誰も語らない5月18日 39年前の韓国・光州事件を目撃した大学生の証言

(C)2017 SHOWBOX AND THE LAMP.

戒厳令下の物々しい言論統制をくぐり抜けて韓国民主化運動の現場を取材したユルゲン・ヒンツペーター。偶然彼をタクシーに乗せたことを機に現実に目を向け、心が変化するタクシー運転手。

実在した2人をモチーフに光州事件を描いた映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」。韓国現代史上最大の悲劇と言われる光州事件が起きたのは、1980年5月18日のことだった。

民主化を求める市民に対し、戒厳軍は武力を行使。150人以上が命を落としたと言われるが、その全貌はいまだ明らかになっていない。

39年前の「あの日」、光州で何が起きたのか――。

光州に今も住む事件の体験者と現場を歩いた。

当時を振り返るアン・ジョンチョルさん(左)とジョンエさん(著者撮影)
当時を振り返るアン・ジョンチョルさん(左)とジョンエさん(著者撮影)

大学から始まった市民のうねり

「1980年の春、大学では、何度も集会が開かれていました。リーダーは、学生会長のパク・クァンヒョンさん。とてもイケメンで、類まれなる演説の才能の持ち主でした。光州事件が起きる直前の5月16日の集会で、彼が『戒厳令の拡大が宣布されたら、正門の前で会おう』と呼びかけていたのを覚えています」

かつて学生たちが熱い思いとともに集まった、全南大学の正門。その場所で、アン・ジョンエさんは当時を振り返りながら語った。

2017年11月、出版社クオン主催「文学で旅する韓国―光州編」に参加し、光州事件の現場を訪れた。ツアーの一行を現地で案内してくれたのが、ジョンエさんと兄のジョンチョルさんだ。光州事件が起きた1980年、ジョンエさんはとジョンチョルさんは、それぞれ全南大学2年と4年生。2人とも歴史を肌で知る証人だ。

「カリスマ性のある学生会長を尊敬し、憧れていた」と、ジョンエさん。

「5月17日の夜に戒厳令が布告されると、学生会長の言葉通り、すぐに友達と大学に駆けつけました。正門の前に到着した時、他にいたのは10人ぐらい。すでに学校は軍隊に占領され、中に入ることはできませんでした。18日、夜明けとともに学生たちがどんどん集まり、午後になると『市内に行こう』ということになったのです」

全南大学正門に掲げられた写真(著者撮影)。全南大学に進駐した戒厳軍は、図書館などで勉強をしていた学生たちを殴り、不法に拘禁。これが抗争の火種となった
全南大学正門に掲げられた写真(著者撮影)。全南大学に進駐した戒厳軍は、図書館などで勉強をしていた学生たちを殴り、不法に拘禁。これが抗争の火種となった

「全斗煥は退陣せよ!」「戒厳軍は撤退せよ!」

学生たちはスローガンを叫びながら、市の中心部を目指した。徐々に市民も加わり、大きなうねりとなっていく。それが、光州事件の始まりだった。

翌19日、2000~3000人に膨らんだ群衆が、旧全南道庁前の大通り錦南路に集まった。対峙した軍・警察は催涙弾を発射。群衆が石を投げるなど抗議すると、軍用トラック30台分に分乗した部隊がデモ隊を圧迫し始めたという。

 

実は、ジョンエさんとジョンチョルさんは、初日以外はデモに参加することはなかった。兄妹の安全を気遣った両親が、事件に巻き込まれるのを避けるべく、地方に送り出したのだ。さらに、ジョンエさんは、入院中だった家族の看病を任され、ずっと病院の中にいることに。テレビや新聞では一切、光州の街の様子を報じない。「ただ、病院に運ばれてくる市民たちの凄惨な姿や周りの人々の口コミから、何が起きているのかは察していました」

ジョンチョルさんは言う。

「多くの韓国人が光州事件の全貌をわずかながら知ったのは、民主化の時代に入った1990年代以降のことです。それまでは軍事政権が隠していたのです」

(5.18記念財団が光州事件の記録写真をまとめた映像「5.18偉大な遺産」)

今も続く真相解明の努力

光州広域市の資料によると、公式に確認された死亡者は155人、負傷者、連行、拘束者などは4634人。ただ、実際の数はもっと多いという声もあり、正確にはどれくらいになるかは見当がつかないという。

事件で命を落とした人々が埋葬された国立5.18民主墓地を訪れると、広い敷地に立ち並ぶ墓標の中に、全南大学学生会長パク・クァンヒョンさんの名前があった。小さな白黒写真の引き締まった表情からは意志の強さがにじみ出ていた。

「当局の取り締まりが厳しくなると、パクさんは光州を離れて逃れたのですが、2年後に内乱を起こした容疑で逮捕されました。抵抗し、40日間ハンガーストライキをした末に、亡くなったのです」と、ジョンエさんが教えてくれた。

韓国では今、光州事件は火種となった日付から「5.18民主化運動」(略して5.18)と呼ばれている。

日本からの訪問団に、自らの体験を吐露したジョンエさんだが、実は、公の前で5.18について語るのは初めてだったという。

「友だち同士でも、あの日について話すことはほどんどありません。なぜか誰も語ろうとしないのです」

現在の全南大学正門前(2018年11月 著者撮影)
現在の全南大学正門前(2018年11月 著者撮影)

 一方、新たな動きもある。2017年に政権に就いた文在寅大統領は、光州事件の特別検証委員会を設け、再調査に乗り出したのだ。政治学者のジョンチョルさんは、検証委員会の委員を務めている。

旧全羅南道庁の前でジョンチョルさんは、近くにあるビルに残された弾痕をめぐる疑惑について語った。2016年末、10階部分に177発もの弾痕が発見されたという。なぜ最上階にそんなにも多くの銃撃の跡があるのか。

「『事件当時、軍部によるヘリコプターからの射撃があった』とも言われてきましたが、軍部は『そんなことはありえない』と長いこと否定してきました。ところが、証拠となる弾痕が見つかったため、現在再調査を進めているところです」

そうジョンチョルさんが語ってから3か月後の2018年2月。韓国国防省の特別調査委員会が、当時軍のヘリコプターが上空から市民に無差別に機銃掃射を加え殺害していたことを確認したと発表。この行為は「虐殺だった」と認めたと、ニュースで報じられた。ジョンチョルさんら市民と文政権の真相解明の努力が一つ実った形だ。

1980年5月、光州で何が起きたのか――。事件から39年を経て、今も多くの謎や議論を残す光州事件。現場を訪れ、そこに生きる人々の思いを知ると、ひとりひとりの「真実」が見えてくる。

光州事件の現場は今

 現在、光州広域市は約150万の人口を擁す、韓国第6の都市。大手企業の工場と新しいマンションが立ち並ぶモダンな雰囲気。中でも錦南路と旧全南道庁の一帯は、オフィスビルや商店が立ち並ぶビジネスエリアとして発展している。

錦南路

(著者撮影)
(著者撮影)

映画「タクシー運転手」でピーターがビルの屋上からカメラを回し戒厳軍と市民の衝突を取材した場所が、全南道庁前の大通り錦南路だ。5月18日カトリックセンターの前で最初の学生座り込みデモが起き、翌日には2000人~3000人の市民たちが集まった。20日夕方には、タクシーを中心に100台以上の車が参加した大規模デモが起きた。毎年5月20日を「5・18民主運転手の日」とし、錦南路では当時の車両デモを再現する行事が開かれている。

旧全南道庁

(著者撮影)
(著者撮影)

武装した市民が立てこもった拠点。前の広場(5.18民主広場)にある噴水の周りに集まって大規模な集会を開催し、軍事政権の終焉と民主化を要求した。5月27日夜明けには戒厳軍の武力鎮静に対抗し戦うも制圧された、最後の抗戦の地。

尚武館

(著者撮影)
(著者撮影)

旧全南道庁のそばにある、道場として使用されていた施設。戒厳軍に殺害された市民たちの遺体安置所となった。当時、行方不明になった家族を探す多くの人であふれたという。

国立5.18民主墓地

(著者撮影)
(著者撮影)

韓国が民主化された後、1993年に旧墓地に埋葬されていた人々を新たな墓地に移す計画が発表され、1997年に完成。悲劇の歴史を繰り返さないための教育の場としても活用されている。写真は、全南大学学生会長パク・クァンヒョンさんの墓。

5.18旧墓地

(著者撮影)
(著者撮影)

市民たちが遺体を手押し車に乗せて運び埋葬した別名“望月洞の墓地”。2016年1月25日に逝去したヒンツペーター氏(「タクシー運転手」ピーター役のモデルとなった実在の人物)の遺言に基づき、この場所には彼の髪の毛と爪を納めた碑が作られている。

参考資料

「5.18民主化運動」(光州広域市5.18民主化運動記録館)

「光州の5月を歩こう」(全南大学校文化専門大学院場所マーケティング研究センター/5・18記念財団)

「少年が来る」(ハン・ガン著 井出俊作訳/クオン)

「韓国語学習ジャーナルhana Vol.24」(HANA)

(映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」劇場用パンフレットに寄稿した文章に加筆修正しました)