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イスラム過激派はわざわざ「日本人」を狙わない ~ただし、日本人だからといって安全ではない

黒井文太郎軍事ジャーナリスト
各地域でのテロの危険度を伝える外務省のサイト

的外れな言説が目立つ「テロ問題」

バングラデシュでイスラム過激派のテロが発生し、7人の日本人の方が犠牲になりました。それで日本の報道の一部、あるいはネット上の議論において、「日本人が標的になっている」との言説を散見します。また、襲撃の際におひとりの方が「私は日本人だ。撃たないでくれ!」と言ったということが報道されたこともあって、「日本人は以前はイスラム過激派の標的ではなかったが、最近は標的になった」「日本はいまや米英並みに敵視されている」などの議論も目にします。

こうした認識から、「日本でもイスラム過激派によるテロが起きる!」との声も聞かれます。

こうした言説はセンセーショナルなものなので、拡散されやすいですが、イスラム過激派の動向から検証すると、いずれも的外れです。

イスラム過激派がイメージする「十字軍(=敵)」に日本は入っていない

まず、これは海外で暮らした経験のある方、あるいは多くの在日外国人の方には心当たりがあるかもしれませんが、日本のメディアで報じられるほど、海外では日本はそれほど関心をもたれていません。イスラム世界も同様で、「外国」といえばまず欧米諸国を、「外国人」といえばまず「欧米人」をイメージします。

IS(イスラム国)もアルカイダも戦争の相手として「十字軍」という言葉を多用します。「非イスラム教徒中心の欧米諸国」のことです。彼らが戦っているのは、「欧米人の異教徒」です。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、その他の欧州諸国、カナダ、オーストラリア、それに今ならISと戦争状態にあるロシアも入ります。

また、ISとその支持者は、明確に「背教者」も攻撃対象とします。同じイスラム教徒でも、宗派の異なるシーア派、さらには同じスンニ派でも、ISの軍門に下らないすべてのイスラム圏国家の政府当局、あるいはISに同調しないすべてのイスラム教徒も「敵」と見なされます。

かつてイラク戦争後の復興支援に自衛隊がイラクに入っていた頃、ウサマ・ビンラディンが発表した声明の中で、敵リストに日本が入っていたことがあり、「アルカイダが日本を狙う!」と騒がれたことがありました。しかし、それは有志連合をリストアップしただけのことで、日本などその末席に過ぎません。

当時、筆者は日本でアルカイダのテロが起きる可能性について、一貫して「その可能性は限りなく低い」と発言してきました。日本などイスラム過激派の眼中にないとの実感があったからです。

日本人人質事件が起きたから出てきた対日テロ予告

また、昨年1月にジャーナリストら日本人2名の身代金をISが要求する事件が起きた際、ISは日本政府を批判し、公式に日本人に対するテロを予告しました。

しかし、それで実際にIS支持者が日本を狙い始めたかということ、そうではありません。イスラム過激派系のSNSでは、日々、欧米諸国を批判するメッセージが大量に流れていますが、「日本」を非難するメッセージなどほとんど皆無です。誰も話題にすらしていません。

つまり、誰も「日本」「日本人」など意識していないのです。昨年からのISの対日脅迫は、まず彼らが日本人を人質にとり、身代金をとろうと考えたことから出てきた話にすぎないわけです。

ISとその支持者は現在、イスラム国家を建設するという目的のために、強大な敵である「十字軍」と命がけの戦争をしているつもりでいます。我々が「テロ」と呼んでいることを、彼らは「ジハード」と呼んでいますが、彼らも自らの命を捧げてジハードをしようというときに、わざわざ敵陣営でも末席にいる東洋の国を攻撃しようとは発想しません。

どんな世界にも変人はいますから、可能性がゼロとは断言しませんが、IS支持者が欧米諸国をさしおいて、わざわざ日本、あるいは日本人を狙うことは、ほとんど考えにくいことです。

日本国内でテロが起きない理由

そうしたことから、日本人を狙うテロはまず起こりませんが、日本にいる「十字軍」の国民を攻撃することは、彼らの言うジハードとしての価値があります。しかし、それも現実にはまず起こりません。

なぜなら、日本ではイスラム系移民社会が未発達で、過激派分子が存在しないからです。IS支持者のテロは、志願者がいる国で起きます。日本には、イスラム系移民のテロ分子はいません。

唯一あるとすれば、日本人の異常犯罪者が、通り魔的な暴発の口実を、流行のイスラム過激思想にこじつけるようなケースでしょう。ただし、その場合はもはやイスラム・テロではなく、単なる犯罪です。

ただし、一見して「異教徒の外国人」である日本人は、標的から除外はされない

ただし、イスラム過激派がわざわざ日本人を狙うことはなくとも、日本人だからテロ標的から除外されるということもありません。IS支持者の攻撃目標は「異教徒の外国人」であり、日本人は一見してその条件に合致します。

たとえば、これまで「異教徒の外国人を狙ったイスラム過激派のテロ」に日本人が巻き込まれた例はいくつかありましたが、「日本人」との理由で攻撃されなかった例はありません。かつては97年のエジプト・ルクソールでのテロ、あるいは13年のアルジェリア天然ガス施設襲撃、15年のチュニジア博物館襲撃、さらに今回のバングラデシュの事件も、いずれも日本人は一見して「異教徒の外国人」であることが明白なため、真っ先に殺害されています。

つまり、「日本人だ」ということで優先的に狙われることはなくとも、攻撃対象である「異教徒の外国人」の中には含まれるということなのです。それは、97年のルクソール事件で明らかなように、なにも最近になって始まった話ではありません。安倍政権が対IS有志連合に経済分野で加わったり、小泉政権がイラク復興有志連合に自衛隊を派遣したりしたタイミングより、ずっと以前からのことなわけです。

個人でできるテロ防御法はほとんどない

さらに、「どうすればイスラム過激派のテロを回避できるか」というテーマに関しても、現場感覚に乏しい言説を散見します。

たとえば、非イスラム教徒なのにイスラム教徒に成り済ますというのも、現実にはまず無理でしょう。イスラム教徒にとって最も重要な「信仰告白」(シャハーダ)、あるいは礼拝時に読誦するコーランの第1章「開端章」(アル=ファーティハ)という短い文言がありますが、それらを唱えることができれば助かるかもしれないかというと、テロリスト相手にはおそらく通用しません。そんなことだけでイスラム教徒に成り済ますことは不可能です。

テロリストに襲撃されることを想定して、建物の出入り口を確認するとか、常に怪しい人物を警戒するとかいうのも、非現実的です。現地では人々は普通に暮らしており、そんな中で人は、自分だけ常に緊張感を持続し、警戒し続けることなどできません、テロに遭ったら、まずは逃げること、そして人質になったら相手を刺激しない、目立たないことが基本ですが、それでも残念ながら運次第です。

結局、個人にできる防衛法など、ほとんどありません。テロを防ぐのは、それよりも各国の治安・情報当局の仕事です。テロの徴候を掴み、未然に防ぐ。具体的なテロ計画が察知されたら警報を出す。実際にはそれもなかなか難しいのが現状ですが、それでもそうした取り組みを強化する以外にありません。

危険情報も現実にどれほど有効かは疑問

日本外務省では海外安全ホームページを作成していますが、大雑把なものです。もちろんゼロリスクを求めるなら、こうした情報をみて、「危険度が高いところには行かない」のもひとつの対策です。

メディアとしても「危険なところは注意が必要」と言うだけなら簡単なのですが、しかし現実には、対応は非常に難しいのではないでしょうか。

今は世界中のイスラム圏、あるいはイスラム系移民社会の存在する国は、どこでもテロが起こりえます。現在、日本の援助機関や企業の人員がバングラデシュから退避する動きがありますが、バングラデシュと同レベルに危険な場所はいくらでもあります。テロの危険があるところには行かないということであれば、行ける場所はほとんどなくなってしまいます。

現在、イスラム過激派のテロは大流行期といっていい状況であり、今後も世界各地で「異教徒の外国人」を狙うテロが頻発することは確実ですが、戦場や無法地帯でなければ、年がら年中、同一の場所でテロが起きているわけではありません。観光旅行はともかく、仕事その他の所用がある人の場合、「まったく行かない」ことを継続するというのも、現実には困難でしょう。

ただし、もちろんゼロリスクは不可能です。残念ですが、今はまさにそういう状況なのです。

軍事ジャーナリスト

1963年、福島県いわき市生まれ。横浜市立大学卒業後、(株)講談社入社。週刊誌編集者を経て退職。フォトジャーナリスト(紛争地域専門)、月刊『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て軍事ジャーナリスト。ニューヨーク、モスクワ、カイロを拠点に海外取材多数。専門分野はインテリジェンス、テロ、国際紛争、日本の安全保障、北朝鮮情勢、中東情勢、サイバー戦、旧軍特務機関など。著書多数。

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