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【アジア枠】B1最年少ヤン・ジェミン1年目の試練。「悔しい思いばかり。でも日本に来てよかった」

小永吉陽子Basketball Writer
ヤン・ジェミン/201センチ/1999年生まれ21歳/信州ブレイブウォリアーズ

インタビュー構成・写真/小永吉陽子

韓国語通訳・翻訳/朴康子

アジア特別枠の導入はBリーグの競技力向上とビジネス的背景にどのような影響をもたらすか――。アジア特別枠として初来日した選手の1年目を振り返る。インタビュー第一弾は韓国からやって来た若き21歳ヤン・ジェミン(信州ブレイブウォリアーズ)。

韓国語で「マンネ」という言葉がある。末っ子という意味であり、チームやグループ等で最年少を指す言葉としてよく使われ、「可愛がられる存在」であることを意味する。ヤン・ジェミンはまさしく“信州のマンネ”としてファンから愛される存在だ。B1では最年少の21歳ながらスペインとアメリカでプレーした経歴があり、エースとしてU16でアジア制覇、U17ワールドカップでは韓国をベスト8に導く実績を持って日本にやって来た。

そんな異色のキャリアを誇るヤン・ジェミンだが、ルーキーシーズンは試練の連続だった。コロナ禍によって入国が大幅に遅れ、チームシステムを理解することに時間を費やし、なかなかプレータイムを得ることができなかったのだ。38試合出場、平均9.01分出場、2.7得点のスタッツは決して満足のいく出来とは言えないだろう。

だが、2メートルのサイズでリバウンドに絡み、ボールをプッシュして先頭を走る姿勢からはポテンシャルの高さがうかがえ、シーズン終盤にプレータイムを伸ばす成長につながったことは間違いない。シーズン終了直前に韓国語でインタビューに応じてもらい、勝久マイケルヘッドコーチに彼のルーキーシーズンを評価してもらった。

まだ粗削りで経験が不足しているが、201センチのサイズと万能性は魅力
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ディフェンスができず悔しい思いばかり

――はじめてのプロシーズンを振り返り、率直な感想を聞かせてください。

率直に言えば、とても大変で長く感じたシーズンでした。異国でプレーしたこともありますが、とても長く感じました。途中までプレータイムをもらえなかったから、余計に長く感じたのかもしれません。何よりディフェンスができなくて、プレータイムをもらえなかったことが悔しかったです。

――プレータイムが少なかった理由は、ディフェンスに課題があると分析しているのですか?

僕としては、マイケルコーチ(勝久ヘッドコーチ)の信頼を勝ち取ることが今シーズンの目標にあったのですが、ディフェンス面で信頼してもらえず、プレータイムがもらえなかったことが悔しかったです。韓国の言葉で言うと「自尊心が傷ついた」というか……これまで自分がやってきたことが認めてもらえないような悔しさがありました。それでたくさん練習をして、今では日本に来る前よりはディフェンスが良くなったと思うし、重要性もわかるようになりました。まだまだ足りないところばかりですが…。

――オフェンスの手応えはどうでしたか?

オフェンスに関しては、マイケルコーチが僕の長所を生かしてくれたと思います。ガードとフォワードの両方のポジションを練習して、2対2のピックアンドロールもだいぶできるようになったと思います。

――シーズンを通して成長したと思うところは?

まだまだですが、ディフェンスはシーズン前に比べるとだいぶ上達したと思います。マイケルコーチにたくさん指摘されながら、たくさん教わりました。

――チームシステムを覚えることは難しかったですか?

システムというのはチームによっても、コーチによっても異なってくると思いますが、僕はこのチームのシステムが好きです。信州はピック&ロールが多く、展開の速さとスクリーンプレーが多いことに最初はアジャストできずに手こずりましたが、ピック&ロールはアメリカでもよく使う現代バスケだと思うので、それを徹底してやることは理解しています。信州で学んだことは、いつどこでバスケをしても役に立つシステムだと思います。

悔しい思いがありながらも、日本でいい経験をしていると語る
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自分のリズムを思い出した北海道戦

――4月4日のレバンガ北海道戦では19得点、7リバウンド、3アシストと躍動し、春先からはプレータイムも伸びました。何か良くなってこの活躍につながったのでしょうか?

北海道戦はチームの主力選手がケガをしたので、プレータイムをもらえたんです。いつもだったら限られた時間しかプレーできなかったと思いますが、たくさんプレータイムをもらえたことによって、リズムをつかむことができました。忘れてしまっていた僕のリズムを...。

――北海道戦で自分のリズムを思い出したのですか?

はい。リズムというかゲーム感覚ですね。この試合で中も外もやる僕のリズムが始まった感じで、自信が持てるようになりました。気分が良かったですね。それまでは練習で頑張って(試合に出る)機会を待ちながら、プレータイムのない苦しい時はずっとマインドコントロールをするようにしていました。シーズン終了前に自分のリズムを取り戻せることができて良かったと思います。

――言葉の問題やフィジカル的な問題で壁はありましたか?

先ほど話した通り、フィジカルや言葉の問題よりも戦術やディフェンスのシステムを覚えることのほうが精神的に大変でした。言葉に関しては、僕が英語を話せるので外国籍選手とはコミュニケーションは取れるし、コーチの話してることも理解できます。ただ、ここは日本なので、どうしても韓国語で話せる選手がいないから、選手同士の会話に入っていくことができず、そんな時は少しだけ疎外感というのを感じたりしました。だから、必死に日本語の勉強をしました。今も勉強している最中ですけど。

――ジョシュ・ホーキンソン選手とよく話しているシーンを見かけますが、プロの先輩としてアドバイスをもらったりしますか?

ジョシュは戦術の話というよりも、プロ選手としての心構えとか、日本の文化についてアドバイスしてくれます。たとえば、コート上で自分が納得いかないときにも頭を下げるなとか、日本のプロ選手はこういう心構えで臨んでくるとか、プロ選手は自分で調整していかなくてはならないとか、そういうアドバイスをもらえるので、僕としてはすごく助かっています。信州の先輩たちはみんな優しいですよ。(小野)龍猛さんのことは日本代表として(信州に来る前から)知っていたので、尊敬の意味をこめて「親分」とか「先輩」と呼んでいます(笑)

――大変なことが多いルーキーシーズンでしたが、アジア枠選手として日本でプレーした選択は良かったと思いますか?

それは良かったかというより、正解はないと思います。たとえば、アメリカの大学を選択していたら良かったとかではなく、僕自身が良かったと思えたらいいと思うので。今の結果だけで判断しようとプロに飛び込んだわけではないので、今はまだ判断できないです。ただ、Bリーグを選んで本当に良かったと思ってます。

――どういった点が良かったですか?

自分の将来を考えた時、いい経験ができていると思います。それに、Bリーグがだんだん大きくなっていることをシーズンを通して感じました。今は観客に制限があるにもかかわらず、たくさんのファンの皆さんが観に来てくださったり、またアウェーゲームでもチームごとに環境や雰囲気が違っていたりするので、知らない文化を知ることはとても新鮮でした。韓国では味わえない面白さを感じています。

年齢が近く、英語でコミュニケーションが図れるジョシュ・ホーキンソンは頼れる兄貴のような存在
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プロ2年目はもっと成長できる

――個人的なことを聞きたいのですが、フリースローの時にお辞儀をするのには理由があるのですか? U19ワールドカップで試合を見た時はすでにお辞儀していましたが、いつからしているのでしょうか?

小学生の頃、祖父がいつも試合を観に来てくれたんですが、祖父からいつも「審判にきちんとお辞儀をしなさい」と言われていたので、知らない間にルーティンになってしまいました。だから小学生の頃からですね(笑)

――ジェミン選手は2歳上の兄、ジェヒョク選手(KBL仁川電子ランド)と仲がいいとのことですが、お互いにプロ選手になってシーズン中に連絡を取り合っていたのでしょうか?

兄とはとても仲がいいです。ほぼ毎日電話をしてあれこれ話をしています。KBLではこんなディフェンスをするとか、Bリーグのこともよく話します。お互いの未来についてもどうしたらいいのか?という話もします。僕の背番号も兄が決めたんですよ。

――お兄さんが「27番」を勧めたのですか?

僕は5番と7番が好きなのですが、信州では5番も7番も先輩がつけていたので、背番号をどうしようか考えていたら、兄から「僕が17番だから、お前は27番にしろよ」と言われて決めました(笑)

――高校時代から海外でプレーしてきました。何がジェミン選手のチャレンジスピリットを沸き立たせるのでしょうか?

もっとうまくなりたい気持ちだけです。はじめて日本に来て不安な面もあったんですけど、チャレンジすることによっていろんな選手やコーチから学べるので、海外でプレーしています。Bリーグでもっと試合に出られたらよかったんですけどね。アメリカでも1年目で苦労して2年目で成長できたので、プロ2年目はもっと成長できると思っています。試合に出られないなら海外でプレーする意味はないですから……。だから、もっと頑張るしかありません。

――今後の課題は?

僕はまだまだ不足している部分が多いので、まずこのオフシーズンは身体を鍛えようと思います。自分がやるべき役割というのはチームによって異なると思いますが、身体作りをしておけばすぐにチーム練習に入れるので、もっとウエイトトレーニングをして身体を鍛えます。

 ヤン・ジェミンのルーキーシーズンについて勝久マイケルヘッドコーチは、「まず、ジェミンの成長を評価する前に、彼は大学生の年齢で非常に若く、プロキャリアが日本という外国で始まり、トレーニングキャンプにも参加できず、シーズンが始まってから合流したというタフな状況だったことを考慮しなければなりません」と前置きしたうえで、このように評価している。

「これまでの彼は、アンダーカテゴリー代表やアメリカの大学では中心選手としてやってきたので、プロデビューしてプレータイムが少なかったことは非常に苦しかったでしょうし、一人で外国に来て熱心にやっていることに関しては、人柄を含めて本当にいい青年だと思います。ただ彼には我々のチームを知ることやアジャストする時間が必要でした。

とくに大変だったのはゲームプランを遂行すること。ディフェンスでは役割や遂行力がいかに大事か、ミスを一つすることでどう流れが変わってしまうのか、そうした一つ一つの重要性を覚えることが必要でした。たとえば、スクリーンの際に彼はガードの選手相手にファイトオーバーすることができなかったのですが、彼の長いキャリアを考えれば、絶対にできなければならないディフェンスです。

シーズンを通して彼のプレーを見極めながら、なおかつ成長させてあげたいと使い方を変えていき、不得意なことへの要求を減らしたことでプレータイムが増えました。そこからは成長が見えたことは確かです。4月の北海道戦では中も外も決めてパスもさばいて、マッチアップの中でどう攻めるか理解してやっていたので、見ていて楽しかったです。

2メートルのサイズで2、3、4番ポジションのプレーができる選手は日本にはあまりいません。せっかく万能性という武器を秘めているのですから、その万能な部分を一つ一つ高め、いろんなディフェンスを覚えていけば、もっといろんなメンバーとの組み合わせで試合に出るチャンスが増えていくと思います。そのためには、「絶対にここで頑張らないといけない」というところで、もっと自分をプッシュしていくことが大事です。私自身は今シーズンの経験が今後の彼のためになると思っていますし、信州での経験が本人にとってハッピーであってほしいと願います。ジェミンのこれからは成長しかないのですから」                                                                                 

※※※

6月で22歳になるヤン・ジェミンは大学でいえば今年は4年生の年。今は経験を積むことが成長につながる。このインタビューを行ったのはホームゲーム最終日の5月5日。「たくさんのことを学んだ1年だったので、これからの自分に何を求められるのかを話し合って、今後の契約について考えたいと思います」と言ってインタビューを終えた。チームと本人がどのような決断を出すのか待たれるところだ。

◆2020年7月インタビュー

21歳にして4ヶ国目。“韓国の異端児”ヤン・ジェミンがBリーグに進出した理由と決意

Basketball Writer

「月刊バスケットボール」「HOOP」のバスケ専門誌編集部を経てフリーのスポーツライターに。ここではバスケの現場で起きていることやバスケに携わる人々を丁寧に綴る場とし、興味を持っているアジアバスケのレポートも発表したい。国内では旧姓で活動、FIBA国際大会ではパスポート名「YOKO TAKEDA」で活動。

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