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2021年ノーベル文学賞の行方は?

鴻巣友季子翻訳家・文芸評論家
(写真:ロイター/アフロ)

ノーベル文学賞授賞式の晩餐会。

騒ぎも少し落ち着いてきたこの頃

今年もノーベル賞発表の時期がやってきた。ノーベル文学賞の発表は10月の初旬の木曜日と決まっており、今年は7日(木)すなわち明日だ。日本時間では午後8時に発表となる。

わたしはノーベル文学賞受賞者への解説待機要員としてこの25年ほど、毎年この賞の動向を眺めてきた。最初のうちはノーベル文学賞といっても、国内での関心は薄く、淡々とウォッチしていた。ところが、2005年、村上春樹の『海辺のカフカ』が米国「ニューヨークタイムズ」の年間ベスト10に選ばれ、2006年にチェコの国際文学賞フランツ・カフカ賞を受賞した頃から、にわかに受賞有力説が浮上し、前報道も過熱していった。

それを後押ししたのが、ネットのブックメイカー(賭け屋)が発表するオッズだった。村上氏はつねに上位に位置し、それが期待を煽ることになった。ハルキストたちが発表当日夜(日本時間)に集って、アナウンスを待つというイベントも定着した。

しかしここ2、3年は村上春樹に関する騒ぎは落ち着いてきた観がある。理由としては、「いくら巷の評価が高くても、ノーベル文学賞には直結しないらしい」という認識が広まったことに加え、国内外で活躍する他の日本語作家にも目が向けられだしたこともあるのではないか。

ノーベル文学賞とは? 基本のおさらいから

どんな作家なら同賞を受賞するのか? 公式サイトには、「文学の分野で、ある理念的な方向性をもち、最も傑出した作品を創りだしてきた者」に授与されるとある。この説明では、どんな著述家にも当てはまりそうだが……。

では、ノーベル文学賞に関して誤解の多い基本のおさらいから。

  1. 授賞対象作品はない。たとえばイギリスのブッカー賞のように、単一の作品に与えられる賞ではない。生涯を通じた功労賞的な側面もある(そのため授賞年齢が高くなりがち)。
  2. 対象国の制限はない。たとえば全米図書賞はアメリカ合衆国で出版された英語作品のみが対象。ノーベル文学賞には作家の国籍、出版国などの縛りはない。
  3. 対象言語の制限はない。何語で創作する作家であれ、候補になりうる。
  4. 候補者は発表されない。最終候補者として5人が選出されるが、これは公表されない。世間で「ノーベル文学賞候補になっている」というのは、すべて「下馬評」のこと。候補者リストは50年後にようやく開示される。

4について付記すると、つい昨年開示された1970年は日本人が2名推薦されていた。石川達三と伊藤整だ。実際に受賞したのはソルヅェニーツィン。

日経新聞

また、川端康成が受賞した1968年も調べてみたら、錚々たる作家たちが推薦を受けていた。一部になるがこんな顔ぶれだ。

  • ソーントン・ワイルダー
  • ジャン・ジオノ
  • アンドレ・マルロー
  • アルベルト・モラヴィア
  • グレアム・グリーン
  • エズラ・パウンド
  • パブロ・ネルーダ
  • サミュエル・ベケット
  • ミルチャ・エリアーデ
  • 西脇順三郎
  • エーリッヒ・ケストナー
  • 三島由紀夫
  • ウラジミール・ナボコフ
  • キャサリン・アン・ポーター
  • パウル・ツェラン
  • ロバート・ローウェル
  • ウジェーヌ・イヨネスコ

川端康成、1968年ノーベル文学賞受賞
川端康成、1968年ノーベル文学賞受賞提供:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

ノーベル文学賞は世界翻訳大賞 エリア・エキスパートの導入

3の「対象言語の制限がない」というのは、かなり大胆なことだ。賞の選考をするスウェーデンアカデミーが世界に何千とある言語の専門家をすべて揃えているわけではない。そのため、選考委員らの専門の語圏が強くなる傾向は避けきれないだろう。

その不公平を是正するため、アカデミーは様々な語圏の専門家10人から成る外部グループを設置し、言語の専門範囲を広げようとしている。公平性の確保のためだと思うが、各人の任期は3年*註)、本人の意思で匿名を選ぶこともできる。しかしこの専門家たちは選考自体には関わらない。

やはり選考委員が読む際には、作品の多くはスウェーデン語、英語と、フランス語などの欧州言語への翻訳で読まれることになる。つまり、繰り返し言っていることだが、ノーベル文学賞というのは、世界最大規模の「翻訳文学大賞」なのである。

ある国、ある言語圏で、ある作家の翻訳が出版されるか否か、高い評価を得るか否か、世に出てから読み継がれるか否か、これらはかなり恣意的な「運」にかかっている。たまたま良い訳者がつき、継続的に翻訳が出れば幸運だが、1冊目の訳書が売れなければ、以降、その作家は紹介されなくなることもある。

翻訳が途切れたり、翻訳者がいなくなったりすれば、その書き手はその国の言語界で消えてしまうといっても過言ではない。同賞の2人めの女性受賞者であるイタリアのグラツィア・デレッダや、3人めのノルウェーのシグリ・ウンセットなどは、現在、日本語で読むことは容易くない。

昨年の受賞者でアメリカの女性詩人ルイーズ・グリュックも、日本語訳がわずかしかなかったが、先日、うれしいことに初の邦訳書『野生のアイリス』(野中美峰訳/KADOKAWA)が出版された。グリュックの受賞がなければなかなか出せなかった翻訳だと思う。

フランコ・モレッティという比較文学者は、原文で精読することに対して、翻訳で読むことも「遠読」に含めているが、その伝でいけば、ノーベル文学賞というのは、「世界遠読大会」ともいえる。遠い読みと遠い読みの交点に奇跡的に現れるのが、毎年のノーベル文学賞の受賞者なのだ。どなたが受賞しても寿ぎましょう。

*註)この任期は一度だけ延長される可能性がある。

女性の受賞者はどれぐらいいる?

今年は女性の受賞者にも注目してみたい。

ノーベル文学賞は1900年に始まり、2020年時点で全受賞者は117人、そのうち女性は16人なので、全体の13.7%に留まっている。

最初の女性受賞者は1909年、同賞の主催国スウェーデンの作家セルマ・ラーゲルレーヴだ。日本でも『ニルスのふしぎな旅』などの児童文学作品でよく知られている。

福音館古典童話シリーズ39 セルマ ラーゲルレーヴ (著), ベッティール・リーベック (イラスト), 菱木 晃子 (翻訳)
福音館古典童話シリーズ39 セルマ ラーゲルレーヴ (著), ベッティール・リーベック (イラスト), 菱木 晃子 (翻訳)

そこから第二次大戦終戦の1945年までに、5人の女性受賞者がいる。

1938年は、中国に生まれ育ち、『大地』で中国の暮らしを描いたパール・バックだった。この選出はアメリカに衝撃をもたらした。当時の有力候補に違いないセオドア・ドライサーやシャーウッド・アンダスンを差し置いて、元宣教師の、しかも女性に、世界最高峰の文学賞を授与したのか!と。

中国は中国で、中国人作家がまだ受賞していない大きな賞を、中国のことを書いたアメリカ人がさらっていくとは、という憤懣があった。ここにもまた選考における言語的不均衡と不公平さがあり、スウェーデンアカデミーに中国語を解する選考委員がようやく加わるのが、その50年後の1988年である(ところで、日本文学に精通し日本語が堪能な選考委員は現在いるだろうか?)。

次に5人めの女性受賞者が出るのは、1945年、第二次世界大戦終結直後になる。バスク系チリ人のガブリエラ・ミストラルだ。ラテンアメリカ初の受賞者は、同じくチリの詩人パブロ・ネルーダではなく、この女性詩人だったのかと、このたび認識を新たにした。15歳で学校教師となり、のちには「ラテンアメリカの母」と呼ばれた人だ。

さて、次が驚いた。1966年のネリー・ザックス(ドイツ出身のスウェーデンの詩人)まで、なぜか21年間も女性受賞者がいないのだ。1950年代はゼロである。

さらに驚くのは、1966年の次が25年後、南アのナーディン・ゴーディマが受賞した1991年だということ。この空白は、今回よく調べてみて初めて気がついた。ゴーディマまで来ると、その後の受賞者は全員よく憶えている。

第二次大戦後から1990年代まで、女性受賞者は2人のみ

この事実はなかなか衝撃的だった。

1950年代後半から1970年代前半にかけては、第二波フェミニズムの運動が展開され、女性の社会進出と解放が推進された時代だ。その後にさまざまな反動があったとしても、1970年代、1980年代に女性作家への授与が一切ないというのは、どうしたことだろう。

うーん、シモーヌ・ド・ボーヴォワールは1986年に他界か……。キャサリン・アン・ポーター(1960年代に5回も候補に挙がっている)や、マルグリット・ユルスナール、マリアン・ムーア、ナタリー・サロートらも推薦を受けていたようだが。

1971年から先は候補者の開示がないのでなんとも言えないが、この「空白」はスウェーデンアカデミーがいかに俗世の時流を顧みない組織であるかを物語っている気もする。こうした受賞者の男女差は、そもそも作家に男性が多い、候補の推薦者 *註)に男性が多い、アカデミーの選考委員に男性が多いという社会構造から来るものなので、意識的に是正しなければ偏ってしまうだろう。

ともあれ、第二次大戦後からの45年間の女性不在ぶりは異様である。なにか理由があったのか、今後、調べてみたい。

*註)推薦権をもつのは、アカデミーの会員、学術院などの会員、文学や言語分野の大学教授、過去の受賞者、作家が組織する協会の長など。たとえば、日本ペンクラブの会長(現在は作家の桐野夏生氏)には推薦を求める通知が行く。

今年の予想は?

ゴーディマから後は数年ごとに女性の受賞者が出ている。以下のとおり。

  • 1993年 トニ・モリスン(アメリカ、小説家)
  • 1996年 ヴィスワヴァ・シンボルスカ(ポーランド、詩人)
  • 2004年 エルフリーデ・イェリネク(オーストリア、小説家、劇作家)
  • 2007年 ドリス・レッシング(イラン出身、イギリス、作家)
  • 2009年 ヘルタ・ミュラー(ルーマニア出身、ドイツ、詩人)
  • 2013年 アリス・マンロー(カナダ、短編小説家)
  • 2015年 スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ(ベラルーシ、ジャーナリスト)
  • 2018年 オルガ・トカルチュク(ポーランド、作家)
  • 2020年 ルイーズ・グリュック(アメリカ、詩人)

さて、最後に受賞予想だが、過去にわたしの予想が当たったのは2回しかない。トルコのオルハン・パムクと、ポーランドのオルガ・トカルチュクだ。今年も当たる気はしないのだが、

  • アニー・エルノー(フランス、小説家)
  • ヨン・フォッセ(ノルウェー、劇作家)
  • ミルチャ・カルタレスク(ルーマニア、作家)

この3人を今年の有力候補として挙げておきたい。さらに、

  • マーガレット・アトウッド(カナダ、詩人、小説家)
  • 小川洋子(日本、小説家)
  • 多和田葉子(日本、小説家)

個人的にはこの3人をとくに応援したいと思う。ちなみに、村上春樹の受賞は少なくとも今年はないと思う。

ブックメイカーのオッズ表はこちら。みなさんも、ご自分の予想を立てたり、「推し」をもったりすると、発表をよりいっそう楽しめますよ。

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アニー・エルノーの代表作『シンプルな情熱』。日本でも大ヒットとなった。

パルコ ハビエル マリアス  (著), 百瀬 しのぶ (著), 砂田 麻美 (翻訳), 木藤 幸江 (翻訳), 杉原 麻美 (翻訳)
パルコ ハビエル マリアス (著), 百瀬 しのぶ (著), 砂田 麻美 (翻訳), 木藤 幸江 (翻訳), 杉原 麻美 (翻訳)

スペインのハビエル・マリアスも「候補」と言われる。彼の小説を映画化したのがビートたけし主演の「女が眠る時」。

参考資料:

Washington Post THE DAY PEARL BUCK AND THE NOBEL COMMITTEE SHOCKED THE WORLD By James C. Thomson Jr.December 22, 1988

遠読――〈世界文学システム〉への挑戦 著者:フランコ・モレッティ翻訳:秋草俊一郎,今井亮一,落合一樹,高橋知之出版社:みすず書房

書評

翻訳家・文芸評論家

英語文学の現代小説から古典名作まで翻訳紹介に努める。訳書はエミリ ー・ブロンテ「嵐が丘」、マーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ」、ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」、マーガレット・アトウッド「昏き目の暗殺者」「獄中シェイクスピア劇団」「誓願」、J・M・クッツェー「恥辱」「イエスの学校時代」など多数。2018年に刊行した著書「謎とき『風と共に去りぬ』」は画期的論考として高い評価を得る。ほかに「熟成する物語たち」、「翻訳ってなんだろう?」など翻訳関連の著書も多い。津田塾大学、学習院大学、 早稲田大学エクステンションで翻訳の教鞭もとる。毎日新聞書評委員。日テレ・CS日テレ番組審議委員。東京都生まれ。

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