黒田日銀総裁の見方は正しいのか
「非伝統的金融政策の実践と理論」という興味深いタイトルの講演要旨が日銀のサイトにアップされた。まるで教科書のようなタイトルであるが、これが黒田日銀総裁の国際経済学会の第17回世界大会の講演のタイトルであった。これは英語のスピーチであり、原題は「The Practice and Theory of Unconventional Monetary Policy」となっている。
ここでは日本語に訳されたものから見てみるが、なかなかに興味深い。その内容はこれまでの日銀の非伝統的金融政策の歴史とその検証からスタートしている。日銀の非伝統的金融政策は1998年9月に政策金利が0.25%とゼロ近傍に低下したあたりが序章となった。
1999年2月にゼロ金利政策が決定され、2000年8月のゼロ金利解除、2001年3月の量的緩和政策とフォワードガイダンスの導入、2006年3月の量的緩和政策の終了とその後の利上げ。2010年10月の包括緩和政策の開始、2012年2月の中長期的な物価安定の目途の導入と続いた。
しかし、これらの政策は家計や企業に根付いたデフレ期待を転換するには至らないと黒田総裁は指摘し、その理由としてウッドフォード教授と当時IMFのエコノミストであったエガートソン氏の指摘を紹介している。
その指摘とは「最も重要なことは「民間主体の期待形成に働きかけること(expectation management)」であり、そのためには将来の金融政策を十分緩和的にするというコミットメントが不可欠である点であった。この際に、「単に量的緩和の目標額を拡大したり、買い入れる資産を多様化したりするだけで効果をあげることはできない」と指摘していたそうである。これは早めにECBのドラギ総裁に言ってあげると良いかもしれない。
黒田総裁は日銀の過去の政策を振り返り、2つの要素が足りなかったのではないかとしている。過去の政策に足りなかった第1の要素は、物価安定への強いコミットメントだそうである。2001年に開始した量的緩和政策で設定した閾値はゼロ%と低いものであり、結果的にみれば早めの解除になってしまったとしている。これで日銀が「デフレファイター」としての信認を十分に得られなかった原因となってしまったそうである。
その後の「中長期的な物価安定の目途」についても、設定された数値は1%と低いものであり、このように物価安定へのコミットメントが弱かった結果、期待への働きかけが十分ではなく、民間主体に根付いたデフレマインドを払拭することはできないとしている。
そして、過去の政策に足りなかった第2の要素は、イールドカーブ全体への押し下げ圧力としている。
そもそも1999年2月のゼロ金利政策は長期金利上昇抑制が目的であったし、2001年の量的緩和政策は2003年6月に超長期債の利回りが1%を割り込むまで低下して、VARショックと呼ばれた国債相場の急落を迎えたような気がするのだが。
「グローバル金融危機後に実施されたFRBとイングランド銀行による長期国債の大量買入れは、その後の研究で効果的であることが実証されており、中央銀行の実践が理論の発展に先行した例であると理解しています。」(黒田総裁)
どこにそのような実証研究結果があるのか。確かに中銀関係者が個人名義で出したレポートはあったと思うが、それでも具体的に効果があったかどうかははっきり示されておらず(関連と見られるレポートには、単なる偶然かもしれない、とのコメントもあり)、景気の押し上げ効果などに寄与した可能性が推計された数字で示されていただけのような気がする。もしやどこか知らぬところに別の研究成果があるのか。
そもそもFRBとイングランド銀行は、物価安定へのコミットメントを強めるような政策を採用したであろうか。「非伝統的金融政策の実践と理論」というタイトルにしては、実践結果と理論の裏付けに具体的な証拠が示されていない気がする。
日銀の量的・質的緩和により、人々のインフレ予想は全体として上昇し、日銀の巨額の国債買い入れは10年物長期金利を0.6%程度という低水準に抑制していている点を持って、クルーグマン教授およびウッドフォード教授やエガートソン氏による理論に共通するメカニズムが実践されたとしている。
果たしてそうなのか。ここにきての欧州の長期金利低下も著しいが、ECBは特に国債買入などは決定していない。日銀もECBも手段は異なれど、債券市場参加者の期待に働きかけている、ということなのか。非伝統的金融政策に関する実践と理論の本当の答えが出るのは、それほど時は必要とされないかもしれない。