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英国の都市封鎖解除の前に立ちはだかる老人ホーム感染拡大(中)

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
コロナ感染者数が急増している老人ホームでは感染防止対策も介護士への負担を高めている=英スカイニュースより
コロナ感染者数が急増している老人ホームでは感染防止対策も介護士への負担を高めている=英スカイニュースより

ジョンソン首相のロックダウン(都市封鎖)の段階的緩和の道筋を示すロードマップ(行動計画)では5段階の警戒レベルが設定されている。最大警戒レベルは『5』だ。感染状況によりレベルが上昇(悪化)した場合、より厳しい規制措置が講じられる仕組みで、テロ警戒レベルに似ている。警戒レベルは政府が新設する「ジョイント・バイオセキュリティ・センター」が分析し、設定する。現時点のイングランドの警戒レベルは地域差があり『4』から『3』にまたがっている。このレベルは他人への感染が低く抑えられている水準を指す。

レベル1は、新型コロナウイルスに対する有効なワクチンが完成した段階で、すべての飲食店や商店が再開される。ただ、免疫力の弱い70代以上の老人や妊婦、肝臓の病気、糖尿病等の持病がある人は引き続き自宅に居ることが求められる。レベル2は、感染ペースが最小限になった水準で、商店やレストランの再開がソーシャル・デスタンシングの下で認められるほか、スーパーマーケットはこの段階で再開が認められている。免疫力の弱い人は引き続き屋内に居ることが推薦される。レベル3は、「R(リプロダクティブ)レート(再生産数:1人の感染者から何人に感染するかという比率)」が『1』以下となって、感染がそれほど顕著に増加しない水準となる。この場合、部分的なロックダウンが続く。

レベル4は、Rレートが『1』をやや超えている水準で、病院が患者の入院に対応できる水準となる。この場合、全国的なロックダウンが適用され、免疫力の弱い人は保護され、テレワークが求められる。レベル5は、Rレートが『1』を相当上回っている水準で、NHS(国民保険サービス)は感染者の入院・治療に対応できない状態となり、この場合、ロンドンやバーミンガム、マンチェスターに設置された新型コロナ専用の仮設病院「ナイチンゲール」が再開される。また、オフィスや工場も閉鎖される。

ジョンソン首相は5月10日の会見で、「イギリスは現在、レベル4にあるが、レベル3に向かい始める段階」としたが、その1週間後の5月17日、シャーマ・ビジネス・エネルギー・産業戦略相は会見で、「現在はレベル3に向かって進行中だ」と説明し、着実に前進していることをアピールした。これはRレートが『1』を下回っていることを意味する。実際、英国立統計局(ONS)は5月22日、英国のRレートは『0.7~1』の間にあり、「これは2週連続で変わっていない」と指摘している。

老人ホームでの感染者急増問題

ジョンソン首相がロックダウンを緩和しながらも延長し続けている背景には、ロックダウンの緩和で、特に重症化しやすい70歳以上の高齢者の死者数が急増する恐れがあるからだ。

英国のコロナ感染者は、米ジョンズ・ホプキンス大学の統計によると、5月23日時点で26万人に接近し、米国の約160万人を筆頭にブラジルとロシアの約34-35万人に続いて世界4番目の多さとなっている。死者数も約3万7000人と、政府が当初予測した2万人をはるかに超え、米国の9万7000人に次いで世界2位となった。ところが、当初、この数字には4月中旬時点の推定7500人(現在は推定1万2000人超)とみられる老人ホームでの死者数が含まれていなかった。

最大野党・労働党のスタマー党首は5月13日の下院で行われたジョンソン首相との党首討論で、過去5年間の4月の老人ホームでの死者数の平均が8000人だったが、今年の4月は2万6000人が死亡したと指摘した。これは過去の平均より1万8000人多く、このうち1万人が原因不明とされているとした上で、「コロナ感染と関係がある」とジョンソン首相に詰め寄った。しかし、ジョンソン首相は明確な答えを避けた。

5月15日の英国立統計局(ONS)の週間統計によると、老人ホームでのコロナ感染者の死者数(イングランドとウェールズだけ)はコロナ感染が始まった昨年12月28日から今年5月1日までの累計で1万2526人に達した。労働党のスタマー党首の4月だけで1万人死亡という推定に根拠を与える。また、ONSの分析によると、同期間の老人ホームでの累計死者数は7万3180人で、そのうち17%の1万2526人がコロナに感染した老人ホーム居住者だったということは、老人ホームの死者のうち、5人に1人がコロナ感染によることを意味する。

瞬間風速だが、ONSの統計では、5月1日の1日当たりのコロナ感染者の死者数のうち、老人ホームでの死者数は40.4%を占めた。また、昨年12月28日から5月1日までの老人ホームでの累計死者数からコロナ流行前の前年同期の累計死者数を差し引いた「過剰増加分」は2万3136人で、これに対するコロナ感染死者数の比率は54%となる。いかにコロナ感染による老人ホームでの高齢居住者の死亡率が高いかが分かる。

しかし、ロンドン大学のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスによる最新調査によると、昨年12月28日から5月1日までの老人ホームでの死者数は実際には2万2000人超だったと推定し、ONSの統計結果の約2倍となっている。「これはONSの老人ホームでのコロナ感染死者数には病院で死亡した人数(老人ホーム居住者全体の約15%)が含まれていないため、その分を調整すると、2万2000人超と推定される」(5月13日付英紙ガーディアン)という。コロナ感染による死者総数は5月22日時点で約3万6500人なので、老人ホームの死者数を2万2000人とした場合、その比率は実に60%となる。

また、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの別の調査によると、「イタリアやフランス、スペイン、ベルギー、アイルランドの5カ国で、死者数の42-57%が老人ホームの高齢者となっている」(4月14日の英テレビ局スカイニュース)と、英国以外でも多くの老人ホームの高齢者が犠牲者となっている。英国では老人ホームの悲惨な状況が明るみに出て、社会問題化している。ジョンソン首相も5月10日にロードマップを公表した際、老人ホームでの死者数が多いことに衝撃を受け、感染検査を増やすと発表したが、遅きに失した。

英政府のクリス・ホイッティ主席医務官も4月13日の記者会見で、「英国の老人ホーム全体の13.5%(約1530カ所)が新型コロナに感染している」と指摘したが、英名門大学で医学研究に定評があるインペリアル・カレッジ・ロンドンのニール・ファーガソン教授は4月26日付の英紙デイリー・テレグラフ紙で、「いま、ロックダウンを解除すれば50万人が死亡する。そのうち、高齢者は10万人以上だ」と警告し、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)の確保などの規制の緩和を求める声が強まっていることに警鐘を鳴らしている。(『下』に続く)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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