Yahoo!ニュース

井上尚弥の「感情論」を辰吉ウォッチャーはどう描くだろう。名筆・佐瀬稔さんとの思い出

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
96年、アラニスとラスベガスで対戦した辰吉(写真:アフロ)

井上は即ラスベガス入りか

 4月25日ラスベガスのマンダレイベイ・イベントセンターのリングに立つWBA“スーパー”・IBF統一バンタム級王者井上尚弥(大橋)。WBO王者ジョンリール・カシメロ(フィリピン)との3冠統一戦は新型コロナウイルスのまん延で戦々恐々。井上と契約した米国のプロモーター、トップランク社は井上が米国入国ビザを取得次第、彼と家族をラスベガスへ呼び寄せるとアナウンス。今後の状況ではイベントは無観客試合、最悪の場合は延期になる可能性もある。それでも関係者は実現へ向け全力で取り組んでいる。

辰吉ウォッチャー

 井上vsカシメロが行われるラスベガスは「ボクシングの首都」と呼ばれる。ビッグファイトが開催される頻度が高いからだが、普段、興行がたくさん挙行されるわけではない。私にとってラスベガスといえばカジノに入って聞こえる「ジャー、ジャー」というスロットマシンの音が第一印象だった。また車社会のアメリカでは道を歩いている人は少ないがラスベガスは各地から人が集まってくるせいかメインストリートでは人がゾロゾロとたくさんいる。アメリカで日本や東京を連想させるのがラスベガスという町だ。

 ラスベガスでリングに立った日本の選手は何人もいるし、WBC世界スーパーバンタム級王者だった西岡利晃は防衛も成功させている。また同じ帝拳ジム所属の葛西裕一は世界王座獲得こそならなかったが5度ラスベガスで試合を行っている。そして“浪速のジョー”辰吉丈一郎は米国初戦をハワイで行った後、3度ラスベガスに登場している。そんなラスベガスを何度も訪れ、辰吉ウォッチャーの一人でボクシングに関する名作を書き下ろしたのが「リングサイドでうたを聞いた・感情的ボクシング論」で有名な佐瀬稔氏である。

ノンフィクション作家

 佐瀬さんは東京外国語大学英米学科中退後、報知新聞社に入社。運動部長、文化部長という要職を歴任後、1973年に独立。ノンフィクション作家として数々の作品を残した。ボクシング関係では「感情的ボクシング論」を出版後、同タイトルの連載をボクシング・ビートの前身ワールド・ボクシングに執筆した。

 佐瀬さんの文章を読んでボクシングファンになったという人もいるくらいで、今読み返しても当時の感動がストレートによみがえり、同時に選手の心理状態や葛藤に胸が打たれる。「いやあ、すごい」のひと言。名文という以外に表現できないところが佐瀬さんの佐瀬さんたる所以なのである。

名著・リングサイドでうたを聞いた「感情的ボクシング論」
名著・リングサイドでうたを聞いた「感情的ボクシング論」

叱られた思い出

 記者魂というか取材を大切にする姿勢も半端でなかった。

 記録をチェックすると1996年12月21日。ラスベガスのアラジン・ホテルで辰吉はフェルナンド・アラニス(メキシコ)と10回戦を行った(辰吉の10回TKO勝ち)。試合後、辰吉のドレッシングルームには日本から来た新聞、雑誌記者を中心に人が集まっていた。私はワールド・ボクシングの上司から「アラニスのコメントを取ってくれ」と指示されていた。

 タイミングよく同じ部屋にアラニスが一人で入ってきた。これは好都合と早速メキシコ人にインタビューを始めた。そのうち辰吉が入ってきて記者たちがみんな彼を囲んで話を聞いている。私は取材に集中していてアラニスが大声の持ち主であることをすっかり忘れていた。「こら、お前たち静かしろ!(辰吉の)話が聞こえないじゃないか」と一喝された。佐瀬さんだった。

 取材対象者の一言一句も聞き洩らさないとする佐瀬さんのプロ根性を痛感させられた。今でもあの時のことは反省している。なぜなら、その時だったかどうかは憶えていないが、記者団との雑談の中でこんなことを佐瀬さんが言っていたからだ。

 「ボクシングの試合を見て夜中ホテルで原稿を仕上げ、早朝ロサンゼルスへ飛びドジャースタジアムで野茂の投げるデーゲームを取材したんだよ。あんなにシンドイことはなかったね」

ビスタチオが好物

 同時に佐瀬さんは優しい面も見せた。ある試合の後、ホテルのフードコートで偶然遭い食事を共にしたことがあった。「いや、私はこれが大好物でね。これが食べたくてアメリカに来るみないなものですよ」。佐瀬さんがテーブルに置いて食べていたのはビスタチオの実だった。きっとその後、部屋で原稿を書きながら「ナッツの女王」といわれるビスタチオをほおばっていたことだろう。

 佐瀬さんが鬼籍に入ったのは1998年5月。辰吉vsアラニスから1年半足らずのことだった。もっとあの名文が読みたかったと願ったファンは多かったはずだ。時空を超えて井上がラスベガスデビューを果たそうとする今、もし佐瀬さんが生きていたら、どんな感情論を我々に届けてくれるだろうか。

モンスター、いよいよラスベガスへ出陣(Top Rank)
モンスター、いよいよラスベガスへ出陣(Top Rank)

 辰吉の場合は眼疾という追い詰められた状況によりラスベガスのリングを踏んだ。人生の明暗、失意を体験したヒーローだった。一方、井上は燦然と輝く未来が待望される。暗さは感じられない。逆に描きづらいこともあるかもしれない。でも佐瀬さんなら井上にも鋭い質問を浴びせて、そのものズバリの回答を引き出し、素晴らしいヒーロー像に仕上げてくれると思う。モンスターがこれまで見せなかった側面が明かされるかもしれない。相手のカシメロへも鋭い洞察が向けられるだろう。同じフィリピン人のベン・ビラフロア(元世界ジュニアライト級王者)を描写したように……。

 井上がラスベガスでどんなパフォーマンスを披露し結果を残すのか?報道する立場としても胸が躍らされる。カシメロ戦は名筆・佐瀬稔の筆が全開するような好ファイトになる予感がする。惜しい人を亡くしたとつくづく実感させられる。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

三浦勝夫の最近の記事