爆の実相に触れたとすれば、それはいいことです。我々が注意していかなければならないのは、これから各国首脳がどのような核政策を展開していくか、それに広島のサミットがどう影響を与えたかどうか、です。彼らが何を感じて、これから自分たちの国へ帰って、核政策なりその他の政策にどう反映させるか。個人の感性なり、歴史観、世界観が問われると思います。

バイデン米大統領が広島入りした5月18日夕、原爆ドーム近くを走る大統領専用車。厳重な警備の中、40台ぐらいの車列が通り過ぎていった(筆者撮影)
バイデン米大統領が広島入りした5月18日夕、原爆ドーム近くを走る大統領専用車。厳重な警備の中、40台ぐらいの車列が通り過ぎていった(筆者撮影)

ーー広島市は昨年に引き続き、ロシアを平和記念式典に招かない方針を明らかにしました。これについてどう思いますか

わたしは間違っていると思う。国家の論理を越え、あらゆる国と仲良くしていく、それが広島が訴える国際平和なんですね。しかし、広島サミットは結論として、ロシアを敵視してしまった。広島がその流れに乗るのは間違いだと思う。

国と地方自治体の間で意見や立場は違っていいし、違うべきです。国ではなくて民衆の声が国際政治を動かしていく。そういう時代になっているからこそ、核兵器禁止条約はできた。そういう意味では、広島がもっと「国とは違うんだ」「我々は本当の意味での地球市民の立場で平和を訴えているんだ」と平和宣言では謳いたい。

地方自治体はいろんな意味で国の制約下にあります。だけど、少なくとも平和や核兵器廃絶に関しては、国と違った意見を今でも言ってきている。例えば、基地の問題で沖縄は国の方針に逆らっている。首長は当然民衆の声、あるいは地域住民の声を反映した発言をするべきです。広島市民の中には批判する声が多かったし、被爆者の中には「失望した」という声も多かった。そういう声を受けて、平和宣言は作られるべきだと思います。

広島市中心部を東西に貫く平和大通りはサミット期間中、断続的に通行止めが続いた(2023年5月19日、筆者撮影)
広島市中心部を東西に貫く平和大通りはサミット期間中、断続的に通行止めが続いた(2023年5月19日、筆者撮影)

ーー広島サミットを経て、今後「平和都市・広島」は、世界の中でどういう立ち位置になっていくでしょうか

今までは被爆体験を踏まえて、平和を訴えていくのにそれなりに説得力があったが、今後その説得力を失う。平和を願う世界の人々の失望を買い、力を失っていく。そのことが一番心配です。原爆の犠牲になった多くの人たちの無念の思いを、生き残った我々が踏みにじっていいのでしょうか。

彼らの無念の思いを、何とかして平和へ向けて昇華させていくというのが、ヒロシマの思想であり、それが否定されるのは非常に残念です。生き残った者が勝手に核兵器を認めるというようなことをしてはいけない。核兵器によって殺された無念さを、平和への力にして戦後の広島を作ってきた、その努力を無にしてしまってはいけません。

インタビューに答える平岡敬さん(筆者撮影)
インタビューに答える平岡敬さん(筆者撮影)

ーー平岡さんは新聞記者時代、被爆者問題を長く取材してきました。原爆犠牲者や今はなき被爆者たちのどういう声が、平岡さんに聞こえますか

わたしが原爆の問題の取材を始めた1960年代のころは、20、30、40代の働き盛りで被爆して人生が狂わされた人たちが多かった。そういう人たちは、国から見捨てられたことについて強い怒りを持ってました。わたし自身、朝鮮半島からの引揚者で、終戦のときは現在の北朝鮮で動員学徒でした。国から見捨てられたというわたしの思いが、被爆者の思いと重なった。被爆者への共感が、ずっとわたしを支えてきました。

ただ、最近の被爆者の発言を聞いていると、ちょっといい子になりすぎているように思います。「平和」「核兵器反対」を繰り返すが、そこに怒りはない。今の被爆者たちは、ほとんど幼少期に被爆しているので無理もないです。それぞれの被爆体験はそれぞれ非常に大事ですが、わたしが記者として最初に接した、自分の人生が狂わされた無念、それに対して国は何もしてくれなかったという怒りを、今は感じにくい。「怒るなんて平和主義的ではない」という批判すらあります。

例えば、広島ビジョンでは核の平和利用を言っているが、「ヒバクシャ」は、広島・長崎だけじゃなくて、福島の被曝者たちもいる。この問題についても、広島はきちっと言わなきゃいけない。原爆だけではなく、核兵器の製造過程で被曝した人たちや原発事故の被害者など、世界にはたくさんの「ヒバクシャ」がいます。これが核時代の現実。広島・長崎の被爆者自身が、自らの被爆体験をベースに、世界に向かって平和を訴えていくと同時に、そういう人たちへの連帯をこれからもっと強めて声を発し、世界に広げていかなければいけない。

国内外から多くの人たちが訪れる平和記念公園(筆者撮影)
国内外から多くの人たちが訪れる平和記念公園(筆者撮影)

「8月6日」や「8月9日」だけではない。その後もずっと生きてきた人生の軌跡、その中で核兵器の影響がどれぐらいあったのかも含めて「被爆体験」としてとらえることが大事だ。8月6日の阿鼻叫喚を語るだけではなく、その後の社会の矛盾を一つひとつ解決していくのが、生き残った人間の使命だと思います。

ーーG7サミットでのパフォーマンスも踏まえ、「被爆地広島出身」を自称する岸田首相をどう評価しますか

岸田首相は、広島の声を体現していない。広島の考えは、核兵器廃絶と世界平和、つまり戦争反対なんですね。ところが、彼は戦争に反対していない。

彼はサミットの前に(ウクライナの)ゼレンスキー大統領に会いに行き、必勝しゃもじを贈った。お笑いですよ。必勝しゃもじは、高校野球の応援などに使う「勝て、勝て」という品物だが、それを戦争当事国一方へ持っていくということは、戦争を応援したということです。日本は戦争を否定してるんですよ。憲法が第一、そうですからね。そういうことが全然わかってない。核兵器のことも本当に考えているのでしょうか。

2022年8月6日の広島平和記念式典であいさつをする岸田文雄首相を映し出す会場内のモニター(筆者撮影)
2022年8月6日の広島平和記念式典であいさつをする岸田文雄首相を映し出す会場内のモニター(筆者撮影)

「核なき世界を作る、それが自分のライフワークだ」と言っているが、後から取って付けたような話で具体的なものは何もない。本気で考えているとは思えません。本当に核をなくそうと考えているなら、必勝しゃもじなんか持っていくはずがない。戦争を止めようと言うはずだ。本来広島でサミットをやるならば、議長として、停戦の糸口をみんなで考えよう、とリードしていくべきでした。

ところが彼は「被爆地広島」を利用した。自分の政治的な名声なり支持率回復を図ったと思わざるを得ない。本気で核兵器廃絶を言うなら、広島ビジョンはああいう文言にならなかった。核抑止論を認めて一方で核廃絶を語るというのは、市民として許せません。

フリーランス記者

銀行員2年、全国紙記者19年を経て、2021年からフリーランスの取材者・執筆者。広島在住。生まれは広島。育ちは香港、アメリカ、東京など。地方都市での子育てを楽しみながら日々暮らしています。「氷河期世代」ど真ん中。

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