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劇場アニメーション『グリッドマン ユニバース』評(というか雑想)

前田久アニメライター
第5週の入場特典。女の子かヒーローのがほしかった……(笑)。

「グリッドマン」を原作とする2本のTVアニメ『SSSS.GRIDMAN』『SSSS.DYNAZENON』の続編にあたる劇場作品だ。この2作を全話観ておくことはもちろん、さらに原典にあたるTV特撮『電光超人グリッドマン』や、メディアミックスプロジェクト「GRIDMAN UNIVERSE」の関連作品を可能な限り押さえておいた方が、より深く楽しめる作品になっている。

観終えた瞬間、真っ先に連想したのは『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』だ。TVアニメ『交響詩篇エウレカセブン』を劇場3部作でリブートする「ハイエボリューション」シリーズの第2作目であり、その時点での「エウレカセブン」シリーズの各種メディアを跨いだ展開を、すべて作品世界内の設定として回収した(ように見立てられる)結末を迎える作品。

「エウレカセブン」シリーズに限らず、現在のオリジナルアニメはほとんどの作品が複雑なメディアミックス展開を行っている。小説、コミック、ゲーム、はたまた遊技機のムービーなどさまざまな形で紡がれる物語は、TVアニメの内容をストレートになぞるものもあれば、独自のキャラクターやメカなどの要素を加えて変奏するもの、はたまた、作品世界の基本設定を共有した上でまったく違う「異聞」や「外伝」を紡ぐものなどさまざまな形がある。

人気作、歴史の長い作品であればあるほど、その全体像は複雑な集合図を描く。オリジナルアニメの企画展開のそうした流れを決定づけた「機動戦士ガンダム」シリーズなどは、もはやそのプロジェクトの全体像を把握することは、一個人ではほぼ不可能なのではないか。

かつてであればメディアミックス作品は副次的なものであり、TVアニメとその流れに連なる続編の映像作品で描かれたものこそが「カノン(正典)」であるという位置づけが、多くのファンのあいだで一般的だったろう。しかし今となっては、そのようなヒエラルキーはほとんど崩壊している。メディアミックス展開もすべて含めた総体=「ユニバース」が作品なのであり、アニメもその一部を構成するにすぎない。そうした形で映像作品がプロジェクトの中で占める位置づけが変わったことを、あらためて映像作品の物語の中に肯定的に取り込むことで、「カノン」としての作品の強度を高めようと試みている点で、『グリッドマン ユニバース』と『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』は似た構造を持つ。

なお、直接の影響関係というよりは、シンクロニシティと捉えた方がおそらくはよいはずだ。ただ、まったくの偶然ではない。どちらも大元には『新世紀エヴァンゲリオン』の影がある。

『新世紀エヴァンゲリオン』もまた、広大な「ユニバース」の存在するシリーズだ。その原典の「リビルド」として制作された「新劇場版」シリーズの完結作である『シン・エヴァンゲリオン劇場版』では、あまたの次元に存在するすべての「エヴァ」(劇中における汎用人型決戦兵器の共通の呼称と、ファンが見てきた各種のメディア展開におけるシリーズ名が、二重写しになるような構造がある)が「新世紀(ネオン・ジェネシス)」によって総括される。つまり『シン・エヴァ』は、「ユニバース」というメタ・レベルの構造を作品内の物語というオブジェクト・レベルの構造にふたたび取り込むことで擬似的に終わらせる作品であった。

ここで『新世紀エヴァンゲリオン』を補助線にして、しばし思考を進めたい。そのTVシリーズ終盤から、劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』に至る過程では、「虚構」と「現実」の区分が問い直されていた。これは『新世紀エヴァンゲリオン』に固有のことではなく、そのフォロワー作品はもちろん、アニメに限定されず、同時代のさまざまな作品が90年代末期から00年代にかけて、「虚構」と「現実」の問題と格闘しているように見えた。

翻って、それからおよそ30年が経った2020年代。今やかつて「虚構」だとされたものが「現実」のフィールドを覆い尽くしている。もはやその区分は、あまり意味をなさなくなった。インターネットでのコミュニケーションは現実と地続きであり、街中には美少女や美少年のキャラクターが生身のタレントと競合する存在として普通の存在し、VRやAR技術の進化によって認識の枠組みも変わる。そうした即物的な話だけではない。もはや大人になってもアニメやゲームに耽溺していることは、ただそれ自体では何の問題にもならないという、社会的な価値観の変容もだ。『シン・エヴァ』『ANEMONE』そして『グリッドマン ユニバース』には、こうした時代性の変化が率直に反映されているように思う。

かつてアニメやゲームに耽溺することが問題視されたのは、それが現実から自身を隔絶するツールになってしまうことが危惧されたからだ。しかし今となってはむしろ、アニメやゲームは現実での友情や恋愛といった健やかな人間関係を育むためのツールになっている。『グリッドマン ユニバース』で描かれる思春期の少年少女の姿には、そうした時代性の変化がわかりやすく反映されているように感じられる。ピュアな描写は、魅力的なキャラクターデザインや丁寧な作画・演出の力もあって、実に微笑ましく、眩しいものとして映る。それを「自分たちの物語」として楽しんでいる様子の10代、20代のファンの姿も同様だ。

とても素晴らしいことだと思う。ただ、その一方で、どこか寂しさも覚えてしまう。アニメやゲームといったオタク趣味の世界すらも、こんなに明朗なものになってしまったのか、と。数多くの少年少女が今の明るく楽しいオタクの世界によって大勢救われている一方で、ジメッとした暗がりでしか生きられない、オタク趣味の世界でだけはかろうじて居場所を見つけられたようなタイプの人はどうしているのだろう? そんなことにふと思いを馳せてしまう。これは実は『SSSS.GRIDMAN』を最終話まで観たときにも感じたことなのだが、その問題はこの『グリッドマン ユニバース』である意味でより深まってしまった気がしてならない。

……などというのは、記憶の上でも、実年齢の上でも、青春がいささか遠いものになりつつある世代の難癖か、はたまた、謎の被害妄想か。ひとまずそうした思いは忘れて、今は若い世代の心に響く現代的な爽やかさと、特撮やロボットアニメといったオタク要素を濃密に詰め込んだ映像美が両立した、稀有なヒット作が生まれたことを祝福するとしよう。

作品公式サイト:https://ssss-movie.net/

アニメライター

1982年生まれ。ライター。通称"前Q"。アニメーション関連のインタビュー、作品紹介、コラム等を各種媒体で手掛ける。主な寄稿先は「月刊ニュータイプ」(KADOKAWA)。作品の公式サイト、パッケージ付属ブックレット、劇場パンフレットなどの仕事も多数。著作に『オトナアニメCOLLECTIONあかほりさとる全書~“外道"が歩んだメディアミックスの25年~』(洋泉社、オトナアニメ編集部との共編著)、原稿構成を担当した本に『声優をプロデュース。』(納谷僚介著、星海社新書)がある。https://twitter.com/maeQ

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