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井岡一翔の次期挑戦者に有力な“ケンカ野郎”ラミレスはどれだけ強いのか?

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
右強打を打ち込むラミレス(写真:Chis Estrada/GBP)

フルトンとも手合わせ

 4階級制覇王者でWBA世界スーパーフライ級王者井岡一翔(志成)の挑戦者決定戦が10月7日、ラスベガスのザ・コスモポリタンで行われる運びになった。カードはWBA2位ジョン“スクラッピー”ラミレス(米)vs.同7位ロナル・バティスタ(パナマ)。イベントはゴールデンボーイ・プロモーションズ(GBP)が主催する(現在1位は空位)。

 米国西海岸ロサンゼルスで台頭中のラミレス(12勝9KO無敗)がバティスタ(15勝9KO3敗)を取りこぼす可能性はほとんどないと思われる。WBAは10ヵ月前からラミレスと当時上位を占めていたシリチャイ・タイイェン(タイ。リングネーム=ヨドモンコン・ウォーセーンテップ)との決定戦をオーダーしていた。しかし交渉は進展せず時が流れていた。WBA本部国が抜擢したバティスタ(26歳)は5月、WBC世界フライ級王者フリオ・セサール・マルティネス(メキシコ)に挑み11回TKO負けした選手。復帰戦でいきなりまた強敵を迎えることもパナマ人が旗色が悪い理由だ。

 今回は自身で“エンターテイナー”と広言するプロスペクト、ラミレスを紹介してみたい。彼は4階級制覇王者でWBC・WBO世界スーパーバンタム級統一王者井上尚弥(大橋)の挑戦を受けたスティーブン・フルトン(米)とも熱いスパーリングを行っている。ちなみにニックネームの“スクラッピー”にはクズという語意のほかに「ケンカ好きな」という意味がある。ボクサーはハングリーな生い立ちの者が多いが、ラミレスも例外ではない。

米軍入隊を拒否された過去

 フルネーム、ジョン・スティーブ・ラミレスは1995年8月28日ロサンゼルス生まれの28歳。父母が別居生活をしていたせいで幼年期のラミレスは2人の間を行ったり来たりする暮らしを送った。8歳の時、父の母国、中米ホンジュラスへ父と移住。「環境も文化も全く違う。でも最高の経験をした」と回想するラミレスは裸足でストリートサッカーに興じる日々を過ごす。

 12歳でロサンゼルスに戻り、母と暮らすようになる。場所はメキシコ系を中心にラテン系住民が主流のサウス・セントラル地区。父親が不在の家庭でラミレスは「男として毅然とした態度を執ることを学んだ」と振り返る。自立する精神を身につけたラミレスだが、まだボクシングとの接点はない。しかも英語はまだ喋れなかった。ハイスクール時代はサッカーをプレーしながら過ごし、大学に入学したものの1年で中退。ここで軍隊に志願。しかし体に入れたタトゥーが災いし、4つの米軍基地から入隊を拒否される。

 失意の彼が出会ったのがボクシングだった。グローブを握った理由は「世界チャンピオンになれる予感がしたんだ」とラミレス。すでに20歳になっていたが、一旦決意すると上達は早く、南カリフォルニア・ゴールデングローブ大会で優勝する。周囲のサポートにも恵まれた。ハリウッドでワイルドカードジムを運営する名将フレディ・ローチ・トレーナーが無料で指導を引き受け、アマチュア時代、遠征費などを負担してくれたのだ。

一撃KO劇で知名度がアップ

 アマチュアでは大成することはなかったが元々プロ志向だったラミレスは20年12月、テキサス州でプロデビューする。元WBO・S・ミドル級王者ヒルベルト“スルド”ラミレス(メキシコ)がメインイベントを務めるカードの一つだった。その後メキシコで4試合行うなど力を蓄えたラミレスは“兄貴”と慕う“スルド”・ラミレスを受け持ち、ノースハリウッドの「ブリックハウス・ボクシング・クラブ」を拠点に活動するアジア系のジュリアン・チュア・トレーナーに師事。キャリア進行に拍車がかかる。

 ラミレスが知名度を広げるきっかけとなったのは22年5月、カリフォルニア州オンタリオで行ったWBA傘下のNABA(北米ボクシング協会)スーパーフライ級王座決定戦。相手のジャン・サルバティエラ(メキシコ)を右一撃でリング外に撃ち落とす衝撃のKO勝利。昨年の「ノックアウト・オブ・ジ・イヤー」(年間最高KO賞)の候補になった。

 最大の武器はその右強打で、回転の速いコンビネーションブローが売り物。時おり見せるショーマンシップはファン数の拡大につながっている。ランキング2位は「評価され過ぎ」という声もあるが、短期間で身につけた自己流のスタイルと正統派の技術がミックスされ、出世街道をまっしぐらの印象が漂う。

ジョン”スクラッピー”ラミレスの横顔と試合ぶり

黒人と間違えられる能力

 「スクラッピーは世界チャンピオンになるすべてのツールを持っていると私は信じている。確かに彼は自信家だけど、スキルの進化に常に貪欲な姿勢で取り組み、吸収力には目を見張る。加えて彼はリングで何事もできるマルチタレントの持ち主だ」

 チュア・トレーナーは愛弟子をこう称える。同氏も指摘するように、細部ではまだ発展途上の部分もある。井岡と対峙する場合、ビッグマッチの経験や駆け引きに関しては向上の余地が多く残されている。それでも「ブラック・アメリカンと間違えられる」と本人が語るアスリート能力の高さ、スピードとパワーはファンを虜にして止まない。

チームと勝利ポーズ。右隣がチュア・トレーナー(写真:GBP)
チームと勝利ポーズ。右隣がチュア・トレーナー(写真:GBP)

中谷ともガチンコ・スパー

 一つ気がかりなのは衝撃のKO劇の後、今年になって行った2試合は、いずれも判定決着だったこと。ラミレスもそれを十分承知で「(観衆の主流を占める)メキシカンファンをエキサイトさせることができなかった。私がノックアウト勝ちできないと彼らはあからさまに不満を表す。もしアウトボクシングに徹するとブーイングの嵐が巻き起こる。ディフェンスを無視して相手と打ち合うと、『お前はディフェンスの強化が急務だ』と非難を浴びる。私はいったいどうしたらいいんだ。でもファンが私をどんな目で見ているか、よ~くわかるよ」と明かす。

 それだけ周囲の期待が大きいという証拠に思える。ロサンゼルスでは5月にスペクタクルなKO劇で挑戦者アンドリュー・マロニー(豪州)を轟沈して世界中からスポットライトを浴びたWBO世界スーパーフライ王者中谷潤人(M.T)ともスパーリングを行った。井岡にとって最強の刺客になるであろうラミレスがアメリカンドリームを成就する日はやって来るだろうか。まずはバティスタ戦のパフォーマンスと結果に注目だ。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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