日本型雇用の限界と再生への道【柿沢未途×倉重公太朗】第1回

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今回のゲストは、衆議院議員の柿沢未途さん。東京大学法学部卒業後、NHK記者を経て、父である柿沢弘治元外務大臣の秘書を務めました。父の食道がんの闘病生活を支えた経験から、国会議員になってすぐに在宅緩和ケアの医療制度改革にも取り組みます。ジャーナリスト時代から培ってきた「答えは現場にある」という信条をもとに、遠方にも足を運び、多くの方から直接話を聞くことを大切にされている柿沢さん。そんな彼に、制度にほころびが出てきた「日本型雇用」の限界点と再生について伺いました。

<ポイント>

・NHKの記者から政治家を志した理由

・大企業ほど、社員のニーズに合った働き方を認める傾向にある

・これまで「労働生産性」のネックになっていたものは?

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■精力的に取材を行い、国会の質問回数ナンバーワン

倉重:今回は衆議院議員の柿沢未途さんにお越しいただいています。国会議員の方は初めてです。大変恐縮ですが自己紹介からお願いできればと思います。

柿沢:よろしくお願いします。ご紹介をいただきました衆議院議員の柿沢です。2009年の衆議院選挙で初当選をして、現在4期目となります。政党は所属せず、会派には入っていますが、比較的、独立性の高い政治活動をしているところです。

私はもともとNHKの記者をしていました。NHKの長野放送局で1998年の長野冬季オリンピック・パラリンピックの取材をしたり、事件事故の現場取材をしたりしていました。「記者出身」ということを非常に大切にしていまして、現場に赴いたり、あるいは専門家の話を聞いたりしながら、国会での質問を組み立てています。この10年間に国会質問を計350回ぐらいさせていただき、国会質問回数ナンバーワンという時期もありました。

国会では、自分の専門外のことであっても、専門家であるかのように政府の方々に対して質問しなければいけません。仮に原発事故が起きたら、原発のことについて調べる必要があります。そういう意味では、ジャーナリストや記者としてのスキルを生かして活動していることを自覚しています。幅広い分野を取材し、国会質問をさせていただいた成果として、この度『柿沢未途の日本再生』という本を出させていただきました。

倉重:私と初めてFacebookでお話したのも、コロナによる休業補償や、労基法上の休業手当、それに対する助成金についてご質問いただいたのがきっかけですね。

柿沢:はい。私自身の「取材」活動の一環として、面識もないのに、直メールさせていただきました。私自身も厚生労働委員会にいたことがある雇用労働分野の専門家です。今回はいろいろな話ができること楽しみにしてまいりました。

倉重:ありがとうございます。『柿沢未途の日本再生』を私も読ませていただきましたけれども、やはり今は先行きが見えない時代なので、みんな不安に思っています。政治家が「日本はどこへ向かうのか」ということを示すのはすごく大事ですよね。

柿沢:そのとおりだと思います。日本のコロナの感染者数や重症者数、死亡者数は、アメリカやブラジル、インド、欧米諸国と比べれば、1桁どころか2桁も少ないわけです。けれども、安倍政権時代に「その国の政治リーダーに対する信頼度」を調べてみたところ、アメリカやヨーロッパよりも日本のほうが低くなっていました。このような状況になってしまったのは、政治家が確信を持って、国民に対してメッセージを届けることができなかったからです。むしろ周章狼狽して、どうしたらいいか分からないかのように見えてしまったことが、国民の不安を高めてしまった要因だと思います。未来をとりまく不安に対して答えることが、政治の今の役割だと思います。

倉重:全くそのとおりです。ぜひこの対談を通じて、今後の向かうべき道というのを少しでもお聞きしたいなと思っています。その前に、毎回皆さんのキャリアを伺っているのです。柿沢さんは最初から政治家を志望されていたのですか?

柿沢:父が大蔵省から政治の世界に進んで、最終的には外務大臣を経験しました。都知事選挙にも出ていますので、当時はそれなりに知られた政治家でした。その仕事を見ていた学生時代の私は、政治家になるつもりはありませんでした。

倉重:そうなのですか。

柿沢:非常に大変ですし、一種のカリスマ性のようなものが必要です。高校生、大学生のころの私にはそういうものがないし、身に付くとは思えませんでした。むしろ社会を外側から論評するような仕事がいいと思い、ジャーナリスト・記者の仕事を選んだ経緯があります。

倉重:なるほど。それでは政治とは違う世界に行こうと思ったのですね。

柿沢:言論を通じて社会に関わっていくというアプローチが、自分には向いているのではないかと、またそのくらいしかできないのではないかと思っていました。ただ、父が平成11年(1999年)の都知事選挙に出馬したときに、当時、所属していた自民党を除名されてしまったのです。そのとき義侠心に駆られて、NHKに辞表を出し、長野から東京に戻って選挙を応援することにしました。

倉重:そういう経緯だったのですか。勢いですね。

柿沢:はい。まだ20代で、若気の至りですね。でもそういう意味では、ジャーナリストという外側の立場か、政治家という内側の立場かに違いがあるにせよ、社会の理不尽な状況に対する問題意識は旺盛で、何かしたいと思っていました。今ジャーナリスト・記者出身の政治家として仕事ができているのは、ある意味ではよかったと思います。

倉重:NHKは何年ぐらいお勤めになったのですか。

柿沢:オリンピックを挟んで4年半ぐらいですから、「記者としてこうです」と胸を張れるほどでもありません。東京で政治部や経済部、社会部といった所に行く前に終わっています。

倉重:最初は地方ですものね。

柿沢:はい。当時の先輩方に基礎をたたき込まれて、非常に良い経験をさせていただきました。

倉重:では計画的にというわけはなく、義憤に駆られてNHKを飛び出して、お父さまの応援へ行かれたということですか。

柿沢:そうです。

倉重:その後、ご自身が立候補するまではどのくらいかかったのでしょうか。

柿沢:都知事選挙で父が落選し、翌年、2000年(平成12年)に無所属で衆議院選挙に当選しました。その翌年、2001年(平成13年)に、無所属で東京都議会議員選挙に出て、初当選したのです。2期目の途中で酒気帯び運転で事故を起こすという本当に恥ずかしい不祥事により議員辞職しました。そこからは京都と滋賀の禅寺で修行生活を送るという、まるっきり違う日々を送ることになります。。

その間に、食道がんで闘病していた父が亡くなってしまったのです。父の葬儀で渡辺喜美先生と出会い、「結党する新党(みんなの党)から衆議院選挙に出ないか」と声をかけていただきました。スキャンダルで都議を辞めた坊主の男が、衆議院選挙の比例で引っかかって初当選をしてしまうという、普通では考えられないライフヒストリーで国会議員のバッチを付けています。

倉重:ジェットコースターのような展開ですね。

柿沢:そうですね。いろいろな人に迷惑をかけました。。

倉重:でもせっかく場がある以上は、何かしたいということですよね。

■選挙区の雇用情勢は?

倉重:選挙区で言うと、東京の江東区ですよね。

柿沢:江東区です。江戸から続く神社仏閣もありますし、南のほうは豊洲もあって、本来であればオリンピック、パラリンピックが盛大に開かれていた競技施設会場が立地しています。今はタワーマンションがニョキニョキ建っているベイエリアです。神輿で知られるトラディショナルな下町と、タワーマンションが立ち並ぶ港区のような雰囲気の両方があります。

倉重:柿沢さんの活動を拝見していると、かなり地元の方と交流されているように見えました。緊急事態宣言は明けましたけれども、まだまだ不安感があります。そういう中で地元の雇用情勢はどのような肌感覚ですか。

柿沢:たくさんの人を雇用している大企業と、江東区の街の商店街とは違うところがあります。「清澄白河」という名前を聞くと東京の方はイメージができるかもしれません。ブルーボトルコーヒーの第一号店が来たり、話題の店ができたりして、テレビでも取り上げられています。飲食業をされている方々は、緊急事態宣言以降に非常に厳しい状況に置かれていると思います。ただ、このエリアに新しくお店を開く世代の飲食店経営者は、地域の方とつながろうとする人が多いです。徒歩圏内に顔なじみのお客さんを持っていて、ローカルにつながっています。ですから緊急事態宣言中も後も、地元の方が「応援しよう」とテイクアウトしてくれたり来店してくれたりして、それで助かっていた面がありました。都心の中央区や千代田区、港区と違って、住宅街の中にお店があるので、在宅ワークが増えれば増えるほど、そこに人がいるようになるのです。「せっかくだから馴染みのお店へ行こう」ということで足を運ぶ方も多かったようです。

 それでも、私の肌間隔で言うと、夏以降になってから、特に東京都が「飲食店の営業は22時まで」という規制を始めて以降、一段と厳しい状況になったような気がします。「夜のお客さんが戻らない」という声をよく聞きます。やはりお酒が出ないと飲食店というのは経営が成り立たないですからね。

倉重:お酒は利益率が高いですからね。

柿沢:持ちこたえられずに閉店するお店がだいぶ出てきています。菅義偉総理になって、早期解散の可能性が出てきたときに、選挙事務所として一時的に借りられる目抜き通りの空き店舗を探したんです。例えば永代通り沿いの門前仲町で空き物件を探そうと思っても、これまでだったら、なかなか見つからないんですよね。一等地ですから。でも今回は、「ここもある」「ここもある」と数多くの空き物件が出てきました。そういうことでも街場の景況感の厳しさを肌で感じています。

倉重:選挙事務所は、その都度探すものなのですね。

柿沢:いきなり解散になるので。いつ選挙があるのか分かりませんから。

倉重:確かにずっと置いておくものではないですね。

柿沢:そのタイミングで空いている物件をぱっと押さえなければいけませんので、本当に大変なのです。そのとき空き物件がすぐ見つかるか、なかなか見つからないかで、街場の景況感がある程度分かります。

■働くことの意識はどう変わったか

倉重:江東区は都心部のほうに勤務されている方もたくさんお住まいになっている地域です。柿沢さんはそうした方々とも話す機会が多いのではないかと思います。テレワークが増えていて、働くことに対する意識はどう変わっていますか?

柿沢:在宅で仕事ができる方々にとっては、仕事と家庭生活の両立が、思わぬ形で実現するようになりました。大企業であればあるほど、社員の方々のニーズに合った働き方を認める傾向にあります。能力のある人を働き方の鋳型にはめて、退社に追い込んでしまうと、同レベルの人材が確保できるかどうか分かりません。一部上場企業で活躍されている社員さんに聞くと、「この際東京を引き払って、首都圏近郊の空き家をリノベーションして、仕事をしよう」ということで、一家そろって出て行ってしまうことが実際に起きています。5月以降、東京に転入する人より東京から転出する人が増えて、数十年ぶりに転出超過へと逆転しました。とくに流出が多かったのが30代の子育て世代です。エリートの世界の話かもしれませんが、場所を選ばず働くことができて、なおかつ企業が引き止めたいと思っているような人は、比較的自由な働き方ができる状況になっているようです。

倉重:郊外のほうへ行ってしまう子育て世代がいるというところですかね。雇用情勢という意味では、やはり下支えしているのは、今の雇用情勢助成金の特例というのは非常に大きいと思います。この特例は年末まで延長されましたが、年明け以降はどうなるのでしょうか。

柿沢:先のことまで見越して対応できる余裕があるのは、相当大きな企業さんではないかという気がします。中小企業にとっては、目先をどのようにしのいでいくかという部分がかなり大きいです。

一方で、テレワーク、リモートワーク、在宅勤務が進んでいく中で、「この人は会社として本当に必要な人だったのか?」というある種クールな疑問が湧き上がってきています。「もしかしたら、この人はいなくても会社は普通に回るのではないか」という疑問を抱えたまま、収益が圧迫されていくとどうなるでしょうか。場合によっては、雇用情勢助成金の特例が終了した後に、本当に必要な人材だけを残してリストラすることになりかねない気はします。

倉重:そうなのですよね。この間も失業者が6万人と報道されていましたけれども、私の感覚からしても、まだまだ助成金でつないでいるので、本格的なリストラはしていないという印象なのです。助成金が止まると、いよいよリストラが増えていくはずです。選挙までは延長するのではないかといううわさもありますが。

柿沢:私も「労働保険特別会計の積立金は何兆円も積み上がっている埋蔵金だ」ということをずっと言ってきました。コロナ危機下において、この積立金の消費が加速しています。「寛大なばらまき」と言えば心苦しいですが、これがずっと続けられるかなということは少し気になります。

倉重:いつまでも点滴注入という形で資金供給をし続けるわけにはいきません。どこかで止めなければいけませんからね。

柿沢:日本は、特にサービス分野において労働生産性が低いことが課題だといわれてきました。「少ない人員で高い付加価値を提供する」ということが労働生産性の計算の根本だとすると、寄与しない人を企業内に抱え続けてきたことが、数字上の労働生産性が上がらない理由になっていたと思います。デービッド・アトキンソンさんの言うように、生産性を上げようとすれば、必要ない人をどんどんカットしていく流れになっていきます。総理のブレーンがアトキンソンさんであることを見ても、今後の政府の政策はそのような方向に向かっていく気がします。

倉重:そこはどう思いますか。今のアトキンソンさんの話ですが、本を読むと中小企業は再編すべきとおっしゃっているではないですか。中小企業や零細企業は全部つぶして合併させるというのは少しきつくないですか。

柿沢:きついと思いますけれども、このまま温存して維持し続けられるかという問題はあります。かなり多くの中小零細企業は、そもそも次の経営者がいないわけです。黒字廃業が相次いでいて「経営としては成り立つけれども、後を継ぐ人もいないのでこの辺でやめておくか」みたいなことが、とくにコロナの状況下において増えている感じがします。経営に行き詰って廃業するというよりは、何か「もうそろそろいいよね」と肩の荷を下ろしている会社が増えている気がするのです。意図的にはないにせよ、生産性を上げるための好機が来ている面があるかもしれません。

倉重:正直に今のお話はすごく重要で、「昭和の時代の働き方を変えよう」というのが働き方改革です。おっしゃっている生産性を上げるというところは非常にキーになってくると思います。

(つづく)

対談協力:柿沢未途(かきざわ みと)

■昭和46年(1971年)1月21日生まれ

 江東区立数矢小、麻布中・高、東京大学法学部 卒業

■NHK記者として長野冬季オリンピック・パラリンピックを取材

■都議2期、衆院4期連続当選

■初当選以来、所属政党の政調会長や幹事長を歴任

■文藝春秋「日本を元気にする125人」に選ばれる

■国会質問ナンバーワン議員として知られ、2020年6月までの国会質問回数は334回

■NPO法人による国会質問評価で★★★3ツ星議員を4回受賞

■政治団体「新エネルギー運動」代表として、RE:100(自然エネルギー100%)の日本をつくるために政策提言中

■防災士の国会議員としても知られ、3.11の震災をはじめ被災地に数多く足を運んでいる

■禅寺修行で自らを見つめ直し、「本来無一物」を座右の銘とする