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英EU離脱協議、次回貿易交渉で北アイルランド国境問題正念場迎える

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
北アイルランド国境問題で手詰まり状態となったメイ首相=BBCテレビより
北アイルランド国境問題で手詰まり状態となったメイ首相=BBCテレビより

英国とEU(欧州連合)は4月から第2段階協議の貿易交渉に入る前に解決が迫られている北アイルランド国境問題をめぐって事務レベル協議に入った。4月18日の5回目の交渉で、英国政府は南北アイルランド国境をハードボーダーにしない解決策として、英国がEUに代わり同じ関税ルールでEU向け輸出品に関税を課す「新しい関税パートナーシップ」案と、ITを駆使して国境検査や関税手続きを最大限簡素化する「マキシム・ファシリテーション」案を提案したが、EUは2案とも拒否したため、EUの要求通り今年6月に開かれるEU加盟27カ国の首脳会議までに合意に達するのは難しくなった。何らかの打開策が見つからなければ貿易交渉にも入れないという厳しい情勢だ。

しかし、最近、こうしたEUの対英強硬路線を弱める可能性があるいくつかの要因が出てきた。一つはメイ首相が3月2日、ロンドン市長公邸でEU離脱交渉方針について演説し、ロンドン金融街(シティ)の最大の関心事だった、いわゆるパスポート・ルール(単一免許でEU域内での営業が可能な制度)の継続をEUに求めないと明言し、現実路線に転換したことだ。英紙デイリー・テレグラフ紙は同日、メイ首相の演説について、「強硬離脱派は英国の主権回復の立場が明確になったとする一方で、EUのミシェル・バルニエ首席交渉官も英国は相矛盾することは求めないというトレードオフの認識を初めて示した、と評価した」と伝えたように、メイ首相は現実路線への転換によって今後の貿易交渉でEUを懐柔し妥協を引き出せる可能性が出てきたことだ。

もう一つは、3月4日のイタリア総選挙で与党の中道左派(民主党)政権が破れ、右派で反移民のEU懐疑派のリーガ(同盟、旧・北部同盟)と、かつて欧州議会でUKIP(英国独立党)と連携したことがある左派のポピュリズム(大衆迎合主義)政党の五つ星運動が躍進したことだ。特にリーガと五つ星はともにEU懐疑派で今のEUの英国いじめの離脱交渉を愚かな行為だと批判し、イタリアがEUを無視して英国と自由貿易協定を結ぶ考えを支持している。ただ、現状では五つ星のルイジ・ディマイオ党首が4月3日の地元テレビ局のインタビューで大敗した民主党(PD)と連立する意向を表明したことから両者の大連立の可能性は薄くなった。しかし、それでも最大議席を獲得したリーガを中心とする中道右派連合が政権を樹立できれば、リーガのマッテオ・サルビーニ書記長が次期首相に指名されEUの結束にひびが入り英EU離脱交渉を有利に導く可能性がある。

そうした中、リーガの上院議員で経済学者のアルベルト・バグナイ氏は、テレグラフ紙の3月6日付インタビューで、「大恐慌時代(2007年12月-2009年6月)当時、EUはドイツの銀行に対し、欧州救済基金を使って、つまり我々のお金を使って救済したが、イタリアの銀行救済では債権者に犠牲を強いるベールイン・スキームを適用した恨みが強い。特に、いまのEUやユーロ圏の本部の要職はドイツ勢で占められており、ドイツがEUの官僚機構を牛耳りドイツ帝国化している」と指摘。また、リーガの経済学者クラウディオ・ボルギ氏も「連立政権ができれば憲法を改正し、イタリア法を欧州司法裁判所(ECJ)やEU法よりも優先させる。イタリア通貨リラとユーロの併用を認めるパラレル通貨制度を導入する。市場のことを知らない非合理的な輩がイデオロギーだけでユーロ圏を支配しているのは許されない」と痛烈に批判している。

3つ目の要因は3月4日に英国で発生したロシア人二重スパイ、セルゲイ・スクリパル氏と娘ユリア氏のロシア製神経剤による毒殺未遂事件で対ロ制裁を決めた英国にEUの主要国が同調し、英国とEUが対ロ制裁で一致団結したことだ。軍事力でEU中軸国と肩を並べ、最近、中東ペルシャ湾のバーレーンに50年ぶりに海軍基地を築いた英国が欧州安保に貢献するようになれば、それが貿易交渉にもいい影響が及ぶ。ロンドンにあるシンクタンクの欧州外交評議会(ECFR)は3月20日付リポートで、「スパイ毒殺未遂事件が英国とEUの将来の関係、特に、安全保障・防衛分野で英国がEUの“特別なパートナー”となる可能性が高まってきた」と指摘している。これが貿易協議にも良い影響が及ぶ可能性がある。3月23日のEUサミットでそれを予感させる場面が見られた。ブレグジット首席交渉官であるミシェル・バルニエ氏がEU本部を訪問した英国のテリーザ・メイ首相の右手をとってキスするというフランス流の手厚いおもてなしを示した。これまでの離脱協議で厳しいやり取りが行われたのとは対照的な光景だ。対ロ制裁に毅然とした態度を示す英国への敬意の表れだ。今後のEU協議の雰囲気を一変させることを予感させる。

しかし、その一方で、英国内で新たなEU残留派による巻き返しの動きが強まってきた。英下院のEU離脱特別委員会(ヒラリー・ベン委員長)が4月4日、今年10月のEU首脳会議までにメイ政権がEUと合意した離脱条約案を承認するかどうかを決める際の15項目の判断基準(北アイルランド国境問題含む)を示したからだ。15項目はEU離脱支持派がEU残留支持派の議員がまとめたと批判しているように難問だらけで、英紙デイリー・テレグラフ紙は15項目のうち、大半の9項目で“不合格”になるとの分析結果を報じた。不合格となる主なものは、(1)英国がEU離脱後も第1段階協議で合意した通りに南北アイルランドの国境をオープンにする(2)財・サービス貿易で企業に新たな費用や負担を生じさせない(3)金融などのサービス分野で企業が相手国で自由に事業を営む権利を維持する(4)英国とEUの間で結ばれる移民協定は労働者の移動の自由を妨害しない(5)欧州市場へのアクセスを最大化するため、すべての分野でEU規制と合致させるーなど。

さらに、同委員会は貿易協議で、英国がEUと“特別なパートナシップ協定”を結べない場合、その代替案としてノルウェーのようにEU非加盟国がEUとEEA(欧州経済領域)協定を結びEU単一市場にアクセスする方法、または、EFTA(欧州自由貿易連合、ノルウェーとアイスランド、リヒテンシュタイン、スイスの4カ国で構成)のメンバーとなることを検討するよう要求している。メイ政権はカナダ方式にプラス、プラス、プラスの貿易協定を目指すと宣言しているので噛み合わない話だ。英国議会はこの15項目の基準を満たさなければEUとの合意(条約案)を承認しないとなれば、離脱協議は限りなくノーディールに近づくことを意味する。

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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