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メイ英首相、四面楚歌でEU離脱協議の先行き不透明に(上)

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
少数単独政権となったメイ首相は政権安定を目指しDUPと閣外協力で合意=写真は英テレビ局「スカイニュース」より
少数単独政権となったメイ首相は政権安定を目指しDUPと閣外協力で合意=写真は英テレビ局「スカイニュース」より

英総選挙で大躍進した最大野党・労働党の影の内閣でEU(欧州連合)離脱担当相であるキア・スターマー氏が与党保守党を率いるテリーザ・メイ首相に1通の書簡を送りつけた。書簡は「メイ首相はEUとのけんか腰の思慮を欠いた態度を改めるべきだ」という内容で、メイ首相のハードブレグジット(強硬離脱)方針の放棄を求めるものだった。労働党の苦戦が伝えられていた選挙前には考えられなかった行動だ。これは総選挙の結果が今後の英国のブレグジット交渉の進め方を大きく変える予兆ともいえる。

メイ首相は自身のハードブレグジット発言をきっかけに広がった政治混乱を収拾するため、伝家の宝刀である解散権を行使し、6月8日の下院総選挙(定数650議席)に臨んだ。だが、首相率いる与党・保守党(318議席獲得)は最大議席を獲得したものの、過半数の326議席(シン・フェイン党除く実質では321議席)に達せず、“オウンゴール”を決めるという悲惨な結果に終わった。この結果を受けて英国通貨ポンドは急落し政界の勢力地図もすっかり様変わりしてしまった。

保守党大敗の理由にメイ首相のハードブレクジット方針への厳しい批判が挙げられるが、それだけではない。保守党のマニフェスト(政権公約)に盛り込まれた社会的弱者いじめだったといわれる。なかでも社会保障費用の財源対策として認知症患者の老人に対しても介護費用を一生涯支払わせる、いわゆるディメンシア・タックス(認知症課税)の導入を始め、基礎年金支給額の上昇率を決めるトリプルロック(物価上昇率と賃金上昇率、2.5%のいずれか高い方を採用)のうち「2.5%」を2021年から外して年金給付を減らす提案や年金受給者への冬期燃料手当て(月額100~300ドル)の受給資格を見直して推定1000万人が手当てを受けられなくするというものだ

保守党が内戦状態に

総選挙後の大きな変化は、ハードブレグジット阻止を訴え大幅に議席を伸ばした労働党(262議席)が政権奪還に動き出したことだ。労働党は野党共闘で下院と上院で行われるメイ首相への事実上の信任投票となる「クイーンズ・スピーチ(今後の政府方針演説する儀式)」の採決で勝利し年内総選挙を実施しようと動き出した。また、保守党内や閣内でもメイ首相の引責辞任を求める機運が高まってきている。

今ではメイ首相はレイムダック(死に体)”とか、“歩くデッド・ウーマン”と揶揄されるほど党内での求心力は低下している。それでも保守党幹部はメイ首相をEU離脱協議が終わる2年後の2019年3月まで続投させる方向にある。しかし、頑なにハードブレグジット(EU市場への自由なアクセスの大半を失う強硬離脱)を主張するメイ首相が今後、政権を安定させEU離脱を成功させるため、EUとの最終合意について議会の同意が得られるようソフトブレグジット(穏健離脱)に戦略転換せざるを得ないという見方が強まっている。

そんな中、メイ首相は7月10日の会見で、労働党のジェレミー・コービン党首にブレグジット(英国のEU離脱)交渉への協力を要請する方針を明らかにした。これはソフトブレグジットを主張する労働党への歩み寄りとも受け取られ、保守党内からは総選挙で“死闘”を演じた敵対する労働党に“塩を送る”とは言語道断と非難する声が上がり、メイ政権は寿命を自ら縮めたという印象を与える結果となった。コービン党首もこれには驚きを隠さず、きっぱりと保守党との“共”を否定。メイ政権は力を失っているとし、出直し選挙をすべきだと逆に諭される始末だ。

選挙から1週間も経たぬうちに、英国のメディアは一斉にメイ首相のブレグジットの進め方をめぐって保守党内が割れ“内戦”が勃発したと報じ始めた。英紙デイリー・テレグラフは6月13日付電子版で、総選挙でSNP(スコットランド国民党)からの議席奪還に成功し党内で影響力を増したスコットランド保守党の女傑ルース・ダビッドソン議員がメイ首相をつかまえて「党内を割らないためにはEU離脱協議の方針を変更し他党と協調すべき」と直談判したと伝えたほど、保守党内でメイ首相のハードブレグジットへの抵抗勢力が増えてきている。

総選挙直後、メイ政権の複数の閣僚が次期首相の座を狙う前ロンドン市長のボリス・ジョンソン外相にメイ首相の追放を狙って“謀反”を起こすよう密かに決起するという異常事態も起こっていた。ただ、ジョンソン外相がすぐに謀反の噂を全面的に否定したため、結局、一大事には至らなかったが、政治の世界は“一寸先は闇”、今後、何が起こるかは分からない。いまでは昨年6月の国民投票でEU残留を支持した保守党議員の大半が公然とソフトブレグジットを主張し始め、「労働党と協力して政府のブレグジット関連法案の可決を妨害する工作が始まった」という報道や「複数の閣僚が10月の保守党の党大会前にソフトブレグジットを提唱するフィリップ・ハモンド財務相を新党首に指名し次期総選挙に臨む方向で画策し始めた」という報道が駆け巡っている。それほど、メイ首相に戦略転換の圧力は日増しに高まっている。

メイ政権、DUPと閣外協力で合意

一方、メイ首相は選挙直後の6月9日、首相官邸前で会見し、「政治の安定がこれまで以上に求められている。(保守派の北アイルランドの)民主ユニオニスト党(DUP)と一致協力していく」と述べ、政権の存続に全力を挙げた。ただ、DUPのアーリーン・フォスター党首は同日の会見で、「正式な連立でも政策協定でもなく“協力”だ」と強調したように一致団結する与党連立ではなく、「問責決議」と「歳出」の重要法案だけに限定した閣外協力を目指すことになった。

保守党とDUPとの政策協議は難航した。一時は協議が失敗に終わると危惧されたが、メイ政権はようやく下院のクイーンズ・スピーチの採決が行われる2日前の6月26日にようやくDUPと閣外協力で合意することができた。これは少数派単独内閣のメイ政権にとっては政権安定に向けて大きな前進だった。今回の選挙でDUPは10議席獲得したので、合計議席数は328議席となり過半数を超えるとはいえ、保守党内で造反議員が出れば、今後、政府提出のブレグジット関連の重要法案が可決されないという異常事態も予想されメイ政権は盤石とは言えないのが実情だ。

協議が難航した背景には、DUPが協力の見返りに北アイルランドにNHS(国民保険サービス)やインフラ整備などで20億ポンド(約3000億円)の予算増額を要求したことがあった。結局、増加額は向こう2~5年間で計10億ポンド(約1500億円)とすることで折り合ったが、予算増額はウェールズやスコットランドにも平等に配分するという財務省の予算慣行(1978年のバーネット算定方式)を破ることになるため、新たな問題を引き起こした。事実、ウェールズが今後17億ポンド(約2500億円)の予算増額、スコットランドも増額を求める方針を決めた。また、DUPも2年後の閣外協力の見直し時期に予算増額を要求する可能性が高い。

今後のブレグジット協議にも影響が及ぶ。DUPは政権公約で「北アイルランドにとって最善となるEU離脱の実現」を掲げており、英紙デイリー・テレグラフも6月9日付電子版で、メイ政権がDUPと組んだ場合には、緩やかなブレグジットを要求する可能性がある、と伝えていた。英BBC放送のノーマン・スミス政治部次長も同日付電子版で、「DUPはメイ政権が短命になると見ている。9月独総選挙までにEU協議が進展する可能性が低いことから判断して新党首しい指導者と交代する」とメイ首相の早期退陣を予想する。

DUPへの支援要請については保守党内からの批判が強まった。保守党の重鎮で元首相のジョン・メジャー氏は6月13日のBBC放送で、党内融和のためにソフトブレグジットへの戦略転換だけでなく、DUPとの連携協議を中止するようメイ首相に圧力をかけた。メジャー氏は、「メイ政権が北アイルランド紛争の当事者の一方と組めばそれが議会の取り決めとなり北アイランドの和平が崩れる」という。「それぐらいなら、むしろ、どの政党とも連携せず少数単独政権のままが望ましい」としている。(次回に続く)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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