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スペインサッカーのモラルと加藤未唯の「失格問題」。プジョルとイニエスタの「騎士道」

小宮良之スポーツライター・小説家
(写真:アフロ)

ずる賢さか、侮辱か

 サッカーにおけるモラルで、絶対的な正しさは存在しない。勝負においては「なりふり構わない」姿勢を尊ぶ世界がある一方、「品格を忘れてはならない」という声も根強い。二つは必ずしも、同時に存在できない道徳観だ。

 勝負事の正義は、そもそも多様である。例えば戦国時代の武士は、「武者は犬とも言え、畜生とも言え、勝つ事が本にて候」とたとえ厚かましく、あさましくとも勝たなければ意味がないと説いている。一方で、新渡戸稲造の「武士道」では「卑劣や臆病は、健全にして単純なる性質のものに対する最悪の侮辱の言葉である」と、義(正しい道)や勇敢さや慈しむ心や誠実さを尊ぶ道徳観だ。

 勝ち負けは人生を変えるものだけに、個人もそうだが、その国特有のスポーツに対するモラルはあるだろう。そこには必ず衝突がある。

「面白ければいいし、勝つためにやっている」

 例えばブラジル人選手はそう言って相手を挑発するような股抜きを好み、倒れてファウルを取れる「欺き」を美徳にすらしている。ネイマール(パリ・サンジェルマン)、ヴィニシウス・ジュニオール(レアル・マドリード)などがいい例だろう。彼らに悪気はない。その技を極めることによって、王国を築いてきたのだ。

 しかしながら、その行為はヨーロッパではしばしば「侮辱」と捉えられる。敵への敬意を欠き、愚弄する行為になってしまう。騎士道的な見地(キリスト教的な色合いが強く、献身や優しさや名誉を重んじる)から、それは悪なのだ。

日本人選手がスペインで苦労する理由

 何が正しいのか。論争では決着がつかないだろう。それぞれの国や地域、それぞれの選手にモラルがあるからだ。

 サッカーの世界では、そのズレが日常茶飯事にある。

 興味深いのは、日本人選手がスペインのトップリーグで活躍したケースが圧倒的に少ない点だろう。1部リーグで活躍したと言えるのは、乾貴士と久保建英の二人だけ。ドイツ、オランダ、ベルギー、スコットランド、イングランドでこれだけ日本人選手が活躍している状況で特異だ。

 その理由は、日本とスペインのモラルの違いにもあるかもしれない。「ずる賢さ」。それがスペインでは美徳とされるところがあり、それに対応できる柔軟さが必要になる。しかし、真面目な日本人にはうまく折り合いが付けられない。例えば判定に不服な時、本当に怒るのではなく、それ以降の判定を有利にするため、計算高く抗議をする。あざとく振る舞えるか。それは相手の裏を取る技術にも通じている。

 一方、ドイツ人は日本人の実直さや勤勉さに共感するところがあるのだが…。

 ちなみに、乾と久保がいるバスク地方は、スペインの中ではスペインよりもドイツに近いメンタリティで質実剛健なキャラクターである。

スペイン人テニス選手の「なりふり構わなさ」

 先日、テニスの全仏オープンで物議を醸す事件があった。

 女子ダブルス3回戦、加藤未唯・アルディラ・スーチャディ(インドネシア)組がリエ・ブズコバ(チェコ)・サラ・ソリベストルモ(スペイン)組と対戦し、アクシデントが起きた。第5ゲーム、第2セット途中、加藤が相手コートに返した球がボールガールの頭部を直撃し、危険行為とみなされた。主審に受けたのは「警告」だったが、これで収まらなかった。

 ブズコバ・ソリベストルモの二人は現場を見ていなかったが、「女の子が出血している」と騒いで抗議に及ぶ。少女が15分も泣き続けたことから、スーパーバイザーの裁定を仰ぐことになり、処分は「失格」に変わった。加藤・スーチャディの賞金とポイントも没収。ビデオでの確認もなく、裁定が大きく変わり、「不当」という声が多く出たが…。

 スペイン人、ソリベストルモは誹謗中傷を浴びたが、謝罪するどころか、「批判する人は試合を見ていない」と反論した。彼女たちとしては、やるべきことをやった、といったところだろう。勝つためには、あらゆる手を尽くす世界で生きてきた人の論理だ。

 スペイン各紙も、日本ほどこの問題を取り上げていない。女子シングルスで、ソリベストルモがブラジル人選手を相手に約4時間に及ぶ激闘を演じたことの方が大きく取り上げられていた。スペイン人にとって、抗議で覆した裁定は「してやったり」程度。彼女たちサイドからは、これからも「自分たちは悪くない」という主張が活発に出て、それは「悪者にするな」という敵意に変化するだろう。

 おそらく問題は、それを呆気なく許した大会運営側にある。少女の涙の量で裁定を決するべきではなかった。中立を守るためにできることはあったはずで、「ずる賢さ」に正義を与えてしまったのだ。

 それが世界的に不快さを生み出したのだろう。

プジョル、イニエスタの騎士道

 もっとも、スペイン人が卑怯を好むわけではない。本来は、騎士道を重んじる選手が愛され、尊敬されるのだ。

 例えばFCバルセロナ、スペイン代表で世界最高のタイトルをもたらしたキャプテン、カルレス・プジョルは誇り高い闘将として名を残す。いつもフェアで「相手をリスペクトする」ことで勝利した。また、Jリーグでプレーしたアンドレス・イニエスタも万人から愛される。なぜならFCバルセロナ、スペイン代表であらゆる栄冠を手にしたが、決しておごり高ぶることなく、真摯に優しく振る舞ったからだ。

 また、テニス界でも世界トップを争い続けたラファエル・ナダルも、クリーンなファイターで有名である。

「真の勝者は高潔で、誇りを失わない」

 それもスペインスポーツ界にある正義だ。

 繰り返すが、勝負における絶対的正義は存在しない。それだけに、自らが信じる戦いの流儀が大事になる。「勝てば官軍、負ければ賊軍」というが、それも当てはまらないことがあるからだ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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