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英国のEU離脱交渉、強硬離脱は英国に繁栄もたらす

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
英レガダム研究所の繁栄研究の第一人者シンハム氏=自社サイトより
英レガダム研究所の繁栄研究の第一人者シンハム氏=自社サイトより

英政府は8月に発表したEU離脱交渉方針で、EUとの貿易・関税協議が失敗に終わる最悪のシナリオも想定している。「EU協議が不調に終われば、今秋をメドにEU離脱後の英国独自の関税やVAT(付加価値税)などに関する関税法案を策定しなければならない」という箇所がそれだ。

EUとの貿易・関税協議が失敗するとは、つまり、ハードブレグジット(EU市場への自由なアクセスの大半を失う強硬離脱)を意味する。しかし、これは必ずしも英国にとって損失ではないという主張がある。世界繁栄指数を発表することで知られる英シンクタンク、レガダム研究所の経済政策・繁栄研究の第一人者シャンカー・シンハム氏がその一人だ。同氏は、EUとの関税同盟は国益にならないと警告する。

同氏は、英紙デイリー・テレグラフの8月17日付電子版で、1840年代の英国で食料価格を高く吊り上げていた穀物(関税)法を廃止し英国の国際競争力を高めた著名政治家のリチャード・コブデンとジョン・ブライトの両氏の自由貿易運動を引用して、こう述べている。「EUが市場を閉ざすなら英国は一方的に関税を引き下げて自由貿易主義を追求すれば英国に繁栄がもたらされる」。また、「英国はEUと新たな関税同盟を結べば、EUと関税同盟を結んだトルコの例のように何か必要なたびにEUとの交渉が必要になる負担を背負うことになる。英国はEU離脱後、どの国とも自由貿易協定を結ぶ用意があることを明確にすべきだ」と主張する。

一方、英国内では、政府の貿易・関税同盟に関する交渉方針をめぐって、テリーザ・メイ政権内で新たな論争が起こる可能性がある。交渉方針では、「19年3月のEU離脱後に移行期間を設け、その間、EUとは従来通りの関税同盟を暫定的に継続する一方で、EU以外の第3国と自由貿易協議を開始する」としているが、「第3国と自由貿易協議を行ってもその協定内容がEUと暫定的に結んだ貿易取り決めの条件と整合しなければ、いかなる第3国との貿易協定も移行期間中は発効しない」と、かなりEU寄りに譲歩しているからだ。

これまでは移行期間の在り方をめぐって、ソフトブレグジット(穏健離脱)を支持するフィリップ・ハモンド財務相が「移行期間中は従来通りEUの関税同盟の中にとどまる」と主張。一方、ハードブレグジット寄りのリアム・フォックス貿易相は、「移行期間中は第3国と自由貿易協定の締結を進めるべき」と主張して、両者の間で確執が続きメイ政権の安定を脅かしていた。その後、ハモンド陣営がフォックス陣営に歩み寄り、「移行期間中、英国はEUの関税同盟には残らない」ということで決着した。

両者は和解の証として、共同で8月13日付の英紙サンデー・テレグラフに寄稿し、「英国はEU離脱後、第3国と2国間の自由貿易協定に調印する権利を持つ独立国家となる」と高らかに宣言した。しかし、この宣言も政府の交渉方針とは相いれないものとなってしまった。交渉方針では、「EUとは従来通りの関税同盟を暫定的に継続」とか、「第3国との貿易協定も移行期間中は発効しない」となっているからだ。ようやく両氏の論争が終わりメイ政権の安定が進むとみられただけに、また新たな閣内論争の幕開けとなる恐れがある。

メイ首相のフィレンツェ演説に批判集中

また、メイ首相は先週末(9月22日)、訪問先のイタリア中部のフィレンツェで暗礁に乗り上げ膠着状態に陥っているEU離脱交渉の事態打開を目指して重要な演説を行った。演説の趣旨は(1)19年3月のEU離脱後、2年間の移行期間を設置する(2)移行期間中、英国はこれまで通り、EU予算への支出や人の移動の自由、欧州裁判所(ECJ)の管轄に入るなどすべてのEUルールを受け入れる(3)その代わり、移行期間中、英国は現状通り、EUの単一市場と関税同盟への自由なアクセスが維持される(4)英国はEU加盟国のときにコミットメントした事業予算への支出を尊重する(ただし、すべての支出を約束していない)(5)英国は少なくともEU7カ年予算(14-20年)の2年分約200億ユーロをEUに支払う(6)すでに英国に居住しているEU市民の在留権や労働権などの権利に関して合意した内容を英国法に織り込む(7)英国に居住するEU市民の権利に関するトラブルが起きた場合、英国法で裁かれる。欧州司法裁判所の判断も考慮する(8)英国はEU単一市場への自由なアクセスを可能にするEEA(欧州経済領域)協定やEUとカナダで結ばれたような自由貿易協定方式は望まず、英国とEUだけの特別な自由貿易協定の締結を目指す―などとなっている。

だが、手切れ金の支払額も200億ユーロにとどまりそうで、EUが主張する1000億ユーロ、最低でも500億ユーロとする金額には遠く及ばない。また、英国に居住するEU市民の権利は英国法が優先され、ECJの判決効果が及びにくいなど問題点が少なくない。メイ首相の演説内容に対する英国の政界やEU、英メディアの反応は冷ややかだ。英国の最大野党・労働党のジェレミー・コービン党首は9月22日、英テレビ局スカイニュースのインタビューで、「メイ首相は我々がすでに知っていることを話しただけだ。EU離脱の国民投票から15カ月経過したが、EUとの将来の関係がどなるのか全く明らかになっていない」と批判。また、24日には英BBC放送で、「移行期間中に英国がすべてのEUルールに従えばEUから規制を受けて英国の国内産業が打撃を受ける」と警告した。

EU離脱強硬派のUKIP(英国独立党)のナイジェル・ファラージ前党首も9月22日のテレグラフ紙への寄稿文で、演説内容について、「天真爛漫なメイ首相は英国民をEU当局に売った」と痛烈に批判した。「国民が昨年6月23日の国民投票でEU離脱を決定しとき、裁判所や法律、国境、そして、我々の税金を取り戻すという共通のテーマがあった。メイ首相はこれを忘れてしまっている」、「メイ首相は19年にEU条約から離脱すると言っている一方で、離脱後もなお少なくとも2年間(移行期間)は非民主主義のEUというクラブの事実上のメンバーになり続けると言っている。これは国民投票から5年間もEUから離れられず、EUとの将来の関係も解決されないことを意味する」と厳しい。

また、EU離脱強硬派のボリス・ジョンソン外相も9月23日、テレグラフ紙で、メイ首相の演説について、「英国は19年3月に離脱するので移行期間中はEU加盟国ではない。その間、英国がEUの意思決定過程に関わらず、英国不在で決められたEUルールに従うというのは間違いだ」と主張した。外相は移行期間中にEUと新しい貿易協定を結び、移行期間終了の21年以降はEUに手切れ金を支払わないという立場をとっている。いったんはメイ首相との衝突も解消に向かうとみられていたが、両者の休戦状態はもろくも崩れ始めた。これは今後の保守党の次期総裁、そして次期首相の座をめぐってし烈な戦いが繰り広げられることを予見させる。

一方、EUのブレグジット首席交渉官であるミシェル・バルニエ氏は9月22日、メイ首相の演説内容について、「北アイルランドの国境問題についての英国の方針は依然不明瞭だ。今後、英国との4回目の離脱協議で、メイ首相の演説内容が具体的に示される必要がある」と、演説内容の不明瞭さに不満を露わにした。その上で、「英国との将来の関係について議論を進める前に3つの重要課題(手切れ金、EU市民の在留権、北アイルランド国境)の解決で大きな前進がなければならない」と改めて強調した。メイ首相の演説後、英国に同情的なフランスのエマニュエル・マルコン大統領も同じ反応を示した。メイ首相の演説をきっかけにEU離脱協議が前進する可能性は低い。

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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