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新型コロナワクチンは英国の救世主となるか(下)

増谷栄一The US-Euro Economic File代表

12月9日、ジョンソン英首相はブレグジット(英EU離脱)協議の合意を目指し、ベルギー・ブリュッセルのEU(欧州連合)本部で、フォン・デア・ライエン欧州委員長とトップ会談を行った=英スカイニュースより
12月9日、ジョンソン英首相はブレグジット(英EU離脱)協議の合意を目指し、ベルギー・ブリュッセルのEU(欧州連合)本部で、フォン・デア・ライエン欧州委員長とトップ会談を行った=英スカイニュースより

ブレグジット(英EU離脱)協議が早ければ現地時間のきょう(24日)にも合意する見通しとなった。英紙デイリー・テレグラフなど地元メディアは前夜(23日)、電子版で「EU(欧州連合)から合意の印を示す白煙が上がるのを待っている」と一斉に速報した。気が早い一部のメディアでは「協議は合意した」との大見出しが24日の朝刊の1面トップを飾った。ジョンソン英首相が合意を阻んでいた英国の来年1月1日からのEU離脱後の漁業権問題で大幅に譲歩したもようで、EUの強硬姿勢に屈した格好だ。

ただ、英ニュース専門局スカイニュースは24日未明の放送で、「ジョンソン首相は23日深夜、合意内容について閣議了解を得るため、ビデオ会議で閣僚に説明した。英国とEUの交渉担当者はベルギー・ブリュッセルのEU本部に詰めて、約2000ページにも及ぶ合意内容の法文化作業を行っていると見られる」としながらも、「EU筋は24日朝も協議は続くとしており、まだ、完全には合意に達していない。英国の首相官邸筋は協議がすべて無に帰すことはありうると強調している」と、慎重だ。合意内容の法文化作業が順調に進めば、24日中にもロンドンでジョンソン首相が記者会見を開き、正式に発表し、その後、英議会がクリスマスと年末までの間に招集され、合意について審議するとしている。

EUの英国の領海内での漁獲量は年間6億5000万ユーロ(約820億円)だ。一方、英国の漁獲量は年間1億ポンド(約140億円)。これに対し、英国とEUの全体の貿易額(サービス除く)はその約800倍の5120億ユーロ(約64.5兆円)だ。それに比べれば漁獲量の金額は取るに足らない。それにもかかわらず、双方は漁獲枠をめぐる協議で合意できなかったため、もっとスケールの大きい自由貿易協定(FTA)を締結できなかったとすれば、双方にとって損失の方がはるかに大きく、間尺に合わない話だ。結局、EUは簡単には加盟国だった英国のEU離脱を許さないという面子にこだわった一方で、英国も主権を奪還するという面子にこだわった。双方の面子の戦いだったといえる。

今回の合意は英国がより多くの面子を捨てた格好だが、これにより、新型コロナの感染再拡大で、今年の英国のGDP伸び率がマイナス11.3%と、約300年ぶりの大幅落ち込みとなり、さらに、ノーディール・ブレグジット(合意なしのEU離脱)の場合、来年の英国のGDP伸び率はそうでない場合に比べ、さらに2%ポインの減速が予想されていただけに、面子を捨てたことはそれ以上のメリットを英国にもたらす。与党・保守党のウィリアム・ヘイグ元党首はテレグラフ紙の9月8日付コラムで、「すべての関係者は、FTA協議は漁業権と国庫補助金の問題さえなければ合意は可能だと異口同音に言っている。漁業権の問題だけが残っているとすれば、EUは世界から愚かしいと見られるだろうと言っていた言葉が思い出される。

ブレグジット協議が大詰めを迎えた12月初め、EU(欧州連合)は英国の領海内での10年間の操業継続とEU漁船の漁獲量削減をわずか18%にとどめるという英国にとって屈辱的な提案を行った。これに対し、英政府はあくまでも領海主権と漁業権を完全に取り戻すことが重要だと主張。12月7日夕のジョンソン英首相とEUのフォン・デア・ライエン欧州委員長との2回目の電話会談も不調に終わった。不調の背景にはフランスのマクロン大統領が自国に不利な漁業協定に拒否権を行使すると脅していることがあった。

EUのブレグジット首席交渉官であるミシェル・バルニエ氏は12月17日、声明文を出し、「英国が領海内の漁業権に対するコントロール(支配権)の拡大を要求すれば、その代わり、英国のEU市場へのアクセスは制限されることになる」と述べ、最後通牒を突き付け、漁業権交渉で英国に譲歩しない考えを示した。また、同氏は翌18日の欧州議会で、「英国のEU市場へのアクセスは漁業専管水域をEUの漁船に開放し続けることが条件だ」と説明した。これはジョンソン首相との全面対決を意味した。しかし、ジョンソン首相は、「12月31日まで協議を継続する。ドアは開かれている」と反論。EUの最後通牒を突っぱねた。ジョンソン首相は12月18日のスカイニュースのインタビューで、「英国は自国の法律によって統治し、領海と漁業権に対する主権を取り戻すことが合意の大前提だ」と述べた。ノーディール・ブレグジット(合意なしのEU離脱)も辞さない構えを示した。

英国はEU離脱による激変緩和措置として昨年1月から1年間の限定で導入された、いわゆる移行期間が今年12月31日深夜に終了すれば、自動的にEUから離脱する。しかし、英国はそれまでにEUとFTA(自由貿易協定)締結協議で合意しなければならなかった。FTA協議の最大の難関となっているのが英国領海内の英国とEUの漁獲量をめぐる協議だ。英国は5年間(当初は3年間を主張)の移行期間を設け、その間に段階的にEUの漁獲量の上限枠を減らし、移行期間の終了時点で今よりも50%削減(当初60%削減)を要求した。これに対し、EUは7年間(当初10年間)の移行期間終了後、EUの漁獲枠を25%削減(当初18%削減)すると主張し、双方は少しずつ歩み寄りを見せたものの、合意できなかった。現在、英国領海内の漁獲量の60%超がEUなどの外国漁船によって捕獲されている。協議が大詰めを迎えた12月21日、ジョンソン首相はEUのフォン・デア・ライエン欧州委員長と電話会談し、「EUの漁獲枠の削減率に対する要求を35%に引き下げた」(同日付英紙ガーディアン)が、EUは25%を主張して譲らず、強硬姿勢を崩さなかった。

テレグラフ紙の速報(電子版)によると、結局、今回の合意では、漁業権問題の焦点だった移行期間が双方の主張のほぼ中間となる5.5年、また、移行期間終了後のEUの漁獲枠の削減率はEUの要求通り25%で決まったもようだ。合意内容を見る限り、英国がかなり譲歩したといえる。

また、英国は協議中、譲歩案として、EUの漁獲枠の削減に最も強く抵抗しているフランスの漁師に補償金を支払う案を検討していた。英国のメイ前首相の特別補佐官だったラウル・ルパレル氏は英政治情報サイト「ポリティコ(Politico)ヨーロッパ」の12月21日付コラムで、「独立した第三者の仲裁機関がEUの漁獲量の減少で生じる経済的損失を算定し、それに見合う額を漁業以外の他の分野で、EUが英国から関税の形で徴収する案が考えられる」と指摘した。

テレグラフ紙の政治部デスクのゴードン・レイナー氏は12月19日付で、「FTA協議がノーディールに終われば、来年1月1日から英国が領海を100%支配する。フランスなどEUの漁船は英国の許可なしに漁をすることが禁止される」と指摘した。そうした事態を避けるため、英国とEUのFTA協議は12月31日深夜まで遅れる可能性があり、ノーディール・ブレグジットとなる公算が高まっていた。

英国では早い段階からノーディール観測が広がっていた。ジョンソン政権を支える保守党のヘイグ元党首はテレグラフ紙の11月30日付コラムで、「大半の議員やロンドンの金融街(シティ)は最後には合意すると信じているようだが、来年1月1日に英国はノーディール・ブレグジット、つまり、WTO(世界貿易機関)の貿易ルールの下でEUから離脱する可能性がある」と指摘した。その上で、同氏は、「イングランド銀行(中央銀行)が指摘しているように、ノーディールによる英国経済への打撃は新型コロナウイルスの感染よりも大きい。特に、EUが英国の輸出品に高率な関税を適用すれば、自動車セクターや農業で英国は打撃を受ける。反対にEUも打撃を受ける」とした。また、「ノーディールになれば、EUとすでに合意しているEU離脱協定にある北アイルランド・プロトコルが英国の国内市場法によって書き直され、無効にされる可能性があるため、(国際法違反をめぐり訴訟合戦になるなどの)問題が引き起こされるだろう」と警告した。

北アイルランド・プロトコルでは、(1)北アイルランドのすべての財にEU単一市場の規制(ルール)が適用される。これは北アイルランドから最終的にEUに輸出される財にはEU関税が適用されるため、(南北アイルランドの)国境で通関チェック(緩やかな目に見えない国境)が行われることを意味する。(2)北アイルランドは英国の関税地域に残る。これにより、北アイルランドはEU以外の国とのFTAの恩恵が受けられる。英国本国からまたは英国経由で第三国から北アイルランドに入った財がEUに行かず、北アイルランドにとどまる場合、英国の関税が適用されるが、EUに入る恐れがある場合、EUの関税が適用される。(3)EUと英国のVAT(付加価値税)の税率を一致させるメカニズムで合意し、北アイルランドにEUのVATが適用され、英国がEUに代わってVATを徴収する。(4)北アイルランドの議会のコンセント(同意)については、(アイルランドの統一を目指す)ナショナリストと英国との連合を目指すユニオニストで構成される議会が移行期間終了から4年後にEU市場から離脱するかどうかについて投票し、単純過半数の賛成で残るとなれば、さらに4年間の計8年間残れる。また、反対すれば、2年間の激変緩和期間を置いて離脱する―となっている。

つまり、北アイルランド・プロトコルではEU離脱後、英国連邦を構成する北アイルランドには英国とは異なる規制が適用される。つまり、農業や環境、国の輸出補助金などのEUの法律が適用され、4年間(最大8年まで延長可能)はEU市場に残ることになる。その結果、北アイルランドと英国本国との間の貿易に対し、通関(関税)手続きが行われるため、北アイルランドと英国本国との一体性が崩れる。ジョンソン首相が9月に発表した国内市場法案は英国本土と北アイルランドを隔てるアイリッシュ海に国境を作ることを阻止する、法的なセーフティーネットとなっている。

ただ、国内市場法案に盛り込まれていた、問題の北アイルランド・プロトコルの書き直し条項はEUが国際法違反だとして削除を強く要求したため、結局、12月8日に問題の条項の削除で合意した。これにより、北アイルランドと英国本土との貿易については、EUが農畜産物とその加工品、医薬品、冷凍食品などの食品加工品をスーパーに供給する場合、国境検査が行われるほか、EUの国家補助金ルールが適用されることになった。

また、ヘイグ氏は12月14日付の最新のコラムで、「ジョンソン首相はノーディールでブレグジット協議を終了させる準備ができている」とした。その上で、「首相はノーディールに終われば多くの失業者が発生すると言う圧力を感じている。しかし、それにもかかわらず、満足できない合意を望まず、それぐらいならノーディールで離脱する覚悟を決めている。もし、EUがジョンソン首相のノーディールも辞さないという固い決意を甘く見れば、協議は失敗に終わる」と指摘した。これまでのEUの対応についても、ヘイグ氏は、「EUはイギリスを甘く見て、ブレグジット協議にやや楽観的に見ている」という。

英小売協会(BRC)のヘレン・ディキンソン専務理事は、「ノーディールになった場合、EUから輸入される食品にかかる関税は30億ポンド(約4200億円)以上増えるため、2021年にはこの関税上昇分を消費者に価格転換せざるを得ず、食品価格が上昇する」(12月13日付の英紙ガーディアン)と強い懸念を示していた。ヘイグ氏も、「英国は来年1月1日からEUを離脱し、主権を回復する。しかし、ジョンソン首相にとっても英国にとっても本当の試練はこれから始まる。試練とはEU離脱で国民の間に動揺が広がり、スーパーで買いだめの混乱やサプライチェーン、物流の寸断を防ぐことだ」と警鐘を鳴らしていた。(了)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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